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一日一思想

考えることは生きること

学校説明会やPTA活動、長男の中間試験や日々の雑事も重なって

あわただしく過ぎる日々が続いていた。


そんな中でも長男と中学卒業後どうしたいか、

将来どうしたいかということを現実的なことも時間的なことも踏まえて

今までにないくらいに具体的に話す機会が増えた。

学校でも進路の話がかなりされているようで本人も周りも随分意識しているようだ。

教室には次々と学校案内のチラシが貼られて

それとなく目も通しているようだし。


中間テストでもさすが三年目というかだいぶ要領を得てきたのか

試験の範囲を自分で確認しながら、大まかな時間だけ指示してあげれば

自分で取り組むことができることが格段と増えた。

その日にやる教科と範囲の確認、問題集を用意して丸つけくらいすれば

あとは学校でのワークやノートの復習、提出物なども自分で取り組めるようになってきた。


こんなんならやっぱり、少し面倒見がいいところならば

集団の中で学習していけるのではないかな、と思ってしまう。

本人は「できていないところ」が見えていないので、当然できていると思っているし。

中学を卒業してからは、今の生活の延長のような高校生活が待っているんだと

思っているんだろうなぁ。


療育センターに久しぶりに相談に行き、

家庭訪問を二つ(普通級と支援級)をこなし、

時間があるときはネットで情報を集め、

もちろん次男を公園に連れて行ったり買い物に行ったり。


でも不思議と落ち着いてきたように感じるのは何だろう。

障害のある子は支援学校に行かなければいけないという

社会的なノームにあがらうことの恐れが段々薄れてきたように思う。

それよりもむしろ、情報を集めることができること、

その情報を精査できることで選択肢が広がるのではないかと思うと

やっぱりこれでいいのだと少しずつ自分の中で自信がでてきたのかもしれない。


もう今までのように不安で不安でたまらない毎日ではなくなった。

すると不思議と長男もなんだか落ち着いた学校生活を送るようになってきた。

歯車がこのままうまく回り続けますように。



生活保護で得たお金を、

パチンコに使うのはいいのか悪いのかという、
まったくもってくだらない議論が国会で繰り広げられているそうだが。
そんなことより話し合うことたくさんあるだろう

というのももっともな意見であるが、
所詮、世間での支援の認識がその程度だからこそ
「もらった人が自由に使うべき」
というとんでもない話になってしまうのではないだろうか。

生活保護が人間らしく暮らすために、
衣食住だけに用途を限定せずに
余暇活動にも使っていいはずではないか、という意見。
確かに人間らしく生きるために、趣味にお金を使うこと、
それが全費用のどのような割合をしめるかというのは、
一般的な家庭の場合、個人差が大きくでるところだろうし、

周りがとやかくいうものではないかもしれない。
食費を切り詰めて、教育費に大部分を費やすことを厭わない人もいれば、
旅行に出ることが何よりの気分転換になるから普段の生活はとても質素という人もいるだろう。

しかし、生活保護をもらってまずパチンコに費やすというのは、
経済概念、生活設計能力を著しく欠いている人だとは思わないだろうか。
それをどう使うかは本人の自由、というのは、

あまりにも常識を欠いた意見であり、

それが実際の支援として運用されていることも全く的外れといわざるをえない。

十分な栄養がとれずに、不衛生な環境に暮らさざるをえなくても、
パチンコに生きたがるというのは、
もう十分にギャンブル依存症と言っていいだろう。


近年では総合学習などでも、計画的なお金の使い方ということを

取り組んでいる小学校、中学校もあるというが、

大人でもそのように就労意識、経済観念が低い人たちに対しては

ある程度、社会的に独立、自立する力をつけるための教育が

(任意であるだけではなく)行われるべきなのではないだろうか。

ギャンブル依存や金銭感覚の欠如が生活困窮の原因の主たるもので、

それが改善されなければ、自立もなしえないというケースを、

行政がしっかりと認識して、
その依存症を解決するべくセミナーや学習会を無料で受けられるようにすること、
そしてそのための意欲が見られない人に対しては監視するなり、

強制するなりして定期的に判断することができれば、

就労や自立した社会生活への大きな支援になりうるのに。

小手先だけで、場当たり的にお金でなんでも解決しようとする根性自体が、
本当にこの問題に真剣に取り組み、
資本主義の矛盾から生まれた犠牲者でもある階層の人々に対する

大きな問題を根本から解決する意欲が全く感じられないのだ。

病気の人は入院して治す。
犯罪を犯した人は刑に服して更生させる。
それと同じように、より健全な資本主義を求めて行くのなら、
絶対になくてはならない考え方ではないだろうか。
モラルだけではない、経済的に支援をしてもらうって

的確に社会参加をしてもらう、大切な福祉事業のひとつなことを

あまりにも勘違いしている人が多いのではないだろうか。


もちろんそれを運用している行政の側に。

今回の問題、そこまでどうしても切り込んでほしい。


「お宅の長男君は、好きで一人でいるみたいですから、

輪に入れるように強制しませんでしたよ」なんて言われたくないから。