風の強い日に、なかなか眠れずにいると、戸を叩くような音がしていることに気付いた。最初は風が戸を揺すっている音だと思い、眠ろうとしたが眠れず、暫く聞いている内に、誰かが外から戸を叩いている音であることに気付いたのだ。

 私は隣で寝ている妻に教えようかと迷った。彼女は私と違い、深い眠りについていたからだ。私は妻を起こさず、ひとりで起きて、玄関まで行くと、戸の内側に立って暫く外の様子を窺うことにした。時刻は真夜中で、こんな時間に人の家の戸を叩く者の心当たりなど無かったし、外は昨夜床に就く前から、依然として台風のように強い風が吹き続けていた。一体こんな状況で、本当に家の戸を叩いている者などいるのかと、怪しんだが、それが本当に人の意志と手によるものである筈がないという疑問もまだ捨てられずにいたから、一応玄関まで様子をみてくることにしたのだ。

 何も言わず玄関の戸の前に立ち、暫し聞き耳を立ててみる。外では風が吹き荒ぶぴゅうという音に混じって、時折、家の扉をコンコンと叩く音がした。私は最初、扉の前に来た時、突然その音がして驚いたが、それも最初の音だけで、それ以後の音に関しては何も驚かなかった。規則的な間隙を空けて叩いているところからすると、人である可能性は高い。が、玄関の外に出たところの脇にある、小さな木の枝が風の悪戯で戸を叩いているようにも聞こえる。声を出すわけでもなく、玄関ベルを鳴らすでもない。戸を叩いているだけなら、きっと人などではなく、風の悪戯に決まっている。なのに眠れないとはいえ、ここまで来て様子を窺ってみるまでは、安心出来なかったのだろう。我ながら何と心の小さい人間であるか。私は恐る恐る覗き穴から外を見たが、やはりそこには誰もいなかった。扉を開けるまでもなかった。ただの風の悪戯だ。それにこんな風の強い時に戸を開けてしまえば、葉っぱや土埃などが家の中に入ってきて後で面倒な事になる。

 私はそのままベッドに戻り、布団を被ると今度はすぐに眠ることが出来た。朝になり、目を覚ますと、そこは見知らぬ山の中であった。布団だと思っていたものは布団ではなく、緑や茶色の木の葉であった。辺りはしんと静まり、人は勿論、鳥一羽さえいない深い山の中に私はひとりでいたのだった。見ると近くの樹木の幹に太い枝が強風に揺られてコンコンと叩きつけられていた。するとその時、私を包んでいた木の葉は空高く舞い上がり、四方へと散っていった。私は穴倉のようなところに横たわっていた。立ち上がると、頭が穴の縁の高さと同じくらいだ。すると突然穴の縁から、見慣れぬ犬が顔を覗かせてきた。私を上から見ている。私は動くことを忘れ、その場に立ったまま顔をやや上に向けて犬を見ていた。すると犬が言った。

 「早く上がってくるんだ」

 私は犬の言う通りに穴から出た。するとどうだろうか。その時になってはじめて気付いたのだが、私自身も犬であったのだ。しかもまだ子犬だった。恐らく目の前にいる犬が、私の父親だろうか。

 「あなたは私の父ですか」

 私は思わずその犬に問わずにはいられなかった。するとその犬が言った。

 「寝ぼけているか、頭でも打ったか。自分の父親のことも忘れてしまうとは」

 私は納得した。これが本当の私なのだ。そして私はほっとして父に言った。

 「変な夢を見ていたんだ。すごく変な夢だ」

 だがそう言った時には、私はどんな夢を見ていたか思い出せなくなっていた。私は仕方なく首を振ると、父が私に言った。

 「さあ、朝ごはんを捕りにいこう。もたもたしていると、山猿どもに取られてしまうぞ」

 「わかった」

 私は父の後に従い森の中を駆けて行った。朝露が足の裏に心地良く、大地からは芳醇な香りが立ち上っていた。私は父と森の中を走りながら、この上もない幸せを感じていた。

 翌朝になり目覚めると、あれだけ強かった風は、そもそもの始めからそんなものなど無かったかのようにぴたりと止んでいた。玄関の戸を開けようとしたが、何かが扉の前にあって扉がなかなか開かない。やっと扉を開けると、外玄関の扉の前の床に、白い犬が一頭倒れていた。私はその時はじめて昨夜見た、不可解な夢の事を思い出した。だが他にどうすることも出来ずに、市役所に電話しても、野良犬でもその死骸が私有地内であればその私有地を管理する責任者が決められたゴミに出すか、適切な場所へ埋葬するかしてくれということだった。私は妻と相談した結果、動物葬儀兼埋葬業者に電話し、引き取りに来てもらうことにした。彼らは電話してから1時間以内でやって来た。そして10分もしない内に全ての作業や清掃消毒等を終えて、袋に入れた死骸と一緒にバンで引き揚げていった。

 その同じ日にまたあの犬の夢を見た。

 しかし今度は子犬だけだった。彼は穴の中から出ようとせず、木の葉の間に埋もれたまま、穴の縁を見上げていた。私は何とか声を掛けてやれないものかと思いながらも、結局どうすることも出来ずにいると、穴の中にいた子犬の体が突如大きくなり、穴を塞ぐ程の大きさになると、穴から出て、後ろ足を使い、周りの土で穴を塞ぎ始めた。穴はあっという間に塞ぎ、平らな地面になった。すると子犬から突然大きくなった犬は森の中を駆け出し、そのまま居なくなってしまった。夢はそこで終わっていた。

 「不思議な話しね」

 私は妻に事の一部始終を話すと、妻は言った。

 しかし、本当に不思議な事はその後に起こった。

 幾日かが過ぎて、私は妻に、もしかしたら私は犬であったのかも知れないと、鮮明に記憶に残ったあの不可解な夢と玄関前に倒れていた見知らぬ犬の死について、考え想いを寄せている内に、何時しか結論に思い至った率直な気持ちを妻に打ち明けた結果、彼女はまじまじと私を見つめて言ったのだ。

 「あら、私たちふたりとも、犬だったのよ。気付かなかった?」

 そう言った後に、彼女は私に向かい犬になってみせた。