昨日のコメント欄で、
「仲間」と「裏切り」という言葉を使われた方がいたので、
私なりに感じること、
あるいは思いついたことを、
書いてみたいと思います。
ちなみに、
一日四件のブログ更新は、
久しぶりです。
なんだったけな?
テレビで何かの不良映画の特集やってて、
そして、
まぁそうした世界とは、
無縁な女性がその映画を鑑賞してて、
涙を流してんだ。
そいでもって、
どうして泣いたのかを聞いてみると、
「仲間意識に感動した」
って答えてた。
なるほど、
確かに色々な雑誌や本の取材を受けて、
いつも言われるのが、
「昔、不良やってた人は
仲間意識が強い」ってことだ。
まぁね、
ガキの世界でも、
間違った暴力の世界でも、
「戦友」
みたいなところはあるからね。
オイラも乱闘の時、
後ろから角材で、
頭を何発もひっぱたかれて、
振り返ったら、
喧嘩相手が王貞治みたいに、
フルスイングで構えてて、
気絶しそうでクラクラしてたら、
仲間がタックルして、
助けてもらったこととか、あるかんね。
もちろん、その逆もあるしさ。
みんなで、
車でひかれたこともあるしさ。
身や命を張って、
一緒に戦っていたから、
仲間意識が強いのかもな。
でも、人間なんざ、
みんな弱い部分を持っている。
金に弱い奴、
女に弱い奴、
薬に弱い奴、
まぁ色々といるだろうが、
こうしたことで、
「裏切り」が生じることもあるだろうな。
あるいはさ、
個性も様々だ。
だから生き方も様々でさ、
俺みたいに、
まぁ変わった人生を生きる奴もいれば、
女房子どもに囲まれて、
普通に生きる奴もいれば、
会社の社長になったり、
格闘家になったり、
音楽やる奴もいてさ、
生き方もバラバラさ。
そうしたことから、
特に俺なんか、
「天下国家」と連呼して、
誤解されちまうことも多々あるもんさ。
な~にをしてるか、
分からないからさ。
この誤解も、
やはり「裏切り」になっちまうこともあるだろうな。
つまり「仲間」と「裏切り」ということを考えた時、
「弱さ」や「誤解」が、
仲間を引き裂いちまったりするんだろうな。
そん時、
どんだけ仲間を「信用」できるか、
どれだけ仲間を「許す」ことができるか、
ここが、
仲間との絆を保っていく秘訣じゃあねぇだろうか?
仲間を信用することも大切だし、
仲間を許すことも大切だし、
そして仲間から信用を失わないように、
出来る範囲で、
努力することも大切だし、
あるいは時には、
言葉でもって、
誤解を解いていくことも大切だと、
オイラはそう思う。
だが、
オイラは何度も何度も言うが、
「友は
米でもなければ、
ワインでもない」
つまり、
米は新しいものが良いし、
ワインは古いものが良いが、
友は新しさや古さではなく、
互いが互いを想い合うことによって結ばれる、
絆こそが大切だ。
百年かけても、
心を通い合わせられない仲もあるだろうし、
一日で心を通い合わせられる仲もあるだろさ。