”ファンブログ❤ 紫式部に恋をして<三十一>源氏物語・和歌・御法(みのり) | みそらの日日是好日 ‪‪ᵕ̈* ニチニチコレコウジツᵕ̈*

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2020年春...
1998年生まれの長男は
東京で社会人に。
2000年生まれの長女は
うどん県で女子大生。
これから わたし時間を楽しむぞ!!(b`>▽<´)-bイエーイ☆゛





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紫式部に恋をして

壱やさんの源氏物語を全て
リブログリンクしています。
良かったら遡ってみてください🔗



壱やブログより




四十帖御法


紫の上の死が語られている。


源氏五十一歳の三月から秋までの話しである。


紫の上は「若菜」下の帖で、一度は死の淵から蘇生したものの、ずっと健康が思わしくなく、四年ほどの間にただ衰弱がひどくなっていくばかりだった。


源氏は心配でならない。


紫の上は後世のためにと、かねて念願している出家への想いが強くなっているが、源氏は相変らず、とんでもないことと、許さない。


三月、紫の上初願の法華経千部の供養をして、法華八講が、二条の院で行われた。


それはこの世の極楽のようなすばらしい法会で、今上、東宮、秋好む中宮、明石の人々と会うのもこれが最後と思い、昔源氏の愛を奪った明石の君や花散里の君も今はなつかしく、永の別れの想いをこめた歌を贈答する。

壱やブログより


法会の後、紫の上はまた病床に臥す。


源氏は法会を機会に、尊い仏事を多く行い、時々気を失うようなことさえある。


明石の中宮の生んだ宮たちの中で、紫の上は三の宮(後の匂宮)を特に可愛がっていた。


三歳になったばかりの三の宮に、大人になったらこの軒の紅梅と桜を見て愉しむようにと言い、その時は仏になった自分にも花を供えてくれと遺言する。


壱やブログより

秋になって、明石の中宮が見舞う。


中宮と話してるうちに紫の上は気分が悪くなり、中宮に手をとられたまま、臨終を迎え、その夜の明ける頃、消えてゆく霞のように帰らぬ人となった。


壱やブログより

享年四十三。八月十四日であった。


源氏はあまりの悲嘆に茫然自失し、夕霧が遺体の側近くに入ってきたことを咎める意識も失っていた。


夕霧は遠い野分の日以来、心ひそかに憧れつづけてきた紫の上の死顔をつくづくと見る。


灯をかがげて近く見る死顔のあまりの可愛らしさ美しさに心打たれる。


翌八月十五日、葬送はすべて終った。


正体もない源氏に代って夕霧が頼もしくすべてのことを采配した。


七日、七日の供養も丁重に終えた。


前太政大臣や秋好む中宮からの心のこもった弔問が届く。


源氏は悲しみのあまり何も考えられない。


その中から、今こそ出家しようという気持ちになるが、それも世間が何と噂するかと思い、決行出来ないでいる。


紫の上は、源氏物語の中では、主人公光源氏と並ぶヒロインとして重要人物だった。


十歳でほとんどかどわかされるような形で源氏にひきとられ、掌中の珠として理想の女に育てあげられ、多くの妻妾の中でも、比肩ひけんする者もなく、源氏の寵愛を最高にほしいままにした。


しかし不幸なことに一人も子供に恵まれていない。


晩年、出家に憧れながら、源氏と暮らしているため、いつでも源氏に反対され出家を遂げることが出来なかった。


死んでから形ばかりの五戒を授けてもらうが、紫の上の望んでいたものはそうした形式ではなかった。


源氏物語の女たちの中で最も幸福な女と言われてきた紫の上を、私は最も可哀そうな女と思われてならない。


少なくともこの物語の中の女たちは、出家することによって、源氏の愛欲によってもたらされる激しい苦悩を脱し、心の平安を得ているからである。


紫の上は、たしかに光源氏の半身であった。


目に余るほどの源氏の生涯の色恋沙汰も、紫の上という愛の中心の女神がいてこその、浮気であったと見られる。


紫の上の死後の源氏は精神の張りも失い、生きる目的すら見失ったようで、昔日の輝かしい俤おもかげを見る見る失っていく。


ただ亡妻の思い出に溺れ、悲嘆になすすべもなくなった悄然とした源氏には、もはや昔日の輝く魅力は感じられない。


紫式部はまるで悪意があるかのように、変わり果てた源氏の情けない姿を、次の帖でくどくどしいまでに書きつづける。


この帖で印象的なのは、遠い野分の日以来、心ひそかに憧れつづけていた紫の上への思慕を、夕霧が、臨終のどさくさにまぎれて思い起し、感情を高ぶらせて、近々と死顔を見る場面である。

源氏物語 巻七

瀬戸内寂聴 訳 引用





おくと見るほどぞ はかなきどもすれば

風に乱るる萩のうは露


壱やブログより



おくと見るほどぞ はかなきともすれば
風に乱るる萩のうは露

これが紫の上の最期の歌である。

亡くなったのは八月十四日の暁で、源氏は十五日の暁には火葬に付した。


異例に早い葬儀である。


葵の上は八月十四日に亡くなり、火葬は八月二十日過ぎであり、その間蘇生野呪術などが多く試みられた。


紫の上の火葬を急いだ理由はよく分からない。

源氏物語の世界

日向一雅 著 引用




さて、紫の上が亡くなったとき、光源氏はその日のうちに彼女を荼毘に付した。


蘇生を願わなかった訳ではあるまい。


だがむしろ、自分の心に無理をさせてでも紫の上の死を受け入れ、信心深かった彼女の極楽往生を進めようとしたのではなかったか。


それが、最後までこの妻に出家をさせなかった彼の、懺悔のしかたではなかったのだろうか。


野辺送りの道すがら、一人で歩けないほど打ちひしががれた彼の姿は、そんな心の証のようだ。

平安人の心で「源氏物語」を読む

山本淳子 著 引用







いつも読んで下さってる皆さま

ここまで読んでいただきありがとうございます。


壱やブログ

とうとう紫の上の死、

御法の帖が更新されました。



渾身のブログ。

和歌、美しい写真、音楽、構成、

全てにおいて、素晴らしかった。


音楽を聴きながら ここまでの物語の情景が

次々と浮かび上がり流れ、泣けてきた。


本当にありがとう。



幻の帖のファンブログ❤を実はすでに

書いていて そこに お礼のご挨拶をしています。

くどくなるので その時に。



壱やブログ「幻」の更新前に

書き始めた「幻」のファンブログ❤は

何度も字数オーバーを繰り返し、これ以上

書き足せない状態。どうしようー。


壱やブログのリンクすら貼れないかも。。。


大晦日、更新予定です。

宜しければ お付き合いくださいませ🙇🙇🙇







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