「インディアン」と呼ばれているネイティブ・アメリカンと我々日本人、
民族は違えども、共に人種は共にモンゴロイドであり、
非常に近い人種と言われている。
そしてかつての日本人も、インディアンも、
共にお人よしで、簡単に人を信頼してしまい、
そしてあまり欲深くないところなどは、
とても似ている。
そう日本人にも、インディアンにも、
礼儀礼節を大切にし、調和を愛する大和心があったのだ。
しかしインディアンは、
白人たちに呑み込まれ、
土地を奪われ、辛い歴史を送ってきた。
一方の日本人は、
唯一、白人たちに抗い、
そして有色人種代表として、
同胞たちを解放しようと大東亜戦争を戦い、
土地を奪われることは無かった。
この違いは一体何か?
それは決して、
日本がヨーロッパから陸路でも、海路でも、
東回りでも、西回りでも、遠い位置に存在していたからだけではない。
1543年に鹿児島県の種子島に、
火縄銃と共にポルトガル人が辿りついた。
こうして我々日本は、3丁の火縄銃を手に入れた。
当時の白人たちは、
自分たちより弱い国ならば、
どこでも植民地にしてしまう大航海時代であるのだが、
ここからが日本は他の国々と違った。
たったその3丁の火縄銃が、
文字通り「種」となって、
数年で10丁に増え、
そして僅かな時間で量産と改良が加えられて、
性能の良い何千丁へと増えていき、
やがて当時の日本は世界で最も多くの火縄銃を持ち、
最も切れる刀を持つ国になってしまったのだ。
本格的に銃を最初に戦に使ったのは、
あの織田信長であったとも言われている。
それは敗戦後の日本が、
ラジオやテレビやクルマを改良して、
高度経済成長を遂げたことにも似ている。
そしていつしか日本が強固となったために、
大黒海時代のポルトガルやスペインといった侵略国の王者たちは、
日本侵略を諦めざるをえなくなったのだ。
日本人とインディアンは、
ともに調和を愛する大和心を持ってはいたが、
大きく異なっていたのは、
この国には、進歩を求める大和魂が根付いていたことである。
そのために日本人とインディアンは、
全く異なる歴史を歩んできたのだ。
ではなぜ、日本に大和魂があったのか、
それは「和の心を大切にする」神道を軸にして、
儒教や仏教を取り入れてきたからに他ならない。
「和を尊む精神」の神道が、
儒教や仏教をこの国に取り入れ、
そして儒教の「天下国家のために尽くす精神」と、
仏教の「死を恐れない精神」が融合されて、
いつしか大和魂が築かれていったのだと、
私はそう思う。
すでに述べているように、
日本は今、歴史上最大の国難を迎えていて、滅びの危機にある。
それはまるで、白アリが木の中からジワジワと腐らせ、
表向きには平穏無事に見えても、
気がついた時には中は腐り果てていて、
知らぬ間に手遅れとなっている姿にも似ている。
しかしそれは決して、
中国共産党が狡猾かつ巧妙で、
そして莫大な軍事力を持っているからでも、
中国国内の経済が発展著しいからでもない。
日本最大の国難、
それは日本の危機に多くの国民が気がついていないからであり、
それはつまり、
このかつて「大和」と呼ばれた国の精神、
大和魂が失われてしまったからである。
この国の男たちが、
「国は人生の土台であり、国が異なれば人生が異なり、
国は人間の幸、不幸を分ける大切なものである」
という大切な事実を忘れて、
時には「草食系」などと呼ばれて、
「国を護る」という気概もなく、
いつまでもくだらないことばかりに心を砕いて、
男子の使命を忘却しているために、
この国は今、ゆっくり滅びつつあるのだ。
しかしそれは決して、
日本の男たちだけに全ての原因があるのではない。
かつて日本と戦ったアメリカは、
アジアの中で唯一、植民地にならず、
しかも一度はロシアを打ち破り、
白人たちに最後まで抵抗を続けて戦った独立大国・日本に、
恐れをなした。
というよりも、白人たちは、
「身を殺して仁を成す」
という「殺身成仁(さっしんじょうじん)」の心意気で生きる、
我々日本男児たちに恐れをなしたのだ。
そして大東亜戦争(第二次世界大戦)以降、
日本にやってきたアメリカが率いるGHQ(連合軍)は、
日本国民の強さの源泉が、
大和の精神にあることを一早く見抜き、
日本国民、とくに日本男児を骨抜きにしようと、
狡猾な策略を練った。
それは「3Sを持ち込む」ということであり、
そして宗教を隅に追いやって、
日本独自の宗教である神道を、
衰退させるということであった。
「3Sを持ち込む」とはどういうことかというと、
「スポーツ文化」、
「スクリーン(映画)文化」、
「セックス(風俗)文化」を流行らせるということであった。
その一方でアメリカは、
大和の精神の生みの親である神道を、
徐々に衰退させていけば、
自然と日本の男たちは骨抜きとなって、
二度とアメリカに歯向かうことはないだろうと、
そう考えた。
そして戦後、65年の歳月が過ぎ去り、
このかつて「大和」と呼ばれた国には、
大和魂はもう欠片ほどしか残っていない。
つまりアメリカの思惑通り、
日本の男たちは、スポーツ観戦、映画やファッション、
性風俗にうつつを抜かしているわけだ。
「己の身を殺してでも仁を成し、
天下国家のために生きよう。
己の身はたとえ滅び去ろうとも、
しかし私の大和魂だけは滅びることはないのだから」
と、
そのように考えている日本国民が、
1億3千万人の国民の中で、果たしてどれだけいるののだろうか?
すでに皆、アメリカに骨抜きにされて、
自分のことしか考えていないために、
真実の大和魂を持つ者など、
百人か、千人か、それとも一万人くらいはいるのか、
もしくは十人もいないのだろうか・・・。
この国は滅びるしかないのだろうか。
では大和魂を蘇らせるためには、どうしたら良いか、
それは大和魂を築き上げた神道を蘇らせることであり、
つまりは神道改革を行っていくに他ならない。
神道とは、古事記、日本書紀などを聖典としていて、
日本古来より続き、
これまでこの日本を支える大きな柱となっていた宗教である。
しかし今では、正月や七五三に神社に行ったり、
終戦記念日に靖国神社に行くだけになってしまい、
神道は確かにかつてより、かなり廃れてしまっている。
この廃れつつある日本神道を改革すればこそ、
大和魂は蘇り、日本の危機は自然と回避されて、
日本最大の国難は、
やがて日本最大の発展へと繋がっていくことだろう。
「では、どうすれば日本神道改革が行えるか?」
ということを考える時、
「真理という名の自然法則は永遠であり、そして一つである」
ということを考えれば、自然とその答えは見つかる。
それはすなわち、間違っている宗教、まぁこれを「邪教」と呼ぶのだが、
邪教は別にしても、
仏教にしろ、キリスト教にしろ、ユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ、
そして日本神道にしろ、
正しい宗教というのは、全て根は同じである、
ということを考えれば良いのだ。
明治期に「大本教」という神道系の宗教を興された出口王仁三郎という方も、
またその弟子として現れ、
後に「生長の家」という神道系の宗教を興された谷口雅春という方にしても、
共に彼らは「万教は同根である」と述べられた。
「万教同根」とは、
全ての宗教はカラー(個性)やレベル(次元)は異なっていても、
しかし真理が一つである以上、根は同じである、ということである。
すなわち、
この国から今、大和魂が失われているのは、
神道が今、廃れているからであり、
そして神道が今、廃れているのは、
神道の中に今、何らかの間違いあるわけであるのだから、
神道改革が今、必要不可欠であり、
そして真理が一つであり、万教が同根である以上、
全ての宗教に対する改革を行えば、
自然と神道改革が行われて、大和魂は蘇っていくと言えるであろう。
アメリカの思惑通りにはめられ続けて、
そして中国共産党の思惑とおりに、
この国をこのまま滅ぼさせて良いはずがない。
日本男児は、いつまで平和ボケ続けて、
眠り続けているのだろうか。