私「飛龍革命」の味方です | ミスター・プロレス・アワー

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プロレスの歴史を振り返るとき藤波辰巳(辰爾)の「飛龍革命」を忘れてはいけません。

革命勃発のシーンとされる沖縄の控室での猪木さんとの問答があまりにも有名です。
滑舌の悪い藤波が興奮して叫んでいるので発言が聞き取れず、今となっては珍妙なエピソードとして語られることが多いです。
私個人このやり取りはさておき、この当時の藤波の頑張りに感銘を受けました。

当時新日本は沈滞ムードでした。
テレビ中継がゴールデンタイムから撤退し、新日本を解雇された前田日明が新生UWFの旗揚げを発表し話題になり、前年二度の暴動騒ぎを起こしファンの信頼を失い、エースである猪木さんの限界説が叫ばれてもありました。
 
ビッグバン・ベイダーがエース外国人でしたが、この当時ファン受けはあまり良くなかったんですよね。
前年末たけしプロレス軍団の刺客という触れ込みで新日本に登場。
ベイダー自身に責任はないんですけど、強引なカード変更等でファンが怒り暴動騒ぎになりました。
そういう登場の仕方でしたのでファンも色眼鏡で見てる部分ありました。
 
反則負け以外無敵だったベイダー。
ベイダーに一矢を報いることができない猪木さんにファンのフラストレーションも溜まっていたと思います。
 
沖縄の問答のあと猪木さんはランニング中に骨折して欠場することに。
そんな大ピンチの中立ち上がったのが藤波でした。
 

4月の大阪府立で藤波はベイダーと初シングル対決。
反則負けしかしていなかったベイダーにリングアウト勝ち。
フォール勝ちではないものの藤波が勝利をあげ意地を見せました。
 

5月のGW明けの有明コロシアムでベイダーとIWGPヘビー王座決定戦で再激突。
猪木さんが負傷のため返上したので二人の間で決定戦が行われたんですよね。
このときは藤波の反則勝ち。
反則勝ちでも勝ちは勝ちなので藤波が新王者に認定されました。
「猪木さんに勝つまでベルトを腰に巻かない」と頑な藤波の姿が印象的です。
 
記憶が正しければこの有明コロシアム大会、雨で順延したんじゃなかったっけな??
順延した影響もありあまり入りが良くなかったような気がします。
 
先の大阪大会もあまり入りが良くなく、有明も不入り。新日本はこのろつらい時期だったように思います。
 

5月後半に開幕したシリーズでIWGP新王者藤波のタイトルマッチが連発。
仙台でしたっけね、長州とのタイトルマッチがノーコンテストか何かで終わったので王座預かり。
王座預かり、新日本よくやってましたよね(汗)
 
同じシリーズの大阪大会で藤波と長州の間で王座決定戦が行われ、藤波が首固めで勝利し王座返り咲き。
このときも頑なにベルトを腰に巻かなかった藤波。
 
一か月余りの間に二度も王座決定戦が行われるのは何ですが、この試合は内容も良く藤波がクリーンフォールで勝利したのでハッピーエンドだったと言えるでしょう。
会場は前月のベイダー戦と同じく大阪府立。
前月より入りが良くて盛り上がっていたように思います。
 
長州との決定戦に勝った翌々日、名古屋でベイダー相手に初防衛戦。
ベイダーの猛攻を振り切り逆さ押さえ込みで勝利!
日本で初めてベイダーに初フォール勝ちしたレスラーは藤波なんですよね。
暴動騒ぎの両国登場以来、暴れたい放題だったベイダーにクリーンフォール勝ち。多くのファンが留飲を下げたことでしょう。
 
押しも押されもせぬIWGPヘビー級王者になった藤波。
ここからあの「8・8」横浜での猪木さんとの伝説の試合に続いていくわけです。
 
新日本プロレスが「まずいことになってるな」と感じたことは何度かありますが、1988年の前半もその一つです。
そんなとき必死に頑張っていたのが藤波です。
藤波が前面に出て頑張らなかったら新日本はもっとまずい方向に行っていたように思います。
 
「飛龍革命」というと沖縄の問答の話になってしまうんですけど、長州、ベイダーに連勝して猪木さんとの伝説の試合にたどり着く、これが本来の「飛龍革命」なんですよね。
数々の騒動やスキャンダルに辟易していた新日本のファンに原点を見せつけ再び熱狂させた。
このころの藤波素晴らしかったです!
私「飛龍革命」の味方です。