★★★★☆☆☆☆☆☆

1985年 95min.

ネタバレ だいたいわかってしまうのです。

敬称略

 

 

監督 ダニエル・アティアス

原作 スティーヴン・キング

脚本 スティーヴン・キング

製作 ディノ・デ・ラウレンティス

音楽 ジェイ・チャタウェイ

 

マーティ:コリー・ハイム

レッド:ゲイリー・ビジー

ロー牧師:エヴェレット・マッギル

ジェーン:ミーガン・フォローズ

ナン:ロビン・グローヴズ

ボブ:レオン・ラッサム

ハラー保安官:テリー・オクイン

アンディ:ビル・スミトロヴィッチ

ブレディ:ジョー・ライト

アーニー:ジェイムズ・ギャモン

 

 

 お、またスティーヴン・キングやん、ということですね。

 

 う~ん、原作ありきの映画化っていうのはなかなか当たり外れがありますけれども、キングの作品はだいたいが外れないので、それはそれで楽しみで観はじめます。コリー・ハイムとゲイリー・ビジーってんなら、期待度は増しますよね。

 

↑冒頭、このシーンです。アンブリンかと思いましたが、そうではなくって、要するに原題は“SILVER BULLET”(直訳:「銀の弾丸」)なわけですから、ああなるほど、狼男の話なんかあ、とはなります。まあそれはそれでいいです。そういう思いで観ればいいだけですし、そもそもスティーヴン・キングが狼男を題材にしたっていうのがとっても新鮮で、さらに期待値は高まるわけですね。ただ、月の模様がまったく違うのはどうかとは思いましたけど。

 

↑クレジットでわかってはいましたが、こんなにいきなりジェイムズ・ギャモンが出てくるとは思ってませんでした。「メジャーリーグ」とか、テレビドラマ「刑事ナッシュ・ブリッジス」で観てるのですっかり重鎮感をもって想像してましたから、若いのにびっくりですよ。

 

↑でもね、こういう出方するとイヤな予感はしてたわけですよ。で、やっぱりこういうことになりました。秒殺です。まあそんなもんなのでしょうが、さすがのジェイムズ・ギャモンも、若かりしころはチョイ役だったのですね。時代を感じました。好きな役者さんではありましたので、もう12年も前の2010年に、70歳という若さでガンで亡くなったのはもったいない気がしてなりません。

 

↑で、場面かわって、ていう感じでコリー・ハイムですよ。めっちゃかわいいですね。

 

 わたしはコリー・ハイム、本作の2年後に公開された「ロストボーイ」が初見で(あ、そっちは吸血鬼の話だった)、そのあと超絶コメディの「運転免許証」でも「ロストボーイ」同様コリー・フェルドマンと一緒に出ていて、そらあもうダブル・コリーとかいって日本の映画誌を席巻しとりましたよ。「スクリーン」と「ロードショー」で。子役の星、みたいな。ただ、その後はパタッと見なくなってしまって、コリー・フェルドマンは定期的に露出してましたから、フェルドマン見るたびに、ハイムのほうはどうしたんやろ、て思ってたんですけどね。もちろん彼も、フェルドマン同様、定期的に映画やビデオ映画に出演はしていたみたいなんですけど、いい作品には恵まれなかったみたいでしたね。わたしは、もう10年以上前ですかね、それくらいのときにNHKのBSで「ルーカスの初恋メモリー」を観て感動して、やっぱコリー・ハイムすごいじゃんなんて思ったんですけどね、それでそのときに、いまはどうしとんのやろって思ってネットで調べましたら、2010年に38歳で、肺炎で亡くなったということを知ってものすごくショック受けたことを覚えてますよ。ちょうど亡くなったころに調べたんでしょうね。今でもあのときの気持ちを思い出すと、なんか胸が張り裂けそうです。「ルーカスの初恋メモリー」を観た直後だったからなんだと思うんですけどね。

 

 さて、映画に話を戻しますが。

 

 えと、キングの作品て、いつも子供が出てきますけど、その子供ってみんななんか虐げられたりイジメられたりしてるんですよね。今回のコリー・ハイムはそうでもないんですが、お姉ちゃんが親からよく思われてないみたいで、だから娘も親を憎んでいる、と。「クリープショー(クリープショー | みたたの日常と映画ざんまいそしてディズニー! (ameblo.jp))」やん、とは思いますが、なにせやっぱりそういうシチュエーションではありますので、もちろんいつも最終的には悪い奴がやられるんですけれども、とはいえやっぱりそこが気がかりではありました。

 

↑なんて言ってたら、狼男、出現です。出るの早いです。でもまったく惜しげもなくって感じで出てくるところは、それはそれでこちらも気合が入りますよ。ムダがなく、いい感じです。

 

↑で、こうなりました。いいじゃないですか、てことです。

 

↑車いすで疾走しとります。なかなかかっちょえいです。ただこれ、エンジン音がずっと鳴ってて、ものすごくうるさいんですよ。そらたしかに、ガソリンエンジンで動く車いすですからね、エンジン音はするのでしょうけれども、どうにも必要以上にうるさい気がして、耳障りでしかないです。で、ここらへんから、「?」が頭の上を飛び出しますよ。

 

↑車いすを改造した張本人、コリー・ハイムのおじさん役、ゲイリー・ビジーです。

 

 まあ、ぱっと見、あ、やっぱジャンキーだなあ、とはなります。この人もいろいろ紆余曲折がありましたよね。いまは自己破産してどうなっているのやら。「リーサル・ウェポン(リーサル・ウェポン | みたたの日常と映画ざんまいそしてディズニー! (ameblo.jp))」とか「プレデター2」とか「沈黙の戦艦」とか、日本人でもなじみはありますからね、なんかザンネンですよ。わたしはてっきり早いうちにドラッグは辞めて、1987年の「リーサル・ウェポン」のころには復活してたんだと思ってましたけど、いま調べたらどうもそうじゃなくって、1995年に過剰摂取して救急搬送されるまではやってたみたいですね。つくづくザンネンでなりません。死ななかっただけよかった、ということなのでしょうかね。この人、「リーサル・ウェポン」公開の時に、メル・ギブソンとダニー・グローヴァ―と三人で日本に来て、当時日曜日のお昼にやってた「スーパー・ジョッキー」て番組に出演したんですね。で、MCやってた山田邦子に、「メル・ギブソン、ダニー・グローバー、ゲーリー・びじー!」て紹介されてましたけど、ああ、みんなゲイリー・ビジーのことは知らんのやろなあ、て思ったことがありましてね。その後「プレデター2」とかに出るようになって日本でも知られるようになったので、わたしとってもうれしかったんですけどね。

 

↑で、そんないろんなこと考えてたら映画が入ってこなくなっちゃって、あ、いかんいかんと思ったら、やっぱりケンカが始まりました。こちらはコリー・ハイムのママ、つまりゲイリー・ビジーのお姉さん役、ミーガン・フォローズ。アメリカ映画、王道のパターンというやつですね。

 

 最初はよかったんですけどね、どうもここらへんに来て、まだ開始20分だというのに、わたしの中で不穏な空気が漂い始めて、観るのがめんどくさくなってきますよ。で……。

 

↑コリー・ハイムの彼女の、イヤな父親が殺られました。

 

 まあね、いいペースではあるんですよ。ウザい人間関係さえなければ、狼男が出てくるのは早いし、血祭りにあげられる展開もいい感じです。どうしても比較しちゃいますけど、数本前に観た「アミューズメント」なんかよりは、それよりもはるかに古い作品なのによっぽど緊張します。しかもこのすぐあとには、コリー・ハイムの友達のブレイディが殺られて、さあいよいよやな、てことにはなるんです。

 

↑ブレイディのお父さんの方の演技も秀逸ですよ。

 

 コリー・ハイムが、ブレイディのお葬式の帰りにゲイリー・ビジーに、「犯人は狼男かも」と言うところでも、一見すると唐突のような気もしますけれど、いやコリー・ハイムは獣のような声を聞いているという事実があって、ぬかりはないわけです。

 

 ブレイディのお父さんがなにもできないでいる保安官に詰め寄るあたりなんかはわたし、「ジョーズ」を思い出しましたしね。

 

 山狩りのシーンは「ランボー」をもほうふつとさせます。ケンカとかそういうシチュエーションはたしかにめんどくさいですけど、でも展開はスピーディーだから、いいよ、いいよ、いいじゃない、いいじゃない、て思ってたんですよ。ところがですね、山狩りの最中におっちゃんが罠にかかったころから、やっぱりちょっと雲行きがあやしくなるんです。

 

↑山狩りの最中、突然どっかのおっちゃんが叫びます。すると、

 

↑獣の罠に足を挟まれてる、と。

 

↑で、左側の仲間のおっちゃんが外そうとするんですけど、

 

↑獣のような声がして顔を上げまして、仲間のおっちゃんが手を離すもんですから……、

 

↑また叫ぶ、と。……。いや、新喜劇か、てなりますよね。そういうのはいらんのですよ。

 

↑こういう状況もよくわかりません。明らかにこれ、スモークじゃないですか。霧、なんですか?霧ってこんなにはなりませんよね。別に「ザ・フォッグ」みたいに霊的なものを題材にしてるわけでもないのですからね、気象学的にはあり得ないんじゃないですか。いや、間違ってたらすみませんけど、そんな気はして観てました。いったん「あれ?」て思うと、どうしてもどのシーンも色メガネで観てしまうわけですよ。

 

↑そうこうしてますと、ひきずりこまれまして、

 

↑人形が出てきました。もうね、とうとう開始40分で耐えきれなくなってやらかしてもうた、て感じになってしまいました。わたし、「あら~……」てなりましたもん。

 

↑こんなしてみんな狼男になってしまうとこなんかはもう「スリラー」ですよ、マイケル・ジャクソンの。ていうかわたしここはさすがに爆笑しましたしね。

 

 で、けっきょくこのシーンは神父の夢オチなんですけど、そういうのもよくあるパターンすぎて、ガッカリ感がハンパなくなってしまいました。まあ確かに本作は、古い作品なのですからしかたないのかもしれませんけど、古いからっていったって公開が1985年なら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と一緒ですからね。それ考えたら、そらアカンやろ、てなるわけですよ。

 

↑このシーンも、ミサかなんかでみんなで「アメージング・グレイス」歌ってるんですけど、なんか左右に身体揺らして歌ってるんですよ。しかもごていねいに、前後の列でテレコになるように、ですよ。もう滑稽でしかないですよね。

 

↑で、神父、悲鳴とともに夢から覚める、と。あまりにも、なわけです。

 

 さて、とはいえ時間は待ってはくれません。映画は、観客のそんな思いを置いてけぼりにしてどんどん進んでいきますよ。

 

↑相変わらずコリー・ハイムは、しかもチューンナップした車いすで疾走してます。

 

 これ、あのゲイリー・ビジーが作ったわけですからね、それはそれですごいんですけど、いらんシーンですよね。もちろんこの車いすのチューンナップがラストに大いに生きてくるわけですし、おじさんが甥っ子のことを大好きだと認識させるのは必要なんでしょうけれど、それならそれでもうちょっと観せ方はなかったんか、と思うわけです。じゃあお前ならどうしたんや、て言われるとなんも浮かびませんけど、それはそれでわたしは観客ですからね。満足させていただかないといかんと、まあそういうことで逃げておきます。とりあえず、いずれにしてもあの騒音と排ガスはなんとかせなアカンのじゃないかとは思いますけどね。

 

 て、わたしここでハタと思い当たりましたけど、ジェイムズ・ギャモン、ほんとにあの冒頭のシーンだけだったのですね。ほんまにチョイ役やったんや、て、なんかそれもわたしの心に負の要素として刻み込まれてしまいました。

 

 こういう映画に華を添えるのにどうしても重要になってくる音楽も今いちでしたねえ。ジェイ・チャタウェイ、ですか?まったく知りません。テレビの人なんでしょうかね。なんかとってもチープで、ほんとまさにテレビドラマのような感じでした。

 

↑で、コリー・ハイム、夜暗くなってひとりで花火を、しかも家から遠く離れた橋の上で始めますよ。

 

 いやあのね、お前が「狼男」って言っとったやん、て。だんだん話が無茶苦茶になってきました。いやま、キングってそういうとこありますからね、仕方ないかもですけど。常識がちょっとズレてる、みたいな。「IT」の時も、なんでこんな豪雨の中に子供一人で水遊びしとんのや、てありましたけど、今回もそれなんですよね。理解不能なわけです。

 

↑で、もちろん狼男が出てきますから、花火を打ちます。これもちゃんとわかりやすーい布石があって、ああやっぱり、てなりました。花火をやりに行く前にゲイリー・ビジーが「この花火は特別だから最後にやるんだぞ」なんて言ったら、ああ、じゃあそういうことね、てなりますやん。もちろん期待は裏切りませんから、そういうところでは「いい作品」とも言えなくもないのでしょうけれど、それではアカンでしょう、ということですね。

 

↑だからこうなることはもう最初っから丸わかりなわけですよ。

 

 あとですね、もうひとつどうしてもなのは、映画の途中途中で唐突にお姉ちゃんが大人になった声で昔の回想的にナレーションが入るのですけれどもね、なんなんこれ、て。もうね、演出がヒドすぎるんですよ。たしかに原作、脚本にもさまざま疑問符はつきますけど、それをなんとかするのが演出力じゃないですか。でも本作は、なんとかするどころか、輪をかけちゃってるんですよね。原作はどうなんでしょうかね。ものすごく忠実に作ってるんでしょうか。それでもやっぱり映画にする以上、観客が楽しめるようにするのが監督なのですから、それがわからなくってこの出来では、まあどうしようもない、ということになってしまいました。

 

 ダニエル・アティアス監督、調べましたらやっぱりテレビ畑の人でした。映画は本作一本のみ。まあそれはそれで、よい決断だったと思うわけです。

 

 さて、というわけで犯人発覚もあっさりしてましたよ。確かにこの犯人は驚きでしたけど、それまでがそれまでなだけに、おおっ、あ、なるほど、ふ~ん、で終わりました。まあ考えれば、よくある話ではありますしね。ただわたし、いつも映画を観るときはなんも考えんようにしてますので、だからこういう驚きはアリっちゃアリではあります。ここまでの話がちゃんと魅力あればよかったのに、とザンネンでなりません。

 

↑ちなみにですね、コリー・ハイムがこうして犯人を割り出すべく街じゅうの人たちに切り貼りして手紙出すんですけれども、これ、見てわかりますかね、右手の人差し指に余ったのりがついてるんですよ。わたしこれ、どうするんかって思って観てましたら、なんかこのあと左手のひらにこすりつけて、さらに両手のひらをこすりあわせて終わりました。さすが、がさつなアメリカ人やな、と笑ってしまいましたが、まあ笑えるほど余裕があるということですね。余裕がある、言うか、飽きてた、みたいな。

 

 なんて思ってましたら、またもここで衝撃事実が発覚しますよ。なんとゲイリー・ビジー、この期に及んでまだ狼男を信じていない、と。おいおい、て……。もういいかげんにしてくれ、ですね。ゲイリー・ビジー、「狼男なんざ、イッツ・クレイジーだ」てんですけど、クレイジーはお前や、と突っ込んでおきました。

 

 でもコリー・ハイムも負けてませんね。そんなら、ってんで、犯人の家に見張りに行きますよ、ゲイリー・ビジーを連れて。犯人は、先の手紙で発覚しましたから、まあコリーはちゃんとした子ではあります。そしたら、

 

↑こんなして車の中から見張ってるんですけどね。ちょっと見にくいですけど、家の外に犯人がいてるわけですよ。なのに、

 

↑それを見張っている車を外から見た図はこんなんでして。しかもこんな距離で車の窓開けて大声で話して。犯人が吹く口笛は聞こえてきてるんですよ。それなのに、て。まるバレやないですか。笑うしかなかったですね。ていうか、爆笑案件なわけですよ。

 

 もうこうなってくるとわたし、先が心配でなりませんよ。ひょっとしてディー・ウォーレス出てくるんじゃないか、て。

 

↑まあ変身シーンはこうして出てきます。

 

↑観られんことはないんですけど、なんかどっか違うような気がしてなりません。う~ん、博物館にあるクロマニヨン人の複製、みたいな臭いがぷんぷん充満してるわけです。

 

 で、さらにさらに、次の満月はハロウィンと重なる、しかも子供たちとおじさんであるゲイリー・ビジーが一緒に留守番することになる、お母さんはいない、なんてこれでもかってくらいのご都合主義が発動しまして、とうとうわたし失笑ですね。

 

↑で、のんきに寝てしまう、と。まったく危機感ないです。深夜ですからね、眠かったのでしょう、きっと。

 

↑こんなして「ポルターガイスト」感出そうとしてももうムダなわけですよ。

 

↑ここまできてもゲイリー・ビジー、まだ信じてないんです。自分で銀弾作りに行ったのに、ですよ。どうかしてるとしか思えません。

 

↑そしたらようやくゲイリー・ビジーの前に狼男が現れました。

 

 ということで、なんか最期はあっけなく終わりました。なんだかですね、今までのこの時間はなんやったんや、というくらいあっけなかったです。テレビの監督じゃこういう感じなんですかね。ドラマだとアリなのかもですけど、せっかく映画にしたならもうちょっとなんかいろいろあってもよさそうなものなのに、という思いしか残りませんでした。

 

 で、エンディングテーマが追い打ちをかけました。もう、ただただビックラです。何の映画やったんこれ、てなりました。4つでも多いくらいかとは思いますが、まあ最初のほうはいろいろ頑張ってたとこはありましたし、ゲイリー・ビジーとコリー・ハイムに敬意を表して、の結果です。ご了承ください。

 

 

今日の一言

「あの、狼男、ブサイクなんですけど……」

 

 

レビュー さくいん