自由を得られるということは、それなりの責任を果たしているからこそ。
ということを教えるのに四苦八苦している。
11歳離れた次男が生まれる時、長男は小学校5年生。
赤ちゃんがうちに来る、弟ができると言ってもピンとこない様子で
別に遊び相手になるわけでもなし、お世話をしたいわけではなし。
そこで生まれる前に、
「あなたが生まれてきたときは母と父とで
一生懸命おむつを替えたり寝かしつけたり
ご飯をあげたり、遊んであげたりしてここまで来た。
今度生まれてくる弟には君がそのお世話をするチームに入るのだよ」
と言うと、ようやく納得したようで、新しい家族の誕生を待ちわびた。
あれからもう4年が経とうとして、
次男も一丁前にテレビを見たりおもちゃで遊んだりマンガを読んだりするようになり、
赤ちゃんではない次男に譲らなければならないことが不満顔の長男。
次男も好き放題やっている三歳児だし、
でも同じ土俵で論理を押しつけるにはあまりにもひどすぎる。
兄が使っているマンガやおもちゃ(主にプラレール)が使いたくなる次男。
それを頑なに渡さない、長男。
でも三歳児と中学生は違うでしょ?
三歳児ができないことを中学生はたくさんやっているでしょ?
部活で仲間と集まったり、DSをしたり。
三歳児がやらなくてもいいことを中学生はやらなくちゃいけないでしょ?
家庭学習とか家の手伝いとか。
大人の顔をしたいのか、子どものままでいたいのか。
責任を果たせるからこそ自由がある。
対価を払うから好きなことができる。
大人と子供のはざまにいる中学生が
中途半端な責任感をもって過大な自由を要求するのも
誰もが通る過程なのだろうか。
体は大人のようになってきたし、
ある程度の理解や指示には従えるのに、
中学生ゆえの経験不足と、想像力が働きにくい障害特性ゆえに
母親である私自身が戸惑うことが多くなってきた。
弟とのやりとりだけでなく、自分の物(もちろん買ってもらったもの)を管理することや
言われたことだけではなくて、見通しを立てて行動をしてほしいと思うのは
きっと今の長男には重すぎる荷なのだろう。
一番の支援者であるべき自分が結局は多くを求めてしまっていること、
そしてそんなことはいくら自戒していても定期的に起こってしまうことを
改めて書きとめて反省しようと思う。
でもやっぱりいつかは責任と自由の意味をきちんと理解して
行動できる人間になってほしいと強く願う親心。