「U君は、これからIELTS8.0を目指します。」
来年に米国学位留学を予定しているU君ですが、厳しいことを申し上げました。それは、博士号を取得するための出願基準は、IELTS7.0ですが、それだけでは足りないとお伝えました。その理由を想像できますか?
「日本にある外資系の企業でも、学生の立場で身につけた英語力で足りるからです。」
お分かりでしょうか?
「学生の立場で身につけた英語力」vs「アメリカの大学の教壇に立つための英語力」
これは、まったく違いますね。多くの日本人留学生が、学部や大学院で身につけた英語力を使って、実際に職場で活躍していますが、アメリカの大学院で博士号を取ろうと思っているのであれば、話は全く違います。
アメリカの大学で博士号を取るための英語力も相当のレベルを要求されますが、その学位を取得したとしても、実際に教壇に立つとなると、アメリカ人学生からの厳しい評価を受けることになるのです。「教育は投資である」という考えのあるアメリカ人学生ですから、黙って講義を聞くわけではないです。しかも、学部ではなく、ロースクールの大学教授を目指しているのです。だから、求められる英語力のレベルは、計り知れません。下手な英語で授業をすれば、こう言われるでしょう。
”Go home!”
だから、U君にはこのようにアドバイスしました。
「アメリカ国内で対等に渡り合えるレベルは、IELTS8.0以上です。そのために、4つのパートはすべて8.0を目指してください。」
このレベルになると、単に受験テクニックでは超えていくことが出来ないです。では、何が必要なのでしょうか?
「日本人として、第1言語である日本語の語彙と読解力に、高いレベルが求められます。」
つまり、日本語での高い表現力と洞察力が必要なのです。第2言語である英語に高いレベルを求めるのであれば、それ以上のレベルの語彙力と読解力を第1言語に求められます。では、そこまでの高いレベルの語彙力と読解力を兼ね備えているか、あるいは到達できる可能性のある人材って、どんな人でしょうか?
「文系、理系の区別なく、様々な分野に興味があり」
「それに関する相当の読書量をこなし」
「論文も書いて来た人」
そうなると、
「私立大学出身者よりも、国立大学出身者の方が有利である。」
そう言う結論になります。幅広い教養があり、自分の意見をはっきりと持ち、語彙が豊富で、表現力豊かな人材が、より高いレベルの英語力を身につける可能性を秘めています。
入試や英検でより高い点数を取るためのテクニックに長けるのでははなく、言葉の勉強そのものには、幅広い知識と経験、そして読解力とそれに伴う洞察力が必要です。だから、言葉の勉強は、エンドレスなのです。
「U君は、これからアメリカ人の大学院生を指導する。」
私もまだ、そんなイメージを持つことが出来ないですが、大きな楽しみが増えましt。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
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