SL奥久慈号運転1周年記念・子供の日記念乗車券(昭和61年・1986年) | 記念切符あれこれ

記念切符あれこれ

亡き父が集めていた記念切符、実家からもらい受けたものの、箱に入ったまま納戸にしまい込み10数年、あまりにも雑多に入っているので、少し整理をしようと思い立ち、それならブログに写真を貼ったら一覧代わりにになっていいかも・・・と思い、少しずつ記録することにしました。

よりによってかさばるタイプの記念乗車券、同じものが2個ありました。
「SL奥久慈号運転一周年記念・子供の日記念乗車券」。

箱の表の丸い穴からはなんと!車輪にデザインされたカセットテープのリールが見え、
裏の四角い穴からはやはり通し番号が見えます。
同じものが2つあるのに通し番号が続いていなかったのは(2681番と2684番)
まさか箱の中に、あと2つあるとか言わないよね?

中身を出してみたら、乗車券は昔懐かし硬い切符でした。
改札の駅員さんが無意識に奏でていたのであろう、小気味よい鋏の音が懐かしいです。
こどもの日だから子供の切符なのでしょうか?
水戸と常陸大子の往復乗車券のようです・・・ということは水郡線ですね。
鉄オタでもないのに、よく知ってるでしょ?
 
実は父の故郷は磐城塙で、毎年夏に水郡線に揺られて、おばあちゃんに会いに行っていました。
まだ小学生になる前、終電が大子止まりだったのか、冬の夜、一度だけ大子まで伯父が車で
迎えに来てくれたことがあって、その時なぜか駅で月見うどんを食べた記憶があります。
(もしかしたら、うどんを食べたのは大子ではなく、水戸だったのかもしれません)
当時はなんで夏休みでもないのに、父と2人で田舎に行ったのかわからなかったのですが、
今思えば、流産で亡くなった弟を田舎の墓に納めるためだったのではと。
父が亡くなって、母が家の近くに墓を建てた時、田舎に行って弟を引き取ろうと思ったものの
残っていなくて、土だけ持ち帰ったと母に聞いたから。(少し話が違うかも・・・)
・・・話がかなり脱線しました。
この切符、プラ台座に両面テープで止まっていたため、すでにテープは劣化し、
箱の中を切符が自由に動いてしまう状況。
とりあえず箱を閉めておけば出ないだろうから、再度止め直しはしないことにします。
本当だったら水郡線を行き来できたのですもの、箱の中でわずかな旅をして頂きましょう。
ただ、定位置に止まっていないと、通し番号が窓から見えないんですよね。
カセットテープの中身は、聞く手立てはあるのですけど、なにぶん40年近く前のモノなので、

テープがブチッと切れそうで、ちょっと怖いかも。

「C-56が夢の旅にご案内」とか、興味はそそるのですが。
え?ちょっと待って。
B面はSLに全然関係ないじゃありませんか?
でも、子供の日記念だから、子供への自然界の壮大な音のプレゼントということなのかな?
 

東日本大震災の後、塙へは電車で行くことが久しくかなわなかったと聞いています。

最近ストリートビューで見た塙の風景は、懐かしくもありわからなくもあり。
いとこはまだ塙に住んでいるけれど、きっともう塙に行く機会はなさそうです。