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一日一思想

考えることは生きること

春休み中に幼稚園の友達と遊んでいた次男がフエラムネをもらいました。
他の子が上手に音を出して楽しんでいる中、次男はきょとんと普通にラムネとして食べていました。

私自身が無意識におまけつきの駄菓子類などを避けていたのかもしれませんが、
うちではフエラムネは出てきたことがありませんでした。
でも発達の勉強をしていく上で口の周りの筋肉を使うことを促すことを知り、
フエラムネ、いいのかもなんて目からうろこに感じていました。

後日、長男と次男にフエラムネをあげてみました。
次男は教えるとすぐに音が鳴らせるようになって楽しんでいました。
でも高校生の長男は縦にラムネをくわえることがなかなかできませんでした。
成長して口の周りのサイズにも無理があるようにも思えましたが
軽く、しかし落とさないように唇で挟み込んで空気を内側から送り込む。
そんな一見簡単なことが、微妙な感覚をつかみにくい長男には難しかったのでしょうか。
まず縦にくわえることのイメージ自体もつかみにくいようでした。

そういえばおにぎりやサンドイッチはなんとか上手に食べるようになってきたものの、
(ひとくちが大きくなって解決した部分も大きいと思いますが)
皮が薄くてクリームたっぷりのシュークリームの中身をごっそり落としていたりして
私がびっくりしてしまったことがありました。
日常の中であまり困らないことでも、
うまく口の中に取り込んでこぼれそうなクリームを吸い込みながら
全体的にバランスに気をつけて食べるという一連の動作がそんなに難しいとは。
構音に特に問題のなかった長男が、その周辺の感覚を使いにくいということに
思いいたる余裕や機会が今まではなかったのかもしれません。


できないことがあるからついやりやすい方法で回避していると
本当にびっくりするような簡単なことでもできないことがあるんですね。
いろいろな力が付いてきたからこそ、こういう気付きをしっかり意識して
日常の何気ないことでも挑戦して経験していくことは
長期的に大切なんだなと改めて思った出来事でした。
  幼児ならではの母親の孤立感・プレッシャー、将来に対する心理的不安


初めて子どもを育てる人なら特にだし、
子育てに関する情報が氾濫している今だからこそ感じる迷いというのが年々大きくなっているように感じます。
価値観の多様化が認められるようになったのも束の間、自由の名の下に思いやりなのか非倫理的なのかの選択を迫られることが増えました。

保育士さんや教員のような「典型的な」子ども像を知っていて尚かつ、多様な個性の子どもが同年齢集団にいることを理解しているのならまだしも(それでも自分の子どもを客観視することは大変難しいと思いますが)、
発達段階や現在の教育システムにあって「進んでいるvs遅れている」ということにフォーカスを当てがちになってしまうのは避けられないように思います。

そこで感じる周囲の同年齢集団との単純な比較だったり、プレッシャーだったりというのは幼児期特に母親を心理的な孤立感に追いつめていることは否めないでしょう。

公園や子育て広場のような未就園児が遊ぶ所には大抵同年代の親子ですよね。
その中で、子ども単体で見ていると自分の子どもの到達していない部分ばかり見せつけられているように感じてしまいます。
また周りの親子の関わりを見ていて、焦りや羨ましさは多かれ少なかれ出てきてしまいます。
 自分ばっかり、子どものことを追い回していないといけない…
 自分の子どもばっかり癇癪起こして叱ることだらけ…
 周りの子もお母さんもみんな楽しそうだけど、自分は全然楽しくない…
そういう孤立感があるからこそ発達に偏りのあるお子さんに手が差し伸べられる必要がある、
そういう孤立感があるからこそ3歳までは家庭でみるのが当たり前なんて一律に並べられても困る、
ということすら通用しない人がまだまだ多いし、そこに理解を求めることが難しいんです。

また将来的な選択肢の情報が圧倒的に少なかったり、その限られた情報源からの悲観的意見が身内や近い友人からの心ない助言(している本人はそのつもりはなくても)もが相乗効果的に追いつめられる要因になっています。
実際に高校生の長男が今現在の進路を選ぶまでにたくさんの講演会に出たり先輩に話を聞いたり
学校説明会に行ったりしました。

多かれ少なかれどの親でもやることだと思います。
そしてどの親にも温度差があると思います。
小学校から私立に入れたい親、ずっと公立でもまれていってほしいと思う親。
インターに入れたい親、特殊な授業形態を展開している学校にどうしても入れたい親。
「自由に選択をできる」こと、「ある程度振り分けられる」ことは
障害があるから「支援学校」という選択肢が大きくそびえたってくるだけで
基本は一緒なのかなと思いました。
本当は就学相談がもっと多様な選択肢を提供できるものになればいいのでしょうが
実際行政がそこまで情報収集しきれないから、親にしわ寄せがきているのです。

親がどれだけ効率的に情報を収集できるか、それが一般的な受験情報ではないために
右往左往しなければならずに多大な時間と労力を割かれることには間違いないです。
でも結局子どもに良かれと思う情報に出会えるか、そこに優先順位を置けるかというのも
家庭における価値観が大きいのも確かでしょう。
だから結局「参考になりにくい」し、「前例が乏しい」という非効率的な情報収集になってしまうのです。

中学以降の選択肢というのはここ数年で本当に増えたと思います。
一般的な私立の学校でもきめ細かい生活指導が入るところも(もちろん自由な校風が売りのところも)多いですし、不登校を対象にした通信制や定時制が無理なく高校生生活を送りながら
進路指導も丁寧にという場所も多いです。
しかしその出口である就労だったり進学だったりで、福祉や社会がどのくらいの寛容さを持っているのかというのは本当に分かりません。
自分の子どもが漠然と大人になった時の科学技術の進歩だったり、ライフスタイルの変化、そして景気や世界情勢を予測して…というのは今の時代にはとても難しいというのは自明ですよね。
社会に合わせた子どもを育てる…というよりも好きなことがあり自分で決める力がある、そんなことが自立と呼べるのかなと最近特に思います。

そして発達に課題がある幼児の親がそこを見据えて子育てするには周囲からのプレッシャーがあまりにも大きいと感じてしまうのです。


  そんな家庭を丸ごと支援したい、けどそんなところあるのかな?

病院に行ったらお医者さんが病気のことをみてくれる
幼稚園や学校では先生がその年代に合わせた学習や生活をみてくれる
でも選択するのは親、そして選択肢は非常に多岐でしかもアクセス困難
継続的に、親身になって、一人ひとりの特性を理解してくれて
発達経過に合わせた成長を促すことを日々の生活の中で支援するアドバイスをくれて
お母さんの心理的な負担も理解しながら、子どもにとってのベストな課題を用意する。
社会の中で、地域の中で暮らしていくという子どもたちが当然持っている権利を
障害があるかないかということだけではく奪されていいわけないよね。
そんな社会に近づけていく努力をしながらも一方で家庭を支援したいと思いながら

ようやく私も動き出すことができそうです。
数年前から子どもの発達や応用行動分析に基づいた幼児教育・母親支援プログラムである
ポーテージ相談を勉強したり、地域や学校でのインクルージョンの勉強会に参加して
たくさんの刺激を受けました。
  学校に訴えていくだけでは間に合わない!
  でも学校は絶対に変わらなければいけない!
  私に今できることはなんだろう?
そう考え続けてたどりついたのがポーテージ相談でした。
母親支援が最大の支援であることが大きな魅力でした。
そここそが子どもの療育に最大の効果を上げること、また持続可能なことであることの鍵だと思うからです。

今少しずつケースを増やせるように研鑽中ですが、
私が一番母親として必要だった支援が、多くの人に提供できるように広まっていくことが
長男を育てていく上で見つけた最大の課題であり私自身のゴールなのかな。



 早期発見はされたとしてもその後は

前回書いたようななんだか納得のいかない障害の概念を抱えながらの子育てをしていた幼児時代。
健診でひっかかり発達相談・発達検査をして
晴れてどんなところが遅れているのか偏りがあるのかを
プロに具体的に教えてもらった療育センターにつながったものの、
パンク寸前のセンターでは重度優先、通園や訓練は門前払いでした。
  
  明らかに「障害」はあるけど、療育センターでできることはありません。
  心配なことや困ったことがあればその都度予約を取って相談に来てください。
  外来でなら半年に一度くらい発達検査をとることができますので。

その外来に食いついて半ば親のカウンセリングのような心理相談を参考に
細々と勉強して日々の暮らしに役立てようとすること、発達について理解することが
私にとっての精いっぱいのできることでした。
毎日自問自答しながら、「これでいいのかなぁ」と(今もですが)



そもそも幼児は他の子どもも多かれ少なかれ持っている特性が目立つ

そしてもらった療育センターでの精いっぱいのアドバイスは
「幼児の集団の中にできるだけ早く入れなさい」ということでした。
具体的には幼稚園ですね。
当時は保育園は今の比ではないくらいに狭き門でしたし。
幼稚園に入る時もそれはそれで大変でしたが
(http://ameblo.jp/misojos/entry-11383414120.html)

でも入ってしまえばお遊戯や制作でなかなか表現できなかったり
体の使い方が下手だったり、身辺自立がいまいちだったりしたものの
園児の集団の中ではそれほど目立たないし、みんなそれぞれ「子どもらしい」。
待つことが苦手だったり、お話の間につい立ち歩いちゃったり
つい手が出ちゃったり、うまくお友達とかかわれなくて一人だったり。
そんな子どもたちを30人以上まとめて面倒見てる先生、すごいなぁと改めて思いますし
うまくまとめられるような工夫や声かけも随所にあるのも気づかされます。
それこそユニバーサルにわかりやすいから学校みたいに「合わない」子がでにくいんですよね。




集団の中で育てながらも違和感は感じる→このままでいいの?

それでもでてくる個別の心配ごと、みんなより少しずつ遅れている身辺自立だったり
理解力だったり、運動能力だったり。
特性や苦手を配慮してもらって個別に指導してもらって伸びるのだったら
指導してもらいたいけど、そんな場所が見当たらない。
普通の子向けの習いごとではどうしても後回しにされてしまうのかな、
そもそも個別にやるような普通の習いごとで障害のある子に向いているものがあんまり考え付かないんですよね。
ピアノは手先が不器用だったのでよっぽど理解や根気のある先生ではないと無理だっただろうし。

幼稚園で一緒の場にいることに関しては問題なくてもひとつひとつの細かい苦手に
教えてあげようと思っても、
  親が情報を集める→親が教える→子どもはもともと苦手なことを教えられる
  →親が感情的になる→もうムリ~!
そもそも他の子どもの一般的な発達段階が第一子だと特にわかりづらいのでどうしても
求めるところ、ターゲットが曖昧になってしまいがちでした。
今考えるからわかることだけど、細かいことにこだわらずにその子のできることに向かい合って
思いっきり一緒に遊んであげるというあたりまえな子育てが正解だったはずなんですけどね。

長くなってしまったので続きます。