今日は地元枚方で
白ともちゃん(谷とも子さん)のオープンカウンセリング。
白ともちゃんは、
心屋認定講師福田とも花ちゃんの
Big Smile mama認定講師&カウンセラー。
こうやって地元でオープンカウンセリングを開催してくれることのありがたさ。
最近、めっきり遠くに行けなくなってるので
(人と一緒だと行けるのはいけるけど、かなり気合いを入れないと出掛けられない( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ ))
こうやって地元でやってくれるのは、本当にありがたい。
今日は3人の参加者。
今日は多分、全員相談したくて来てるのだろうなぁと。
(回によっては、話を聞きに来る人が多い時もある)
そういう時、私は初めての人を優先させてあげた方がいいのかな、と考えてしまう。
(特に少人数の時は)
今日も一瞬、そうしかけた。
でも。
私もしんどいんだ。
私も話したいんだ。
人に譲ってる場合じゃないんだ。
うん、私もちゃんと話そう。
ちゃんと私の思いを叶えてあげよう。
そう思い直して、手を挙げた。
(結局、全員相談出来たし、みんなよく似た者同士で、人の相談でも流れ弾に当たりまくった^^;)

私は、最近出てきまくってる私の前提、
「どうせ私はひとりぼっち」
について話した。
今までの私なら、ちゃんとなにが話したいのかを明確に話そうとしていたけども、
今日はストーリーになっていないまま、
話している途中でも、あれ?ちょっと違うかも?って思ったら、
それまでの話の流れをぶち切って思いに近い話をしてみたり。
そしたら、動かないと思っていた感情が動いて、自然と涙が出てきたりもした。
自分で話しながらも感情が動くことで涙したりもしたけど、
白ともちゃんが今回はさらにレベルアップしてて。
(本人的にはそんな自覚はなかったみたいですが^^;
なので、カウンセリングとはつくづく「技術」なのではなく、「その人」そのものを見せるものなのだと感じました)
核心に辿り着く速さが格段に早くなってる!!!
自分でも混乱しながら、これじゃない、こっちかな、と思いながら話しているんだけど、
早々に私の問題の根っこの部分を見つけてくれて、言葉にしてくれる。
(リピートアフターミー、ね。)
私も、今までだと少々ピンと来なくてもピンと来てるフリしたりしてきたけど、
←カウンセラーに悪いなと思ってしまう
もうそんなことしてる場合じゃないぞと。
ピンとこない言葉はこないままに呟き、
どの言葉が私の気持ちに近いんだろう、ということをひと言ひと言感じながら、
言葉にして発していった。
そしたら、
思考を働かせていないので、予期せぬ言葉でグッときたり。
その言葉から、
自分の感情、言いたかった言葉を手繰り寄せたり。
ここでもまた、その流れに身を任せていった。
その時その時に出てくる気持ち、感情を、そのままに感じていくことに集中した。
私は大事にしてもらえない。
私は認めてもらえない。
誰も私の話なんて聞きたいと思ってくれてない。
誰も私の話を聞いてくれない。
私がそんなふうに思い込んでいるから、目の前で起こること、全てに対して
「やっぱりそうなんだ」
という出来事ばかりが目に飛び込んでくる。
そうじゃないかもしれない、
とは受け止められない。
苦しかった。
悲しかった。
淋しかった。
頭では分かってる。
私の話を受け止めるかどうか、どういう反応をするのかは相手の問題。
だけど、その前提を自分で握り絞めてるから
受け止めてもらえてない気がして、
話を聞いてもらえてないような気がして、
苦しくて、辛くて、悲しくて、淋しかった。
自分の前提を変えていくしかないことも分かっていても、どう変えていったらいいのかも分からなかった。
呟いても呟いても、分からなかった。
セオリー通りにやるならば、
自分の前提をひっくり返した言葉を作って呟く。
でも、ひっくり返す言葉が分からない。
ひっくり返った前提が全然イメージ出来ない。
だから、いくら人から
大丈夫だよ、
信じてるよ、
大切に思ってるよ、
と言われても、前提自体が「そんなことはない」と握り締めているので、
言ってくれている言葉自体を受け止められなかった...ようだ...
←分からんかった^^;
白ともちゃんは、そこの部分をとても丁寧に話してくれた。
今まで何度も聞いてきた話だけど、全然分からなかった。
だけど、白ともちゃんは私が何度も聞いても腹に落とし込めてなかった話を、
言葉を変え、言い方を変え、自分の体験から言葉を紡ぎ、
白ともちゃん独自の方向から言葉を投げてくれて、
私に丁寧に説明してくれた。
...そう、
いつもはひたすら感情を出させ、感情に寄り添うカウンセリングをする白ともちゃんが、
いつものように自然と感情には寄り添い、認めてくれながらも、
今回はちょっと心の仕組み解説バージョンなカウンセリングをしてくれたのだ。
それが今の私にはとても響いた。
(今までの白ともカウンセリングとはまた違う、ニューバージョンな白ともカウンセリングを見た気がした)
私が再びここで言葉にしてしまうと、またありきたりな言葉に戻ってしまうけど、
・もう、私が手動で自分の前提を切り替えなくてはならない状態になっていること
(私も十分に進化したってことも含め)
それは人に聞いてもらうことがダメだという話ではなく、
それはそれでやり続ける、
今まで私がやってこなかったことだから。
それもしつつ、思考の面での自分の前提は、
重いギアを切り替えるように、自分の力で切り替えていくしかない、
その切り替えた(ひっくり返した)前提で、
そうなっていなくても、もう、
そのテイで生きていくしかない。
自分のテイが変わってないと、
いくら人から受け止めてもらっても、
愛情をもらっても、
もらってることにすら気付けない。
←これが今の私の状態
・やっぱり根っこはお母さん。
お母さんに認めて欲しかった。
お母さんに一番大事だよって言って欲しかった。
やっぱりそこ。
だから、お母さんに聞いてみよう。
お母さんの愛情表現はなに?
もらえてなかったと思うお母さんの愛情、
認めてもらえてなかったと思うお母さんの言動、
ホントにそうなのか、確かめてみよう。
←これ宿題。
・聞いてもらえない、受け止めてもらえない、やっぱり私はひとりぼっち。
⇒勝手にひとりにならないで!!
あー、ホンマにそうや。
勝手にひとりにならない。
勝手に心のシャッターを降ろさない。
勝手に閉じこもらない。
それはかなり意識してきたけど、もう心が折れてた。
そして、また、勝手にひとりになろうとしてた。
私のテーマや。
勝手にひとりにならない。
そうならないように、仁さんがオープンカウンセリングの場も作ってくれてたんやった。
心折れて、心挫けて、
またまたひとりになろうとしてたけど、
その度に思い出す。
勝手にひとりにならない。
...でも、ひとりになったらなったで、それもいい。
だって、いじけたいんだもん。
************
どうせ私はひとりぼっち。
私の話なんて聞いてもらえない。
その前提をひっくり返すと何になるんだろう。
私がお喋りすると、みんなが笑顔になる。
私が自分のことを話すと、みんなが幸せになる。
まだしっくりくる言葉は浮かばないけど、
場面は浮かぶような気がする。
気をつけなければならないのは、
私はスキルとして、人を喜ばせたり楽しませたりすることが話せたりはする。
それは、自分を守るための処世術。
自分に生きる価値を見出すための手段。
周りの役に立つことで自分の価値が生まれると思っていて、
人の役に立たないと自分には生きている価値もないと思っているので、
生きる価値を見出すためにやってきたこと。
そんな、自分に価値を付けるために話すんじゃなくて、
そのための人の笑顔、喜びではなくて、
ただただ純粋に、
私が話したいことを話したい時に話す、
そのこと自体が迷惑なことではなく、
そのこと自体を喜ばれるというか、
私が話すこと自体で人が幸せになるというか。
人の迷惑顧みず、
自分のことをペラペラ喋り続ける私のことを見て、喜んでもらえるというか。
その辺、価値を見出すための言動にならないように、技術に走らないように、
そこは気をつけて頑張る(ง •̀_•́)ง
**********
私の前提、思い込み、
いろんな角度からの気付きと具体策を、白ともちゃんから示してもらった。
そして、それだけじゃなくて、
いつもいつも大事に思って見守ってくれてるってこともちゃんと伝えてくれた。
私が受け取れてないだけで、
そこかしこにそんな「見守り」があるのだろう。
...あるの「だろう」と書いてしまうのは、私がまだちゃんと受け取れないから。
ちゃんと「思っている」「見守ってる」と言ってくれているのに、
私自信が信じられていないから。
ちゃんと受け取れないだけやのに、ないない、言うて悲しんでるだけ。
...書いてて恥ずかしいな^^;
でも、それが今の私の現状。
(そこも変な遠慮があって、聞いてくれたら聞いてくれたで、私の話を聞かせてしまって申し訳ないと思ってしまうので、聞いてくれる人には迷惑かけないようにしばらくは話さないでおこうと思ってしまう^^;)
**********
今日は白ともちゃんのオープンカウンセリングに行けて、本当に良かった。
そして。
今日は特別バージョンメニューも臨機応変に入れてくれて、
他の参加者さんからの愛のこもった言葉も聞かせてもらった(´TωT`)
悩んでる人をひとりにしない。
そんなコンセプトで、ひとりにしない場を作ってくれて、
仁さん、ホンマにありがとうー

白ともちゃん、ありがとうー
