とうとう幻まで来てしまいました。。。
壱やブログ ➡️紫式部に恋をして 心のドライブ
これがはじまりでした。
追う形で ファンブログ❤️を立ち上げて…
いつも、読んでくださっていた皆さま
勝手な自己満ブログにお付き合いを
本当に本当にありがとうございました。
区切りの目標であった 幻まぼろし
年内 大晦日に終わる偶然。
凄すぎる。ただの偶然とは思えない…
壱ちゃん
本当に お疲れ様でした。
過酷な連勤をこなしながらのブログ更新。
年間でほんの数日しか休みを取らずに、
9月半ばからは、年末まで約100日の超連勤を
されてきた。
並大抵のことではなくて。
壱ちゃん自身が写した
数々の美しいお花と合わせて
和歌から わかりやすく源氏物語を魅せて
くれました。
源氏物語など、読んだこともなかったわたしは
ファンブログ❤なんて立ち上げたのはいいが
ついていけるのか、ただただ不安だった。。。
進んでいくうちにどんどん
源氏物語の魅力に惹き込まれて
いきました。
壱やブログのシリーズが終わっても、
たくさんの源氏物語を読んでいきたいと
思うまでになりました。
応援できて良かった。。。
心から楽しかったです。
壱ちゃん 本当にありがとう。
壱ちゃんの源氏物語がきっかけで
仲良くさせてもらってる はるちゃんの源氏物語
恋文を通して またさらに楽しくなって。。。
はるちゃん わたしたち、本当に源氏物語の
虜になっちゃったよね。
まるで、カフェで話し込んでしまってるような
お互いのコメント訪問も 本当に楽しかった。
はるちゃんの恋文のおかげで
わたしもファンブログ❤を続けることが
できました。とにかく感謝。。。です。
横つながりがあるブロ友さん達との
感情移入しながらのコメントのやりとりも
本当に楽しすぎました。。。
玲ちゃん 凛ちゃん ペコさん 歩笑さん
いつも本当にありがとうございました。
ここまで12/26の真夜中に書きました。
壱ちゃんコメントで 12/28 のただいまコメントと
内容が被ってしまった感が否めませんが
私の素直な気持ちです。みなさん、本当にありがとう。。。
御法、幻の帖が近づいて
最後を思うたびに
寂しくなりました。
あー。終わりなんだよね。
完全に源氏ロス……(>︿<。)
でもちょっと気になる……
アレ!!
コレに期待かな!!謎解き壱や探偵...
皆さま 本当にありがとうございました。
アハ、これから 幻に行きますね!!
四十一帖幻
紫の上の死の翌年、正月から十二月まで一年間を、源氏の哀傷と各月の風物と、歌によって歳時記的に書きつづけている。
「御法」のあたりから、夕霧が急にしっかりと存在感を現し、悄然として見る影もない源氏の杖となって力強く支えている。
何となく、ここらで主役交替という感じがする。
紫の上の死後、源氏は紫の上との思い出の濃い二条の院に籠っている。
社交家だったのに、今は人間嫌いになり、年賀の人にさえ逢わない。
夕霧と蛍兵部卿の宮以外は誰とも面接しない。
すぐにでも出家したいが、「紫の上に死なれて出家した」と世間に言われることがいやで、踏み切れない。
源氏の愛した女たちの潔い出家の決断に比べて、源氏のこの逡巡は何なのであろう。
いつもまわりにいる女房たちと、紫の上の思い出話にふけるだけである。
昔から手のついていた中納言の君など気心の知れた女房たちが傷心の源氏を慰めてくれる。
六条の院の女君たちをさえ、訪れようとはしない。
独り寝の源氏を、夕霧が泊まりこみで慰めている。
二月、紫の上遺愛の紅梅を見て、三の宮が
「お祖母さまがおしゃったから」と言って、梅の世話を世話をするつもりなのも涙を誘う。
三月、満開の桜を散らすまいとして、木のまわりに几帳をめぐらせようという三の宮の無邪気な言動に慰められる。
女三の宮尼を訪ねてみるが、尼宮の反応は冷淡で源氏は傷つく。
そんな源氏を見送る明石の君の心中も複雑である。
四月、花散里の君から例年のように夏の衣更えの衣装を支度して届けられる。
それにもまた悲嘆にくれた歌をやりとりする。
五月、五月雨の頃は、花橘とほととぎすに昔を思い心を乱す。
五月十日すぎ、夕霧が訪れて紫の上の一周忌の打ち合わせをする。
源氏の悲嘆ぶりを見て、夕霧はちらと見ただけでも自分は強烈な印象を受けて忘れられないのだから、終始一緒に暮らした源氏の悲しがるのも、無理はないと同情する。
夕霧が一周忌をどうするつもりかと聞くと、源氏は特別の大袈裟なことはしない、紫の上が生前考えて作っておいた極楽曼荼羅の供養でもしようと言う。
その件についてはすでに紫の上が出仕の僧の手配までしてあった。
この時、夕霧が紫の上に源氏の子が生まれなかったものを残念だというと、源氏はそれは自分の運のつたなさで、まだ長生きしている縁の深い女にも、自分には子宝が多く恵まれていないと言う。
律義者の子沢山の夕霧の家庭と比べて、源氏の子供の少なさは美的にさえ感じられる。
六月になって暑さもきびしい頃、池の蓮はちすの花盛りを見ても紫の上を偲び、蜩ひぐらしの声、撫子の花、蛍の光にも故人を偲ぶばかりで源氏の悲哀は尽きない。
七月七日、七夕には、牽牛、織女のように逢瀬をたのしむ相手もいない。
八月にはさすがに月はじめから一周忌の準備で悲しみもまぎれている。
同日は上下の人々が皆精進して法要につとめた。
中将の君と紫の上を偲ぶ歌を交わしあった。
九月に菊に真綿をかぶせる例があるの見て、また紫の上を思い出す。
十月には空飛ぶ雁に紫の上を偲び、つがいの鳥を羨ましく思う。
十一月、五節の頃に、孫たちが童殿上して来たの見て、何の屈託もなかった若い頃を思い出して感傷にふける。
十二月は、いよいよ自分の出家の時が来たと思い昔の恋文などすべて始末して焼き、身辺整理を急ぎはじめる。
一年間、綿々と紫の上への未練にひかれて日を送ったが、ここに来て、ようやく源氏の出離の決心も固まったと見える。
紫の上の須磨、明石によこした思い出の手紙さえ焼いてしまう。
十二月の十九日から三日間にわたる仏名会の日に、源氏は一年間だれにも見せなかった姿を、人々の前にはじめて現す。
昔よりもっと美しく神々しく、仏そのままのような源氏の生身の姿を仰いで、人々は思わず感涙にむせんだのだった。
延々とつづいた一年間の源氏の嘆き節に付き合ってきた読者もここに来てはじめて、胸のつかえが下りたように思うだろう。
紫式部の大サービスの巧妙な源氏退場の演出だった。
この一年間で源氏の出家への思いが次第に固まっていくという気配を感じさせている。
源氏が女たちの出家をどうして嫌がったかという理由は、出家すればセックスができない戒律があったからである。
ということは、この当時、仏教の戒律はそれほど重く、厳しく守られていたということもできよう。
あの淫蕩、放埓な源氏にも、性の二つの禁忌があった。
一つは尼僧とのセックス、もう一つは血の繋がった母と娘を犯すことであった。
源氏が早くから出家願望を口にしながら、常に女に先んじられたのは、性への未練とみていいだろう。
光源氏を主人公とした源氏物語は読者の目から源氏の消えたこの「幻」の帖で一応終ったと考えていい。
源氏物語 巻七
瀬戸内寂聴 訳 引用