お亡くなりになったんですね…。
私がプロレス・ファンになったころ小林さんは新日本に移られた後でした。
アントニオ猪木、坂口征二に次ぐナンバー3のポジションではありましたが、ジュニアの藤波辰巳が大ブームを起こしたころなので実質ナンバー3より一歩引いた感じでした。
小林さんというと猪木さんとの一戦ですよね。
1974年3月19日蔵前国技館。
プロレスの異分子同士の対決、違う勢力同士のぶつかり合いっていくつも繰り返されてきましたが、猪木vs小林はそのどれよりも刺激的だったのではないでしょうか。
リアルタイムで体験できた人がすごくうらやましいです。
試合を超えた試合ですよね。
今映像見ても会場の異様な雰囲気に圧倒されます。
フィニッシュの猪木さんの足がピョーンと跳ね上がるブリッジのジャーマンが伝説となっています。
試合全体は小林さんがいい感じで攻めてるんですよね。
小林さんは正攻法でガンガンいって猪木さんが絶妙にアクセントを入れていく、この展開が非常にスリリングです。
私は同じ年の12月の再戦が好きなんです。
3月の試合の敗戦後小林さんはアメリカ遠征に出発。各地区で活躍したのち帰国し猪木さんとの再戦に臨みました。このときの小林さんが自信に満ち溢れていて格好良かった。
以前も書きましたけど、猪木さんのナックルパートにカッとなってコーナーマットでパンチの試し打ちをしてから猪木さんに殴りかかるシーンが大好きです。
あとワンハンドバックブリーカーが素晴らしい。
ワンハンドの元祖といえばビル・ロビンソンですが、ロビンソン以上に豪快に叩きつけてました。
猪木さんに返り討ちにあうんですが、ストロング小林あっぱれな試合でした。
20年くらい前に出たプロレスMOOKで昭和プロレス研究室のミック博士が小林さんにインタビューした記事が印象的です。
「世紀の大勝負」vs猪木戦を本人はあまりピンときていなかったそうで。
名勝負ってそういうものなのかなぁ。
猪木さんが最高の名勝負といわれるロビンソン戦に本人はあまり思い入れないのと似てるかも。
「猪木さんがすごいといっても、私は世界中をサーキットしてきた自負がありますもん」
みたいなことを言っていたと思います。
ここらへんは矜持かな。
「私が新日本に来た頃、新日本のテレビ中継は全国でそんなに流れてなかったんですよ。私はネット局の多いTBSで中継してた国際プロレスの王者だったから結構知られていたんだよ」
昭和40〜50年代までNET(現・テレビ朝日)は系列局少なかったですもんね。
TBS系列は当時からネット局が多かった。
うちの田舎もそうですが一番強い民放がTBS系列のエリア多くありました。
普段新日本の中継が流れてない地域での興行で小林さんの知名度に助けられた面あったみたいですよね。
ストロング小林、生粋のパワーファイターでした。
日本人レスラーって大型、あんこ型でも最終的に技術に走るレスラーが多い気がしますが、小林さんはリング降りるまでパワーファイターでしたね。
ミックさんのインタビューでケニアだったかアフリカのどこかで試合した話が良かった。
「その日たまたま海上自衛隊の人たちが現地に寄港してて大人数で観に来てくれたんですよ。三三七拍子で応援してくれてね。あのときは嬉しかったなぁ」
アントニオ猪木は全員が敵かもしれない異国にリスクを顧みず乗り込んでいき結果的に伝説を作る。
ストロング小林はプロレスの旅をして地球の裏側の異国にたどり着いたら同じく母国から旅してきた人たち(海上自衛隊)と出会い心通わす。
何か二人の対比した人間像を表しているようです。
ストロング小林選手のご冥福をお祈り申し上げます。