「あなたは、紙に触れていますか?」
コロナウイルス感染で、ソーシャルディスタンスを取りながらの生活になっています。「触れる」ということから、随分と遠ざかることを強いられています。
触れることから離れると、人と人がコミュニケーションから離れることになるのです。それは、「人嫌い」が多くなるという結果になっていきます。
人と人とのご縁がなくなり、コミュニケーションの方法が下手な若者が増えて行くことになります。それと同じで、紙面で新聞を読むことも減りました。デジタルの時代にふさわしい結果かもしれませんが、ペーパーレスが招く悲劇もあります。
読売新聞の記事に、明大教授の斎藤孝先生の「紙の教科書の大切さ」についての考えが載っています。
教科書をデジタル化して、紙の教科書をやめることに対する危惧を訴えていらっしゃいます。その内容を簡単にまとめてみました。
①教科書に載っているのは、「これだけは身につけておくべきだ」という厳選された知識である。
②紙の教科書の方が、学習がしやすい。
③紙をめくりながら本を読むことが、脳への刺激になるという研究もある。
④紙を手で触れ、書き込む行為が五感に訴えるものは大きい。
⑤紙の方が、記憶が定着しやすい。
⑥デジタル化で、教科書の内容を絶対に身につけるという意識が薄れてしまう。
⑦基礎知識に甘さがあれば、学力は計り知れないほど低下する。
⑧紙の教科書の廃止が学力低下をもたらす。
⑨紙の教科書を廃止して、コストを削減しようという主張も問題である。
⑩デジタル化しても、紙の教科書を基本として併用するのが大切。
私がずっと応用言語学の立場から、紙とペンを持って英語のライティングをやりなさいという考えと、全く一致します。
「触れる」=「触覚」を鍛える。
鉛筆やペンを使って、紙に書くことは、脳を鍛えていきます。スマホやPCを使って英文を書いていますが、それでも紙にペンで書く時の満足感にはかないません。
紙も鉛筆も、木材からできています。自然の中にある原料を使って、紙と鉛筆で言葉を学ぶことは、人間が自然と共存していることになるのです。鉛筆がペンに変わっても、脳に直接刺激を与えることには変わりがありません。
鉛筆からシャープペンシルに変わり、それからボールペンになり、そして今では消せるペンになっています。どんどんと筆記具が進化していますが、ペンを握る感覚が無機質になっていると感じるのは、私だけではないと思っています。
「五感を鍛えること」
その一つである「触覚」が失われつつあるのです。コロナウイルス感染の影響で、ますます「触れる機会」が失われ、人間嫌いが増えるように感じています。
汗や涙でインクがにじむという経験もなくなりそうです。そして、紙を使わない教育がすぐそこまで来ている気がしてなりません。昭和から平成、そして令和になっても、変わらないのは人間の五感の機能です。それを100%使うことで得られるものを、もう1度考えていただきたいです。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます。
感謝