一昨年、尾瀬スノーハイキングでご一緒した人が持参していたカムチャッカで買ったという、ペットボトルのビールを私もエリゾボのスーパーマーケットで購入して記念に持ち帰りました。
私は酒を飲まないので、旅行の記念としてペットボトルだけカムチャッカの空気と一緒に日本に持ち帰りました。
後で考えれば、このペットボトルのビールがアバチャベースキャンプの山小屋の入り口に山と積まれていたので、スーパーマーケットでわざわざ購入し中身を捨ててペットボトルを入手する必要などはなかったと思いました。
山小屋には冷蔵庫も無かったので、ベッドや机に置きはなしてあり冷えてはいませんでしたが、酒飲みの皆さんは毎日寝る前に何本か飲まないと気が済まないようでした。又、夕食時に食堂にビールを持ち込んで飲んでいる人もいました。
このビールはそれ程冷えていない状態でも「まずくて飲めない」という人はいなかったので不評ではありませんでした。
ペットボトルのラベルデザインはカムチャッカ半島に多い山頂が細い山が描かれています。コリャーク山もそういう形でしたし、NHKグレートサミットで紹介されたクリチェフスカヤも同様の形でした。カムチャッカでは山といえばこういう形を想像するのかというも分かって興味深く思いました。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
帰国する前にスーパーでお土産品を色々購入しましたが、一番高価なものが「チョウザメ(BELGA)」マークのウォッカでした。現地ガイドのアンナさんは多数あるウォッカの中で迷わず「これがおすすめです」と言ったので棚に並んでいたBELGAウォッカは殆ど無くなってしまいました。私は酒好きの知りあいの顔を思いだしながら3本購入しました。現地価格で3000円(500ml)を切るくらいの価格だと思いましたが、ある人の話によれば日本では1万円以上もすると言う話も聞きました。酒瓶のチョウザメも立体的に張り付けられているので高価であるというのは外観からもうかがえます。
ツアーメンバーの中ではもっと安い小壜が無いかと叫んでいる人も結構いましたが、折角のお土産なのでケチケチしたくないと思いきって買いました。私が3本買ったのを見て「大人買いですね」とほめているのか皮肉なのかと思えるような声が聞こえてきました。
ウォッカは純度が高いので「アルコールをのんでいるようなものですか?」と私がお土産として渡した当人に感想を求めると、「さらっとしてどんどんいけちゃいますね。もったいないので一度には少しずつしか飲みませんよ」と言って大切に飲んでいますという解説をしてくれました。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
JRの切符売場では私の前には、私同様リュックサックを背負った年配の男が窓口で切符を買っていましたが、色々な質問を窓口の男にしていてなかなか切符を買おうとはしませんでした。その後姿を見ていると要領の悪い男だと段々といらいらしてきました。ようやく男が窓口から動いたので直ぐに「一番早い池袋行きの成田エクスプレスはありますか」と質問すると「スカイライナーの方が早いですよ」と言われて拍子抜けしました。時刻表を見ると1時間以上も先にしか電車はないようでした。時間的には一番乗客が少ない時間だったので電車が無かったのかもしれませんでした。確かに人数が少ないのは京成スカイライナーに乗車して分かりました。
直ぐに横にある、京成電車の切符販売窓口に移動して、一番早く乗車できるスカイライナーの乗車券を購入してから、弁当屋で昼飯用にさっぱりしたものを食べたいと思って鯖寿司を買ってからホームに降りました。
そしてホームで電車を待っていると添乗員のKNさんが電話をしながらたっている所に出会いましたが、KNさんは電話に気が取られているらしく私には気づきませんでした。KNさんはそのまま何処かに行ってしまいました。
午前11時59分発のスカイライナーがホームに到着すると、これから海外に行くらしい人が大勢降りてきました。このホームの人たちを見ていると、明らかに出国する人の方が多いので夏休みの取り方が早かったのかなと思いながら電車に乗車しました。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
飛行機のドアからつながる階段を下りると、炎天下「おかえりなさい」と言ってバスに誘導する年配の男がいました。バスは座れる場所があったのでここでもMTさんとMZさんの隣に座って28番ゲートまで移動しました。出発した59番ゲートの先のようでした。ここからパスポートチェックをして荷物を受け取るターンテーブルのある場所まで移動して荷物が出てくるのを待ちました。
ターンテーブルがぐるぐる回る場所でツアーメンバーの男性と「いくらの汁がスーツケースから出ていますかね」とか「ウォッカの壜が割れて漏れていますかね」と冗談を言い合いながら荷物の出てくるのを待っていると、私のスーツケースは案外早く出てきました。スーツケースから水は漏れていなかったので一安心しました。
STさんに「有難う御座いました」と言うと「流れ解散にしますか・・・」と言っていましたが、私は一目散に帰りたい一心でしたのでさっさと税関を通って外に出ました。時計を見ると午前11時半頃になっていましたので、成田に飛行機が着陸してから小1時間を経過していることが分かりました。
それから両替所で持参した残りの米ドルを日本円に両替をすると、1万円を少し超える程の金額だったので現地では3万円ほどを使ったのが分かりました。
この時、窓口にも財布にすごい厚みのルーブルの札束を持った男が現われて「ルーブルは両替してくれますか」と質問して両替をしてくれる銀行を教えてもらっていました。ルーブルを持っていたので多分同じ飛行機で帰って来た人だろうと思いましたが、我々のツアーでは現地ガイドのアンナさんがこまめにルーブルを両替をしてくれていて最後には使い切るようにアドバイスをしてくれたので、日本までルーブルを持ち込んだ人はいないと思いました。ツアーによってそういう心配りができていないのがあると思いました。ルーブルの両替は日本では両替率が悪いのでアンナさんに両替してもらって下さいと、STさんは木目細かいアドバイスしていました。ツアーによってはそういうことが出来ていないという事を知ったのでした。
両替を終わって電車に乗るためにエスカレータの前に行った時、税関から出てきたツアーメンバーの10人程が集まって何か話しをしていました。昼飯でも食おうかという算段だったかも知れませんが私は急ぎで帰りたい一心だったので、ツアーメンバーを尻目にしてままエスカレータで地下のJRの切符売場に行きました。
イメージ 1
 
午前10時15分、ウラジオストック航空の成田行き特別運航便はペトロパブロフスクカムチャッキー空港を離陸をして成田に向かいました。時差が3時間あるので成田到着は午前10時40分ということになりました。行きは3時間遅くなり到着が夜になりましたが、帰りは早過ぎて午前中に到着しました。
空港を離陸をすると窓から直ぐに山が見えました。来る時は曇りで何も見えなかったのですが、帰る時になってカムチャッカの山々が見えて皮肉なツアーになったものだと思いました。コリャーク山らしい山をお別れの記念として窓際に座るMZ水野さんにお願いして撮影してもらいました。MZさんやMTさんが「あの山を撮影しよう、もう一度撮影して、とか言っていると」前の席に座っていた件の男口調の女が我々の方を見ないで座ったまま「機内ではカメラを使っちゃ駄目なんだよ」ときつい口調で言ったのが聞こえて私が「電子機器から強い電波が出ないものは問題ないと思いますが・・・」と反論を前に座る女に返しましたが無反応でした。
 
ペトロパブロフスクカムチャッキーから成田まで航行している3時間は、昨晩寝不足なのを補おうと思い目を閉じても機内がざわざわして眠ることができませんでした。他のツアーの添乗員が座席を回って感想を聞いたり、書類を渡したりとか仕事をするので落ち着いた雰囲気にはなりませんでした。機内には前方と後方に二つのトイレしか無いので何時もトイレの前には列ができていたこともあったかも知れませんでした。そのトイレもツアー中に溜まり込んだ臭い糞を出した人がいて臭くなり、客室乗務員が消臭スプレーをトイレ内に撒いていました。
機内の一番後ろのトイレに行った時、座席にゴミがあるらしく掃除をしているのを見かけました。その掃除をしていたのが草を集めて作ったような箒でした。面白いものがあると思って後ほど写真を撮らせて欲しいというとお断りですと言われました。この時のウラジオストック航空の客室乗務員は英語が堪能に話せたのが驚きでした。
午前10時15分発の飛行機で到着が10時40分では機内食は出ないのかと思いましたが、時差を考えない時刻では成田到着は午後1時半くらいになるので、昼食としての機内食がでたのだろうと思いました。
行きは日本製でしたが帰りは当然ロシア製でした。体裁の整えた箱に料理が入っていて丁寧に作られていると思いました。ぱらぱらのごはんの上に焼いたチキンの乗ったもので、ロシアの料理はこれで終わりだと思ってゆっくり食べるとまあまあ美味しく食べられました。チキンはお約束通りに骨つきなので少しずつ肉をとってたべました。隣のMTさんは年齢のせいかどうかは分かりませんでしたが、不器用に中途半端な食べ方で骨についた大半の肉を残していました。小さなプラスチックのカップが箱の中に入っていて、お茶か珈琲を飲めるようになっていました。しかし食事が終わっても客室乗務員がなかなか現われないので、仕方なく箱はきれいに閉めて座席の下に置いて、カップだけテーブルに置いてお茶を注ぎに来るのを待っていました。ひょっとして客室乗務員も一緒に食べていて、食べ終わってから飲み物のサービスに来たのかと思える程時間が経過していました。
この日の朝食は、パラトゥンカ温泉郷の食堂で食べた軽いものだったので少しお腹が空いていたのが美味しくロシア製の機内食を食べられた理由かもしれないと思いました。
又、機内では飲み物サービスが何度も来ましたが、ジュースやお茶ばかりで、酒飲みの連中にはいささか不満があったかも知れませんでした。
 
隣の席のMTさんは酒を飲んでいないのにも係わらず、時々寝ていたので疲れがでたのかと思いましたが、目が覚めているときは少し会話をしました。特にアバチャ山で「STさんに荷物を持ってもらいなさい」と言ってくれたことが助かったと言うと「あなたが頑張っているのが分かったのですが、頑張り過ぎると最後には動けなくなってしまうのですよ」と訳を説明してくれました。行きの飛行機内でMTさんがメキシコの登山に行った時「あなたと同じように仕事をしている40歳代の男が途中で動けなくなりました」という話を聞いていたので、MTさんは同じ光景に見えたのかも知れませんでした。
それからMTさんがまめに時間を手帳に記録しているので「それはどうするのですか」と質問すると「帰ってから写真の整理をする時にコメントを書くのですよ。その為に細かい時間を記録しておくのです」と言ってから「写真集は結構丁寧に作っていますよ」と自慢したいような口ぶりでした。「それじゃあパソコンは使えるのですか・・・」と質問すると「いや、そういう方面はからっきし駄目でしてね」と答えて写真の整理用だけにパソコンを利用していると言っていました。
機内サービスの飲み物を飲んだり、機内食を食べたりしていると時間は随分と経過しているように感じました。一番前の席から順番に後ろの25列の座席に順番に飲み物を注いで回ると、始めてから終わるまでに15分以上はかかり、次にカップの回収をするという時間を考えると、1回当たりの飲み物サービスで掛かる時間は30分くらいだと思いました。このサービスが機内食を含めて4回あると、それだけで2時間はかかり、何をするでもなくぼんやりしているだけでも飛行機に乗っている3時間はあっという間に過ぎていきました。
出発の時は機内は涼しいような気がしていたのが、成田空港が見えた時にはむしむしするように感じられたのは機体を真夏の太陽が照らしていたせいかも知れないと思いました。
午前10時40分定刻通りに成田に着陸したものの、機外に出る場所は搭乗した時と同じ成田空港の一番端らしく、機外に出たのは午前10時55分でした。飛行機が停止しても移動用の階段が飛行機に接続されて、飛行機の扉が開くまでに少し時間が掛かりました。
機外に出る時、ウラジオストック航空の客室乗務員が見送ってくれましたがロシア語では無く日本語で「さようなら」と言っていました。この飛行機の乗務員は英語や日本語に慣れているように思いました。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
午前9時半になるとロシアの若い美人の女性がロープを開けたので漸くバスに乗り込むことが出来ました。バスは5・60人乗れるようでしたので、何度か往復して飛行機のある場所まで5分ほどで移動しました。
帰りのウラジオストック航空の飛行機はエアバスA320でしたが来た時とは少し違う機体のようでした。機内の座席は普通のエコノミークラスと同じくらいの狭さで、窓際の人が通路に出るには横の人は席を立たなくては出られない狭さでした。
チケットを見ると私の座席は窓際でしたが、外を見たくもないので通路側の席に座って隣に座る人を待っていると、MTさんとMZさんが現われました。私はMZさんに窓際の席を譲りますと説明して通路側に座りました。行きも帰りも同じ三人で同じ座席の位置で移動したということになりました。
座席の肘掛を見ると灰皿が付いていたので、禁煙になる以前の機体で時代を感じさせました。当然ながら座席の後ろにも画面は無く、行きの時と同様避難についての説明だけに天井から小さな画面が出てきて緊急避難時の説明をしていました。
この時、以前に搭乗したニュージーランド航空では避難の説明の時は客室乗務員が通路に立って救命具の使い方のデモをしていたのを思い出したのですが、この飛行機では避難説明を画面で流して形ばかりだという風に感じて、緊急避難の航空会社の考え方の違いを感じました。飛行機が落ちるときは命なんか無いので丁寧に説明しても無駄であるという風に考えているのかなと思いました。
MTさんは「酒が無いから困ったものだ」と言って司馬遼太郎のロシアの本を開いていましたが、読んでいた頁はさほど進んでいないようでした。
飛行機の中を見ると来た時と全く同じ150人が座っているようでした。ペトロパブロフスクカムチャッキーと成田との直行特別便なので、この飛行機の運航時に合わせて企画されたツアーなので、行きも帰りも同じツアーの乗客であったということが分かりました。しかし成田までは満員でも「帰路はウラジオストックに帰るにしても何人のロシア人が利用するのかね」というのは誰しも思うことで「帰りは空でかえるのだろうね」と言っている人がいて皆同感だと思いました。
この飛行機の客室乗務員の女性の器量は普通でしたが、一人だけ少し肌の色が少し黒い女性がいて目鼻立ちがはっきりしている女性がいました。インド人との混血かと想像をしました。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
                                        ( ウラジオストック航空の路線図 )
出国検査を経て建物の外で時間待ちをする小さな広場に出たのが午前8時ころでした。空港に到着したのが午前7時くらいだったので待ち時間を含めた検査は約1時間も掛かったということでした。
KNさんが「今日は晴れだからいいですが、雨だと傘がいるのです」と言われて傘を持参する意味が始めて分かりました。傘は山で使用するのではなくて、この空港で1時間以上も屋根の無い広場で時間待ちをする時に雨が降ると傘は必須だと思いました。この場所で雨の時は、私は登山用の雨具を着るしかなかったと思い、傘を持参しなかったことの反省と同時に晴れてよかったと思いました。コンクリートの上に小さな水溜りがあったので、朝方は小雨が降っていたかもしれませんでした。
この小さな広場の一番奥に張ってあるロープのある先に小形のバンが停車していたので、この車で人を乗せて何回も飛行機との間を移動するのかと思っていたら、暫くして空港の奥に行ってしまいました。その後で移動用の大形バスがやってきましたが、乗車時間までの小1時間をバスの運転手は新聞を読んで過ごしていました。こういう段取りを見ていると、仕事の仕方が無駄ばかりのような気がして、旧ソ連の仕事ぶりが引き継がれているのかと感じました。田舎の空港なので飛行機の離発着する便も少ないだろうというのは分かりますが、一人で何役もして仕事を効率化するという考えはないのかも知れません。
この待合の広場を仕切るロープの張ってある一番奥にロシア人の若い女性が立っていました。年齢は20歳そこそこに見えるロシア美人でした。検査を終えた年配者の何人かが写真を撮らせて欲しいと言っても断られて、空港の建物の写真ならいいですと手で示していました。大人しい日本人の老人ばかりなので、パスポートチェックしているような恐そうなおばさんではなく新人を配置したのではないかと推測しました。手には無線機を持っていましたが、多分形ばかりの装備だと思いました。こういう美人が年とともに太ったおばさんに変貌するのかなとも変な想像をしてしまいました。
この広場に成田行きの飛行機に搭乗する150人程が検査を終えて待っていると、広場の横をスーツケースの山を積んだトラックが通ると「アー・・・」という声が上がりました。トラックの荷台が小さくスーツケースは10個以上も積み上げられているので一番下のスーツケースには相当の重量が掛かっているだろうというのは容易に想像できて、「私のスーツケースがあんな下にあるよ」と悲鳴にも似た声が出て、中に入れたお土産の燻製やいくらの心配をしていました。これは全員が同じ気持ちだったろうと思いました。「飛行機の中では積まれる順番が変わるから・・・」と気休めを言う人もいました。私のスーツケースは上から2つ目の場所に積んであったので、飛行機の中では下に積まれるのかと少し心配になりました。このスーツケースの運搬は2回ありましたが、広場ではおしゃべりする以外は何もすることも無いので皆自分のスーツケースを目で探していました。
私の参加したツアーメンバー27名の中で年配の女性が、添乗員のSTさんに「別のツアーの人が来年はアバチャ登山ツアーに来たい」と言われましたと言って紹介状を手渡していました。フラワーハイキングは天気が悪くて散々だったのですが、アバチャ登山ツアーは登山当日晴れて素晴らしい光景が見られたと、そのおばさんが宣伝したのだろうと思いました。紹介状を渡した人の周りにいた人は「紹介した人は割引がありますから名前を書いたほうがいいですよ」というようなアドバイスをしていました。
この小さな広場では午前8時から午前9時半まで約1時間半も待たされました。天気は晴天でしたが、遠くに見える筈のアバチャ山やコリャーク山は雲に隠れていましたが時間とともに姿を見せ始めたので皆カメラで撮影をしていました。出国時に晴れて来たという何とも皮肉な結果でした。
KNさんの周りに集まって出発を待ちながら、時間つぶしで海外旅行とか登山とかの自慢話をする人の話を聞いていました。そういう話に経験豊富なKNさんは合いの手を入れるのが好きなようでした。
イメージ 1
 
イメージ 2
空港の入口では持ち込む荷物の検査だけでしたが、次の部屋ではスーツケースとリュックサック等全ての荷物検査をしていました。私は止められませんでしたが若い女性がリュックサックの中身を調べられていました。入国時よりも出国時の方が厳しい検査をしているのが分かりました。
ここで荷物検査を済ませると、出国検査をする部屋で飛行機に乗せる為にスーツケースを重量計に乗せて重さを測ると同時にパスポートを渡すと搭乗券を発券してくれました。厚化粧をした目鼻立ちのはっきりした中年の美人と言えるかどうか好みで評価が分かれるようなおばさんが手際よく仕事をしていました。荷物を重量計に載せてから建物の外に停車している車に運ぶのは筋肉が盛り上がった年配のおじさんでした。
私は来る時は10数キロだったのですが、お土産を詰め込んだりしたので重量が増えて20キロを少し下回っているくらいでした。この時20キロを上回る人は、このおじさんが重量計を足でぼんと踏んで重量を超えているよというのを本人に知らしめるジェスチャーをして笑わせていました。
搭乗券をもらうと例の時間の掛かるパスポートチェックで3列に並んで順番待ちをしました。相変わらず丁寧にパスポートの写真と本人を見比べたり、出国用の書類に間違いが無いかとかに確認するので1人通るのに最低1分は掛かりました。
私は体のごついおばさんの検査官の列に並びました。前の人のパスポートをチェックしている検査官を眺めていると私の方をじろっと見ました。それから私の番になり前に行くとこのまま帰れなくなると困るなという風に感じるほど威圧感がある時間を過ごしました。それはでかい体のおばさんが一生懸命に何かをチェックしている仕事ぶりに威圧されたのだろうと感じました。当然ながら何もないのでパスポートを渡してくれましたが、その時はようやく終わったかとほっとしました。こういう手続をしているようではロシア観光も盛んにはならないだろうと思った時でした。
最後は空港を出る時の荷物検査がありましたが少し待ち時間があったので椅子に腰を掛けて待ちました。この検査では靴も検査するので靴を脱がなくてはならないというので嫌だなと思いましたが、ビニール製で足が汚れないようにした保護シートが準備してあったで、ロシアにはしては何とも気の利いた事だと驚きました。
私は未使用らしいものをとって周りのおばさんにも配って靴を脱いで検査の準備が出来るのを待っていました。パスポートチェックが終わるとこの大して広くも無い場所が日本人のツアー客で込み合ってきて、先日同じ飛行機で来た見覚えのある他のツアー会社の人たちが集まってきました。
荷物検査が始まると順番待ちして、リュックサックとウェストポーチに靴を検査機のベルトコンベアに置きました。この時私は検査している検査官のおばさんから「リュックサックの中のカメラを見せろ」と言われました。
「カメラが動作するかどうかスイッチを押して見せろ」という身振りをしたので、リュックサックからカメラを取り出してスイッチを入れて動作することを確認してもらいOKが出ました。偽のカメラで中に何か入れて持ち出すことがあるのかと推測しました。
ここでも検査に引っかかり、衆目の前で上着を捲し上げられているおばさんがいました。トイレの中でシャツを脱いで不審物が無いかを確認をしていたようでした。
イメージ 1
 
イメージ 2
 
ロッジの玄関で時間を過ごしていると出発時間になり、ロッジの出入口に全員が集合してからバスに乗り込みました。私はストックのことがあるので一番前に乗りました。
パラトゥンカ温泉郷から空港のある町まではバスに乗り30分ほどで到着しました、昨日昼食を食べたレストラン「古い城」や買物をしたエリゾボの町にあるスーパーの前を通り過ぎて行きました。何度も同じ道を行ったり来たりしているので通り過ぎる光景が頭に残るようになっていました。
天気は相変わらず曇でどんよりしていました。このツアーの天気は最初から最後まで曇ばかりなので雪国の天気なのかとも思ってしまいました。
ペトロパブロフスクカムチャッキー空港の前に到着すると、バス内で「このまま暫く待っていてください」とSTさんが話したので唯無言でじっとしていると、KNさんが「今日誕生日の人がいますね」とSTさんに言いました。「それでは全員で歌ってお祝いしましょう」とSTさんが言ってから誕生日の人が指名されました。誕生日と言われたのは山小屋で同室だったSTさんで「一応終戦後の生まれです」と誰も質問していないのに自分で弁解するように言っていました。バスの中の一同が「ハッピーバースディ」を合唱してお祝いしました。
バスの中でじっとしていても何もすることが出来の無いのでバスの前方を呆然と見ていると、荷物を積んだ車が次々に現れてスーツケースを空港に中に入れていました。我々のツアーのスーツケースはバスが出発するよりも30分位早くパラトゥンカ温泉郷を出発していましたが、到着したのは我々の乗ったバスが到着してから数10分も経過してからでした。同じ道を通る筈なのに何故遅いのかは不思議でした。
我々のスーツケースが空港に運び入れられる時にアンナさんが私のストックを荷物に紛れ込ませて空港内に入れてくれました。余分な仕事をさせたのかと恐縮するような心持になりました。
バスが到着してから20分ほどすると、ようやく出国検査の準備が整ったらしいとアンナさんが告げたのでバスを降りました。
搭乗する飛行機の乗客のうちで我々のツアーが一番最初の出国検査を受けました。ロシアの入出国審査は時間がかかるので早めに済ませようというので早朝に出発した意味が分かりました。
ツアーメンバーが空港に入ると荷物検査の機械の位置が入国時とは変わっていました。入口でリュックサックとかウェストポーチを検査してから中に入りました。ここでSTさんが「ストックをスーツケースに入れて下さい」と私に言いました。狭い場所には他のツアーのスーツケースで一杯だったので、失礼ながら他人のスーツケースの上に私のスーツケースを広げてストックを入れました。
アンナさんの案内はここまででした。握手をしたりはたまた抱きついたりしてお別れをする人もいました。日本語の上手なアンナさんは「又、いらしてください」と敬語で挨拶をしていました。来た時も帰る時もアンナさんの敬語の使い方にほとほと感心するばかりでした。
イメージ 1
                       ( レストラン古い城 )
イメージ 2
                    ( エリゾボのスーパー前の広場 )
イメージ 3
                      ( 空港の手前にある広告 )
イメージ 4
                                   ( 駐車場から国際空港の入り口を見る )