〈前回からの続き〉
「アメリカン・ドリーム」が聞いて呆れる真実の歴史を語らせて頂いた。
これが、キリスト教国家のアメリカの真の姿である。
しかし真実の歴史をアメリカの子供たちに教えたら、
それは国家の存続に関わるために、
今でもコロンブスは、
リンカーンやエジソンやシュバイツアーと共に伝記が書かれて、
そして図書館に並べられている。
しかしすでに述べたが、
真実をもっと明確に述べるのならば、
クリストファー・コロンブスという人物は、
勇敢な英雄などではなく、
実はアドルフ・ヒトラーと何ら変わらないのだ。
これはあくまでも私の予想だが、
コロンブスは自分自身も「黄金が欲しい」と望んでいたが、
しかしその一方で、
彼はスペイン王を始めとする出資者たちに、
「必ず黄金を持ち帰る」とも約束して、
そして黄金が見つからなかったために、
彼は次第に追い詰められ、強迫観念にかられていったのだろう。
だがしかし、だからと言って、
人間を奴隷として連れ去って良いわけがない。
ましてや「神の御名において奴隷を売る」などという言葉は、
支離滅裂な狂気の言葉に他ならない。
そんなコロンブスだが、「彼には篤い信仰心があった」と言われている。
そのためにコロンブスは、
先住民たちに「改宗」を迫ったのだろう。
そして確かに島の至る所に、十字架が立てられた。
しかしそれと共に絞首台も立てられた。
キリスト教に改宗しない者は、即座に殺ろされたのだ。
まぁたとえ生きながらえても、
先住民たちが生存できる可能性は、極めて低かったのだが・・・。
新大陸発見のわずか9年後には、
340台もの絞首代が西インド諸島に建てられたという。
こうしたコロンブスを始めとするアメリカの歴史の流れを見ればわかるように、
アメリカ合衆国のキリスト教精神には、
明らかにイエスの愛の教えとは異なるものがある。
イエスは「自分を愛するように、隣の人を愛せ」と教え、
「幼子のように心に汚れない者にこそ天の門は開く」と教え、
「悔い改めよ、さすれば天の門は開かん」とも教えたが、
しかし白人たちが、
先住民、黒人たち、アジアの人々といった有色人種に対して行ってきたことは、
イエスの教えとは、明らかに正反対とも言える。
隣人を愛さず、心は汚れ、悔い改めることはない歴史。
その原因の一つは、すでに述べた
「キリスト教の基盤となっているユダヤ教が、
自分たちの進歩のためには、手段を選ばず犠牲を省みない」
ということもある。
その他にも、
「神は自分の姿に似せて人間を作り、様々な動物は人間のために作られた」
というユダヤ・キリスト教の教えも、
原因の一つになっているだろう。
なぜなら「自分たちこそ優れた人種である」と考えていた白人たちは、
「動物たちは人間のために作られた」というこの教えを曲解したからだ。
つまり白人(アングロサクソン)たちは、
モンゴロイド(黄色人)やネグロイド(黒人)を、
「自分たちと同じ人間」とは見なさず、
「自分たちのために動物」と見なした面が相当強いのである。
そのために彼ら白人たちは、
同じ人間であるにも関わらず、
アメリカ先住の人間にも、
アフリカの人間にも、
オセアニアの人間にも、
アジアの人間にも、
隣人として愛を与えることなく奪い取ることばかりで、
家畜を屠殺(とさつ)し、肉を削ぎ取り、それを喰らうからのごとく、
有色人種たちを虐殺し、略奪し、強姦しても、
何も罪の意識を持たなかったのである。
ではなぜ、キリスト教を信じる彼ら白人たちは、
有色人種を同じ人間と見なさなかったのだろうか。
それは「イエスの教えが、きちんと後世に伝わっていなかった」、
と言えば、おそらく誰もが驚くことだろうが、
これは真実である。
ではイエスが説いていながらも、
後世に正しく伝わっていない教えとは果たし何か?
すでに述べたように、エドガー・ケイシーは、
「人間の生命」に関しても質問された。
(エドガー・ケイシーについて知らない方はコチラ)
つまり催眠状態のケイシーが、
スピリチュアルに強い関心を持っている友人に、
「人間とは死だらどうなるのか?」と、
そう質問されたわけだ。
しかし催眠状態の中でそう質問されたことが、
ケイシーの人生を根底から覆してしまうことになるとは、
彼自身も全く予想していなかった。
ケイシーは催眠状態から覚めて、
自分が「生命の真実」に対して語った言葉を聞かされて、
身震いし、驚愕し、恐怖し、
そしてこれから先、自分はどうすればいいのかと苦悩したのだ。
なぜならば催眠状態だった彼の口から、
「生まれ変わり」、
つまり「転生輪廻」という仏教の教えが出てきたからだ。
それは敬虔なクリスチャンであった彼にとって、
予想外の出来事であり、
また苦しみ以外のなにものでもなかった。
催眠状態の中で彼は、
「人間とは肉体が滅んでも心だけは滅びることなく、
様々な時代に、様々な土地で、様々な民族や人種と成って、
心だけを唯一の持ち物にして、
何度も何度も生まれ変わりを繰り返している霊的存在である。
そして人は、喜びも苦しみも他人に与えたものは必ず自分に返ってくる」
と語ったのだ。
実はこれは精神科医のブライアン・L・ワイスも同様であり、
彼も自分の患者に対して催眠療法を行っているうちに、
「人は心だけを唯一の持ち物に何度も生まれ変わりを繰り返している」
という真理に出会い、とても驚き、そしてとても動揺した。
(ブライアン・L・ワイスについて知らない方はコチラ)
なぜなら彼もクリスチャンでもあり、
そしてキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の教えの中には、
実は霊の存在や天国地獄に対しては書かれていても、
しかし仏教徒で言うところの「転生輪廻」、
すなわち「生まれ変わり」そのものについては、
何も書かれてはいなかったからだ。
だからキリスト教では、
「人間は母の胎内に宿る時に、
神より生命が創造されるのだから、
過去の人生などというものはない。
そして死んだら人間は天国と地獄に分けられて、
そこで永遠に生きていくのだから、
未来の人生などというものも当然無い」
という考え方が、一般的となっている。
しかしブライアン・L・ワイスは、
「生まれ変わり」という仏教の教えに出会い、
「新約」「旧約」を問わず、聖書を一から学び直してみた。
そして彼は聖書を読み返すことによって、
仏教で言う「転生輪廻」は、紛れも無く真理であり、
人は心だけを唯一の持ち物に生まれ変わりを繰り返していると、
「確信」するに至ったのだ。
敬虔な信仰心を持たれている方であればあるほど、
自分が信じている宗教以外は全て間違っている宗教だと考える。
そのために、
真理という自然法則は一つであるというのに、
人類は長らく宗教によって、
争いを繰り返してきたと言っても過言であるまい。
キリスト教徒は仏教を「悪魔の宗教である」と考えることがあるし、
また古から伝わる仏教徒も、
キリスト教やイスラム教やユダヤ教に対しては、
さほどの興味も、関心も持っていない。
特にエドガー・ケイシーは、
とても敬虔なクリスチャンであったから、
自分が「生まれ変わり」という仏教の教えを語ったと聞かされて、
「自分の中に悪魔が入り込んだのではないか」と、
恐れをなしたほどであった。
クリスチャンであったケイシーは、
自分の不思議な能力が人助けに役立ち、
神の為になるのであるならば、お金など受け取らずに、
その能力を使い果たそうと想っていた。
しかし逆にもしも自分の能力によって、
人々を混乱させて、自分が神の御心に背くのであるならば、
すぐにでもその能力を使うことをやめて、封印しようと決心していた。
そんな彼であったために、
「生まれ変わり」という仏教の教えを自分が語ったことによって、
ついに彼はその判断を迫られることとなった。
彼は自分がイエスに背いているのか、それとも背いていないのか、
そうしたことを迷い始めたのである。
しかしその後、彼は何度も催眠状態の中で、
「生まれ変わり」という真理に触れていくうちに、
やがて「人間は心だけを唯一の持ち物に生まれ変わっている」と、
そう確信するようになった。
なぜなら彼が催眠状態で語る、「転生輪廻」に関するの内容は、
決してイエスの愛の教えと何一つ矛盾するものではなかったからだ。
いやむしろ、彼が「生まれ変わり」について語る時は、
必ずと言っていいほど聖書が引用されて、
そして何度もイエスの名前が登場した。
そしてそうしたことを受けて、
迷っていたケイシーは、
もう一度聖書を事細かに読み返して、勉強し直してみたのだ。
すると彼は、
「イエスは転生輪廻を否定してはいない、
明確に説かれている記述は確かにないが、
むしろイエスは転生輪廻を肯定している」
という考え方に変わっていった。
すなわち敬虔なクリスチャンが、
自身の体験から聖書を学び直すことによって、
仏教の「転生輪廻」は真理であると悟ったわけだ。
それはこういった理論である。
聖書にイエスの髪の毛について書かれている箇所はどこにもない。
しかしイエスに髪の毛が無かったかというと、そうではない。
これと同様に、聖書に「転生輪廻」の明確な記述が無いからといって、
「転生輪廻が真理(自然法則)ではない」と誰も言いきれないわけだ。
そして聖書に「転生輪廻」の記述が無いからといって、
クリスチャンが「転生輪廻」を否定しなければならない訳でもない。
こうしてエドガー・ケイシーは、
幾度も催眠術にかかり、生命の真実を探求していくうちに、
「人間とは転生輪廻を繰り返して、
様々な時代に、様々な土地に、様々な民族や人種で生まれ、
己の心、魂を磨いている霊的存在である」
ということを確信するようになった。
エドガー・ケイシーも、ブライアン・L・ワイスも、
共にクリスチャンであり、共に霊の存在は信じていたが、
転生輪廻については全く信じていなかった。
しかし全く信じていなかった二人に、
アメリカ合衆国という国において、
「催眠術」というものを通して、
時代を超えて同じ様な体験が起きたのだ。
もしもキリスト教に、
この「生まれ変わり」の教えがあれば、
アメリカ大陸にやってきた白人たちも、
ネイティブ・アメリカンを「動物の仲間」」だとは見なさず、
「自分たちの同胞」と考えて、手厚く扱ってことだろうし、
おそらくそれは、
その後、奴隷にされてしまう黒人に対しても、
あるいは植民地支配されてしまうアジアの人々に対しても、
同じことが言えるだろう。
つまりもしもイエスの教えの中に、
転生輪廻の教えが含まれてさえいれば、
アメリカの独立宣言にある
「すべての人間は平等につくられている」
という言葉も、
白人のみならず、先住民や黒人やアジアの人々も含まれていて、
白人が築き上げてきた暗黒史は、
もっとより素晴らしいものとなっていたわけだ。
ではイエスは、生まれ変わりの教えを説かなかったのだろうか?
本当にイエスの教えは、正しく後世に伝えられているのだろうか?
もしもイエスが「生まれ変わり」について教えているのだとしたら、
そしてアメリカ合衆国がキリスト教国家だと言うならば、
アメリカ合衆国は今こそ、反省宣言を行うべきだろう。
「肌の色が何色であろうとも、
すべての人間は平等につくられているというのに、
我々アメリカ合衆国は、これまで多大な過ちを犯し続けてきた」
と。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、冷戦、
こうした幾たびの戦争を勝ち抜き、
経済、軍事と共にトップの座を一人勝ちしている超大国アメリカ。
このスーパーパワーを誇るアメリカ合衆国が、
己の間違った歴史を素直に認めて、
そしてきちんと反省した時、
人類はまた一歩、平和へと向けて進歩することだろう。
そして大和魂が大いなる平和・調和を求める精神である以上、
世界人類の平和に向けて貢献するところに使命があると私は思うゆに、
今まで人類の謎とされてきたイエスと生まれ変わりの謎を、
これより明確に解いていきたいと私は思う。