「工場の中に入る前に、皆さんにお見せしたい興味深いものがあります。」
案内役を買って出た社長はそう言うと、
工場に向かう廊下に飾ってあった一つのチャートを指さした。
「これ、何だと思います?」
何だって言われてもねぇ。
縦軸にゼロから160までの数字が、横軸に1月から12月までが書かれている。
あっ わかった!社長の血圧管理表 だろう。
売上が少ない月は血圧が上がるから注意しろ!と、社員に警告しているに違いない。
上手いやり方だ。日本にも輸入しよう。
すると社長が説明を始めた。
「これはですね。東独時代につくられたもので、計画経済に基づいて生産を行うための表です。
当社が創業した1979年当時、企業を興すことはとても困難なことでした。
なぜなら1972年以降、東独政府はより社会主義を徹底させるために、5人以上の私企業を
すべて国営化し、基本的に私企業は認めない方針を打ち出したからです。
私の一族は、祖父は製紙、母は植字と、皆が印刷関連企業で働いていたということもあり、
父は印刷会社を創業したいとの夢がありました。
そこで、この計画経済に基づいた生産計画表をつくり、社会主義に合致した会社であることを
アピールして、起業を認めてもらったのです。」
フム、お父さん苦労して起業したんですね。
社会主義は、基本的に人間の「もっと働きたい!」という意欲を認めない。
働きすぎてはいけないのである。競争してはいけないのである。儲けてはいけないのである。
計画以上に作ってはいけないのだ!
自由主義の経済原理は、市場における需要と供給という神の見えざる手に委ねられるが、
社会主義の経済原理はあくまで国家による計画に基づいて企画される。
所謂、レーニンによるゴエルロプランであり、スターリンによる5カ年計画である。
結果的に重工業や宇宙開発は進展したかもしれないが、人々の生活は豊かにならなかった。
皮肉にもこの計画経済に着目し取り入れたのは、戦前の日本、ドイツ、イタリアという
全体主義国家だけであった。
まあ、能書きはこのぐらいにして、工場内を案内していただくことに。
最初は、印刷用のデータをつくる作業である。
次に、そのデータを印刷できるような版にする作業である。
そしていよいよ印刷。
最後に仕上げの加工である。
驚いたことは、ここにある機械や機器のほとんどがドイツ製か日本製だということだ。
ここにある機械と同じものが当社にもあるし、製造方法もほとんど同じである。
対照的なのが、昨年、中国大連で見た印刷会社である。
中国の印刷会社は、外資との合弁企業を除けば、恐ろしく古めかしくインチキ臭いものであった。
(使っているソフトや機械がどれもバッタもの)
このあと、社長の話を聞くことに。
いよいよ我が業界を救う機密情報が明らかになるのか!?
期待と不安が交差した。
<つづく>