4月26日からエリージアムの巣立ちコースに通い出して、
8月9日に無事に修了した。
期間中はなかなか書けなかったけど、
追々振り返りや思い出を綴っていきたいと思ってる。
その中で。
巣立ちが終わってからの数日間、
もがいて苦しんだ中でようやく気付けたことがあるので、
書いておきたい。
気付けたこと。
それは
「私のことを分かってあげられるのは、私だけ」
ということ。
人によっては当然だと思えるこの感覚でさえ、
私にとっては全く分からない感覚だった。
巣立ちコースも後半に差し掛かった時、
ようやく
「私は私の味方をする」
って決意した。
そう、「決意」はしたのだ。
でも、自分の中で、
本当の意味での「私の味方をする」ってことがどういうことなのか、分からなかった。
分かっていなかった。
エリージアムに通い出すと、
つぐみさんと同期、アシスタントといったメンバーで
秘密のグループという場を作ってもらえる。
そこでは、何を書き込みしてもOK。
気持ちを吐き出してもいいし、
悩みを打ち明けてもいいし、
分からないことを聞いてもいいし、
嬉しかったことを書いてもいいし、
日々の出来事を書いてもいい。
とにかく
書きたいと思った人が
書きたいと思ったことを
書きたいと思ったタイミングで
書き込んでいい場所なのだ。
私、
巣立ちに参加する前からうっすらは気付いてたけど、
どうやら
ワークが苦手みたいで。
巣立ちの講座の中でもいっぱいワークもするんだけど、
感情が全然出て来なくて。
(最後の方では泣けるようになったけど。)
学校みたいに、
与えられた課題をこなしていくのは得意。
だから、
ワークで書き出していくのとかは山ほど書けるんだけど、
最後の最後でひっくり返したり
気持ちに結び付いていくところになると
全く気持ちが出てこなくなる。
周りを見ると、
泣いてる仲間や
感情が溢れてきて苦しくなってる仲間がいたり。
そんなのを見てると
感情が全く出てこない、
全く揺れ動かない自分に焦りを感じたり。
そんな私だったので、
日々の中で、
気持ちを吐き出せたり
気付いたことを書いていける
秘密のグループの存在は
本当にありがたいものだった。
文字に書き起こすことで気付けたり、
つぐみさんやアシスタントのみんなが
それぞれの方向から書いてくれたコメントを何度も何度も読むことで
ちょっとずつ自分の中に気付きが溜まっていってたから。
でもでも、
それでも本心がなかなか出せていなかったようで。
←自分的には、さらけ出してたつもり…だった…
今から振り返ってみたら、
確かに、
コメントしてもらったことに対して
ちょっと違和感を感じることがあっても
それは違う、とか
反論したりすることはほばなかった。
←ちょっとはしてた。
…そう、
今から振り返ったら、
いろんな場面で違和感は感じていたのだ。
巣立ちを卒業して間もなくの私の投稿にも
いろんなコメントを書いてもらった。
その時も
微かな違和感を感じつつ、
分かったようなフリをして返信していた。
でも、
そんなことはアシスタントにはお見通しだったのだ。
その後、
自分にとっては、なんだけど、
かなり厳しいコメントのやり取りが続いた。
コメントを読む度に
胸が苦しくなって潰れそうになった。
コメントが付きました、
の通知が来るだけで
怖くて、胸が苦しくなってた。
ここにきて
こんな思いをしなきゃならないとは…
とも思った。
こんなに苦しいのなら、
大人しく、
何も書き込まずに過ごせば良かった
とも思った。
毎日毎日、泣いていた。
最初は怖かったから。
でも、そのうち、
悔しくて悔しくて…の涙になった。
何も知らないクセに!!
何も分かってないクセに!!
決めつけんといてよ!!
(←決めつけられているように感じていた。
これは、いろんなところで引っ掛かる感覚なので、
今後、ちゃんと見つめていきたいと思ってる。)
お腹の中は、悔しいの気持ちでいっぱいだった。
でも、
それすら出さなかった。
…いや、自分でも
まだ悔しいの気持ちが出てきていることすら
気付いてなかった。
とにかく、
怖くて苦しくてしんどくて、
早く状態を収拾させたいという思いにもなった。
心のシャッターも、
何度も降ろしそうになった。
でも、
ここで心のシャッターを降ろしてしまって心閉ざしてしまったら、
今までと一緒。
今までと同じことしてても
今までと同様、生きづらいだけやん。
何のために巣立ちに行ったのか、
何のために今まで頑張ってきたのか、
何度も降りてしまいそうになった心のシャッターを
ここだけは踏ん張って降ろさなかった。
逃げない、
シャッターは降ろさない、
と泣きながら決めた。
コメント読みながら、
毎日毎日
瞼が腫れるほど泣いた。
いっぱいいっぱい泣いた。
いっぱい泣いてるうちに、
自分の腹の中にある感情が「悔しい」だということに気付いた。
悔しい悔しい悔しい!!!
勝手に決め付けられて、悔しい!!!
分かってもらえなくて、悔しい!!!
散々その思いを
自分の中で出し尽くした。
そしたらふと、
「その人に言うてないのに、
人が分かる訳ないやん」
「自分が何も言うてないのに、
分かってもらうなんて無理やん」
「話したとしても、
それをちゃんと分かってもらえるかなんて
分からへんやん
本人ちゃうのに」
って思って。
「でも、
人が分かってくれなくても、
自分は知ってるやん。
今までどんな思いをして生きてきたかって。
巣立ちに来てからも、
何を頑張ってきたかって。」
「私のことを分かってあげられるのは
私だけ。
誰がなにを知らなくても、
私だけは知ってる。
私だけは、私が頑張ってきたことを知ってる。
どんだけしんどかったのかも知ってる。
私が私のことを分かってあげたら、
それでいいやん!!」
って思えた。
初めての感覚。
それまでは
人に分かって欲しい分かって欲しい
ばかりだった。
でも、
人に分かってもらうのって
本当の意味では無理なんだ。
私のことは私しか分かってあげられない。
だから、
私の味方は私しかしてあげられない。
ようやくようやく、
腑に落ちた感覚だった。
その間…
私の中の「悔しい」の感情は、
私が気付いてあげられなくて、
私が出してあげられなかった間に、
腹の中で発酵して
怒りになってた。
流れ出る涙も、怒りの涙になってた。
あ、私、怒ってる。
怒ってるやん。
あー、気付いちゃった…
気付いちゃったら、出してあげないと…
ようやく自分のことを分かってあげられるのは私だけってことが腑に落ちちゃったら、
今までみたいに
怒りを腹の中に溜めておくことは出来ないと思った。
いや、我慢して腹の中に溜めといたら、
また私が私を見捨てることになる。
それだけはせん!!
と思った。
もちろん、
今までやってきたことなかったから、怖かった。
でも、
ここで出さなかったら自分の味方になれない
ってことが分かっちゃったから、
泣きながらコメント書いた。
コメントをやり取りする中で、
一番怖かった「見捨てられる」ってことに対しても
腹を括った。
自分の本心を書いて
それで呆れられたり見捨てられたとしても
もう仕方ないやって。
見捨てられてもいいやって。
それもようやく腹括れた。
コメント書く前に
ふと、長年私のことを心配してくれていた人に
モヤモヤした気持ちを話してみた。
そしたら話すうちに、
私の奥の奥に隠れてた気持ちが見えてきた。
悔しい、怒りのその奥にあった私の気持ちは
「分かってもらえなくて、淋しい」
だった。
奥の奥の気持ちが
ようやく出てきた。
奥の奥の気持ちが出てきたことも嬉しかったし、
私の話を聞いてくれたその人が
ようやく私が気持ちを出せるようになったこと、
奥に引っ込んでた隠れた気持ち「淋しい」に気付けたことをとても喜んでくれて、
一緒に涙を流してくれた。
あー、私、愛されてたんやなぁ
と感じられて、嬉しかった。
見捨てられても仕方ないと腹を括って書き込んだコメント。
結果。
見捨てられなかった。
厳しい(と私が感じていた)コメントの数々を書いてくれてたアシスタントさんは
憎まれ役を買って出てくれていたのだった。
私の分厚い鎧を剥がすために。
そのために、
嫌な役回りを引き受けてくれてたのだった。
そして、
そんな役回りだと知りつつ、
つぐみさん初め他のアシスタントのみんなも
同期のみんなも
ずっと見守ってくれていた。
こうやって、
巣立ちを卒業してからだったけど、
大きすぎて私には全貌が見えなかった愛情に包まれつつ、
私はようやく重い鎧を1枚脱ぐことが出来た。
(あと何枚着てるか分からんけど)
みんな、ありがとう。
巣立ちが終わる時、
なかなか変わっていけてない自分が
置いてけぼりを喰らったみたいで不安でもあったけど、
まさか、巣立ち卒業してからこんな風に気付かせてもらえるとは…
講座を受けてる時だけが巣立ちじゃないんだなぁ、と…
むしろ、
その場を離れてから
今まで学んできたことから何を気付いていくのか、
どんな行動をしていくのか…
そうやって、
これから先も鎧を脱いで
本来の自分に戻っていけるのだなぁと感じています。
本気で変わっていきたい人にはオススメです。
…そのかわり、
変わる時には、痛みも苦しみも伴うけど。
それでも、大丈夫。
きっときっと乗り越えられるから。
一人じゃないから大丈夫。
みんながいるから大丈夫。
(仲間の存在は大きかった(*´ー`))
そして何より、
自分が自分の味方をしてあげてるから大丈夫

《その後は…》
「私のことを分かってあげられるのは私だけ」
が腑に落ちて以降、
あれだけ、
自分がどう思っているのか、
何を感じているのか、
どうしたいのか
が分からなかったのが…
ふと感じることが出来るようになっています。
意外と
どうしたいのかってのは心の手前の方にあったみたいで。
今までもちゃんと「私」は教えてくれてて。
それを私がキャッチ出来てなかっただけだったみたい



思考でぐちゃぐちゃにして、
訳分からなくしてしまってただけだったみたいです
