人気曲「サリリ Sariri」の演奏に思うこと | ふぉるくろーれ夜話/mitaquenaのブログ 

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仕事をリタイアしてから始めたケーナの演奏をきっかけに、思い出したり思いついたりした、主にフォルクローレに関するよしなしごとを綴ります。

今日は人気曲「エル・サリリ El Sariri」について少し語りたい。

 

本曲は、後で詳述するように80年代に発表され、遅くとも既に90年代くらいから日本のアマチュア・フォルクローレ・グループの中で盛んに演奏され、フォルクローレ愛好家の中では非常にポピュラーになった曲だ。

私自身、今所属している社会人同好会の課題曲となっているうえに、昨日から立上げ準備に入った「ひみつのコンフント」wの練習曲候補になった。いずれも10月の演奏お披露目を目標としている。

 

こちらは、長く愛され、プロ・アマ、国内外問わず、多くの演奏家が手がけた曲なので、変遷もある。また、同じフォルクローレ愛好家でも、リスナーとプレイヤーでの「好き」のポイントの違いも現れやすい曲だと思う。

その辺を、少し深掘りしたい。

 

さて、私にとって本曲は、10代の頃(80年代)からリスナーとして慣れ親しんだ曲なのだが、社会人同好会の方で、いざ楽譜とサンプル音源(模範演奏)を渡され(それは大変ありがたいことなのだが)、聴いてみて「うっ…(>_<)」となった。

 

その時の心の中の叫びを正直に文字に表すと

なんじゃこりゃ!?

こんなん、Saririじゃねーや!!

――となる。

 

まあ、ケーナの練習を始めた時に、遠からずこうなることを覚悟はしていた。

以前から、同じフォルクローレ愛好家でも、プレイヤーとリスナーとでは楽曲の愛し方・向き合い方が異なる気がずっとしてきていた。

しかし、リスナー気質の自分が、いざプレイヤーの皆さんに混じって一つの演奏をする段になって、覚悟はしていたものの、私の中のリスナー気質が、プレイヤーたらんとする際に、思わぬ障害になるのである。拭い切れない違和感を改めてリアルに感じて、いま本稿を綴っている。

 

私の理解では(注:偏見です)、フォルクローレ愛好家は、プレイヤー気質の人とリスナー気質の人に大別できる。

プレイヤー気質の人は、楽曲にノリ・カッコよさ(演奏していて気持ちイイ、客席との一体感・高揚感を味わいたい)を求めていて、原曲自体は、そんな自分たちの演奏を行うための手段・タネに過ぎないと割り切れる。

なので、ちょっと耳に聞きかじった楽曲が「お、これイイじゃん。今度やりたい!」となったら、それ以上の詮索はしない。演奏する、という観点からプラグマティックに身体に取り込んでいき、消化して己のモノとして、新たな演奏を再生産していく。

 

それに対して、リスナー気質の人は、聴くこと自体が愉しみ・歓びであり、基本的に聴くことだけで自己完結する(じゃ、コレ、自分も演ってみよう!という気持ちはゼロではないが、演奏するにせよ自分を慰めるためにする。特にアンサンブル演奏やお客さんに聴かせる演奏へとは強く動機づけられない)。

その分、気に入った楽曲を何度も何度も繰り返し聴いて、その音に耽溺して身体に取り込んでいく。

演奏家による違い(演奏家が同じでも年代による違い)を噛みしめ、味わう。

気に入った楽曲のバージョン違いをせっせと集めたり、オリジナルを求めての源流の探索・遡上に勤しんだりする。よって、リスナー気質の人は同時にコレクターになりやすかった(少なくともネット配信が主流となる時代以前は)。

ただ、そこから、演奏という形での再生産行為には、なかなか向かわない。

 

このプレイヤー/リスナー気質の二分法で敢えて分けると、私の見方では(注:偏見です)、日本のフォルクローレ愛好家の殆どは前者のプレイヤー気質で、私はごく少数派の後者だ(ああマイノリティの悲哀、と自己陶酔w)。

もちろん、両方の気質をバランス良く保持している人もいらっしゃる。が、とても少ない(体感的には1割もいない)。

 

これが例えばクラシック音楽の世界であれば、おそらく愛好者人口の多くは後者なのではないか。しかし、フォルクローレは、その民俗音楽としての性質上、演奏への垣根が低く、誰でも気軽に始められる特徴があり、愛好者人口の中でプレイヤーの占める割合が高いのだ、と思っている。

 

さて、以上がお膳立てで、ここからようやく「(エル・)サリリ」の話に入る。

 

まずは、現在日本で聴かれる本曲の演奏の一例を動画でご覧頂きたい。

(たまたまYouTubeで見て、現代の「エル・サリリ」演奏の典型的な特徴が詰まっているので、ご紹介させて頂くだけで、それ以上の他意はない)

アマチュアとして高い演奏能力で知られる、日本の大学フォルクローレサークルの名門による近年(2021年)の演奏だ。

全体として、大変良質な演奏だと思う。

多人数(確認できるだけで13人)のコンフントなのに、全体として音のバラつきやボケが少なく、とても統率感がある。

サンポーニャの音が良く出ているし、ケーナも高音部が柔らかく伸びやかだ(今の自分には、絶対に本番でこんな綺麗な音は出せない)。

個人練習・グループ練習をみっちりと積んで、ハレの舞台に立ったと想像される。

終始客席から手拍子が続いていて、ステージと客席との一体感もある。

録画でこれだけ聴かせるのだから、ライブで立ち会っていたら、どれだけ素晴らしいステージだったことだろう。

 

しかし、オールド・リスナーには、違和感が拭い切れなかった。

(繰り返しますが、この演奏を批判したり、貶す意図は全くありません。ただ自分が感じた違和感を言葉にしたいだけです。へええ、そういう感想もあるんだなあと、広いお心でもって、何卒ご容赦くださいm(__)m)

 

1.まず、曲の構成。これは「サリリ」の後半部分だけの演奏である。

2.つぎに、リズム。なにゆえにティンク(ポトシのけんか祭りに由来する踊りのリズム)なの?? 

3.そして楽器。本来サンポーニャでバホバホ言わせる曲ではない

 

この3点は、上の動画の演奏に限らず、現在聞かれる多くの「エル・サリリ」に広くみられる特徴だ。

しかし、オールド・リスナーとしては、これらがどうにも引っかかり、いつも近年の演奏を素直に愉しめない。

 

なぜ? 

1.はっきり言ってしまうと、原曲へのリスペクトがあまり伝わって来ないから。(ごめんなさい、個人の感想です。演奏者の方たちには、きっとリスペクトの気持ちがあるのだと思います。ただ、それが聴き手の私には、演奏を通しては、あまり感じ取れなった、もしかしてオリジナルを知らないで演奏しているんじゃないのかな、ということを言っています)

2.曲のテーマにフィットしたアレンジだと思えないから。

3.そして、そんなことを言い出すと「だから何なの?」「演奏して楽しかったし、お客さんも喜んでたから、それでイイじゃん」とプレイヤーさん達に怒られた挙句、「面倒臭い人」認定されて、疎外されるから。ハイ、そうやって、あたしゃ日本のフォルクローレ界のすみっこで生きてきましたよ( ノД`)シクシク…

 

さて、本曲は、グルーポ・アイマラがリリースした5枚目のアルバム(1982年ボリビアLyra盤)のA面2曲目が初出(←訂正。追記参照)オリジナルで、その時の曲名は「Sariri 1 y 2 サリリ1&2」である。

まず、アルバムジャケット裏面の曲目記載に注目して頂きたい。

曲名は「Sariri 1 y 2」。

細かいことを言っているが「El Sariri」ではない

だって「Sariri」はアイマラ語だから(意味は「旅人」)

スペイン語ではないから、頭にスペイン語の男性形単数の定冠詞「el」を付ける意味がない。

現在一般的な曲名に「El」が付くのは、グルーポ・アイマラの本曲発表後、別の演奏家たちの手にこの曲がわたって、クレオール化(日本語で言えばカタカナ英語化)したからだろう。

ちなみに曲名は「サリリ・マヤ・イ・パヤ」と読む。アイマラ語でマヤが1、パヤが2を表す。

 

形式名は「Estampa 組曲」

Estampaはリズムではないが、実際に原曲を聴いてもらえれば分かるが、少なくとも「Tinku ティンク」ではない。

 

それから作者。これは「L. Callejas - N. Gonzales」と明記されている。

ルシアーノ・カジェーハスはグルーポアイマラの当時のケーナ奏者、ナタニエル・ゴンサレスは同じく当時のボーカルで、両名による合作である。

けっして作者不詳の「アンデス伝承曲」ではない。(まあ実際問題もう半分くらい、そうなりかけているけれど、そしてフォルクローレは、たとえ作者が明確あってもみんなの共有財産として扱われやすいけれど、そしてその良さもあるけれど、これは作家性のあるネオ・フォルクローレなこともあり、原作者の意図・テーマの汲み取りは重要だと私は考える)

 

すなわち、オリジナルは「サリリ(旅する人)」というテーマの下で、グルーポアイマラのメンバーが自作した2パートから成る組曲なのだ。

既にご存知の方には釈迦に説法で申し訳ないが、いつの間にかフォルクローレ愛好家の中でも知らない人が多くなっているようなので、いつもに増してクドめに書いている。

 

実際に、オリジナルがYouTubeにアップされているので、ぜひ一聴して頂きたい;

ほら、全然違うでしょ? 違いますよね。

 

全5分強のうち、前2分弱がSariri 1。弦無し、野趣溢れた笛の音(ケーナではなくモセーニョのようなアウトクトナ楽器の音色のようにも聞こえる。もしかするとタパケーナか?)が単調な旋律を歌い、鈴の音等が異世界感を醸し出している。

まるで、野鳥や獣の鳴き声しか聞こえない静かなセルバの密林の中で歩を進め、母待つ故郷のアルチプラノの村へ戻るアイマラ族の旅人の姿を描いているかのようだ。

 

そして笛の音がフェードアウトして、にわかにドラムロールが巻き起こって音風景が暗転し、ルシアーノ・カジェーハスのケーナによって後半のSariri 2が口火を切る。

 

このSariri 2のみが切り取られて、現在の「El Sariri」になっている。

しかし、故郷への帰りを急ぐ旅人の現在地を描いたようなSariri 1は曲の全体を捉えるうえで重要であることは、強調したい。

 

さて、Sariri 2の出だしのリズムは、旅人が故郷へ向けて一歩一歩踏みしめる歩みのように力強く、むしろ初めはゆっくりだ(けんか祭りのステップからきたティンクのノリでは、決してない)。

 

短い前奏の後に、ナタニエルの伸びやかな唯一無二の歌声が入る。

歌詞の意味については、チャランゴ奏者の桑原健一さんが、ご自身のYouTubeチャンネルで詳しく解説して下さっているので、そちらを参照されたい。

 

私なりにまとめれば、長い年月(何らかの事情で)故郷を離れ流浪を重ねたアイマラ族の"旅人"が(何らかの事情で)母が待つふるさと(恐らくはアルチプラノの寒村)へ帰る道すがら、故郷が近づくにつれて否が応でも、こみあげてくる感傷と胸弾ませる希望(都会での出稼ぎ中は差別と隣り合わせの毎日だったけれど、これから故郷でようやく先住民としての誇りを取り戻した生き方を切り開いていけるかも…)が、本曲のテーマだと思う。

(よって、本曲は、一度はムラを捨てたアイマラ族の帰郷と自文化への回帰を描いているという点で、その7年後に封切られたボリビア・ウカマウ集団の映画「地下の民」(1989年)とテーマが通底している、と解釈することもできよう。本曲の方が未来への明るめの希望があるが、「そういう時代」の作品だ)

 

それで、リズムがティンクでいいんだろうか???? 

ただノリが良いというだけで、ティンクに改変したのであれば、いただけない。

上述のように原曲は明らかにティンクではないし、そもそもティンクが踊られる(←訂正。追記参照)現代の「ティンク踊り」のモチーフとなったポトシは、ケチュア族のエリアで、アイマラ族の居住エリアではない(アイマラ族の主な居住地は北のラパス州周辺である)。

さらに、かつてインカ帝国征服後のスペインへ莫大な量の銀を供給し、今は錫でボリビア経済を支える鉱山町のポトシは、多くのアイマラ族の人たちにとっては帰るべき故郷ではなく、むしろ危険で過酷な鉱夫として出稼ぎに向かう先かもしれない。

本曲のテーマに照らして、ティンクがフィットしないと言ったのは、そういう理由による。

 

さてSariri 2は後半になると多少テンポが速くなるが、主旋律は一貫してナタニエルの歌声とルシアーノのケーナで奏でられる。

サンポーニャは入らない

なぜなら、原曲は歌手のナタニエルとケーナ奏者のルシアーノの合作だから。二人の歌とケーナの持ち味がフルで活かされ、それで完成する曲にもともとなっているから、そもそもサンポーニャが入る余地が無い

グルーポアイマラは、ファーストアルバムからサンポーニャを得意とするグループだった(1974年発表としては画期的だった「Mi Raza 我が種族」を聴いてみて下さい。とても四人で出している音とは思えない迫力のあるサンポーニャの音ですよ)。そのグループが敢えてサンポーニャ抜きで本曲を収録したという意味を今一度考えて頂きたい。

 

以上、現代一般に演奏される「エル・サリリ」についての違和感3点を、できるだけ関連する事実に基づいて、なるべく理屈立てて、言語化した。

 

以上のことを踏まえたうえで「エル・サリリ」をやるならば、やって頂きたい! と、いつも内心で思っている。

 

とはいえ、多分だけれど、最初に、原曲のSariri 1のパートをぶった切って、 リズムをノリノリなティンクに変えて、サンポーニャをバホバホ言わせたのって、日本人じゃなくて、きっと現地の演奏家なんだろう(※)な♪ あーあ。。。

 

※ちょっと調べただけなので、たいして自信は無いが、そうした最初期の例がボリビアの(当時そこそこの)人気グループ、Grupo Andino de OruroのSariri(1986年リリース)だ。

グルーポアイマラによるオリジナル発表後4年で、①Sariri 1のカット、②リズムのティンク化、③サンポーニャの挿入――という全ての要素が揃っている

どうも、このあたりが、現代のエル・サリリの演奏の原型になっているのではなかろうか?

 

そして、ここまで御託を並べておいて、果たして私は、新たな仲間たちとどんな演奏をすることになるのか…!?

曲を演奏する interpretar ことは、曲を解釈する interpretar こと。

私たちは、本曲をどのように解釈して、自分たちの音を奏でられるだろうか……。

できれば、生温かく見守ってやってほしい。。

 

最後に、名古屋のフォルクローレ大愛好家で、Grupo Mallku リーダーとしてボリビア盤アルバムを遺した川口尚久さん(故人)が、グルーポアイマラ初来日(1991年)に寄せたレパートリー解説(「オーラ!アミーゴス」1991年秋号所収)を見つけたので、引用して筆を擱く。

 

Sariri Maya y Paya 旅人

広大なアンデスを背景に一人の旅人を描いた2部構成の名曲。後半部分はこの数年ティンクのリズムに変えて伝統曲としていろいろなグループが録音しています。オリジナルである『グルーポ・アイマラ』の演奏はまさに極めつけといっていいでしょう」

 

まさにその通り! だと思う。■

 

 

■■20240715追記■■

本稿ではティンクとは何たるかという話には深入りせず、単に「ティンクポトシのけんか祭りに由来する踊りのリズム)」とサラッと片付けているが、本記事を読んで下さった、さる私の大先輩の方から、個人的にコメントを頂戴した。

 

個人的に頂戴したコメントだが、有益なお話なので、その主旨を私なりに消化してここに記す。すなわち、

「ティンク Tinku」は、ポトシの民間の格闘(技)(「モンテラ」というスペイン人の甲冑を真似た兜的なモノを着けた男2名による殴り合い)、いわば「野良ボクシング祭り」であり、もともとは音楽・リズム形式ではなかった(←ココ大事

②それが近年になって(非ポトシの)大都市部の人がいわば「田舎風踊り」として創作したのが、ティンク「踊り」であり、その踊りのリズムとしての「ティンク」である。

③よって、ティンクは本来「ポトシ伝統の踊り」ですらない(しかし最近では、生まれた頃から、ティンク踊りを見て育ったポトシ人も出てきており、現地でも来歴があいまいになりつつある)。

 

本記事では「サリリにティンクのリズムはフィットしない」という主張を行うことに主眼があったことと、私自身が「ティンク」を既に一般に受け入れられた音楽・リズム形式として説明に使っていたため、ややもすれば、「ティンクはポトシの伝統的なリズム」との誤解を読者に生じさせる余地があった(敢えて「ポトシのけんか祭りに由来する踊りのリズム」というボカした書き方をして、決して「ポトシリズム」とは意識的に書かないようにしていたのだが、その一方で「ティンクが踊られるポトシ」とうっかり書いてしまってもいた。分かりにくかったと思う)。

 

よって、ここに「ティンクはポトシの伝統的なリズムですらない」という事実を明記し、「もともとティンクとは何であったか」ということと、「ティンク踊りの成り立ち」について補足させて頂いた。

(Sさん、ご指摘とご教示、大変ありがとうございましたm(__)m)

 

 

■■20240719追記■■

本文で「本曲は、グルーポ・アイマラがリリースした5枚目のアルバム(1982年ボリビアLyra盤)のA面2曲目が初出」と書いたが、厳密には、先行して音盤に残された演奏が他にあるが「オリジナル」である、というのがより正確な表現となる(本稿を書いた時はすっかり忘れていたが、先ほど、別件で音源探索をしていた際に、思い出した)。

というのも(これも割と「ボリビア盤あるある」だが)、本家が音盤に収録する以前に、別のグループが音盤に収録しているからである。

 

具体的には、「Souvenir de Bolivia vol.2」という1977年リリースのオムニバス盤において、「Freddy Suazo y Grupo Sendal フレディ・スアソとグルーポ・センダル」という演奏者が、「TENGO QUE LLEGAR AL PUEBLO(私は村に着かなければならない)」という曲名(Sariri 2の歌詞の冒頭と同じ)で収録しているのが、事実上「Sariri Paya」の音盤初出である。

タイトルは違うし、歌詞もアレンジも違う(サンポーニャは入る、しかし当然「ティンク踊り」のリズムではない)が、ほぼ「Sariri Paya」である。

 

なお、曲名、演奏者の下に「Basado en la obra de M. Salomón Callejas (サロモン・カジェーハス氏の作品をベースにしたもの)」とご丁寧に注釈が書かれている。

ご本家のグルーポ・アイマラが「Sariri 1 y 2」を初収録したのが1982年盤でこちらが1977年盤。てことは、初収録の少なくとも5年前にはサロモン(ルシアーノ)・カジェーハスはこの曲の2の部分は作っていて、公に演奏していた、ということだろう。

 

なお、音はこちら↓の動画からお聴き頂きたい。

これはこれで、本家へのリスペクトを有したうえで、オリジナリティと躍動感が感じられ(間に挟まれる「ウウウゥ~♪」がクセになるw)、中々に味わいのある演奏である。