障害ある子どもの入学制度見直しへ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120723/k10013788521000.html
今までは身体などに一定の障害がある子どもは
原則として地域の特別支援学校に入学することになっていたのだそうだが、
今回ようやく公式に、「子どもや保護者の意見を尊重して
一般の学校も選択できるようになった」そうだ。
ようやく。
以前にこの件に関してのエントリーを書いたが、
車いすが移動手段になっている子に対しての「自立」という意味で
一般の学校は非常に意識が薄いのではないかと感じる。
車いすを押してあげる補助教員がつけばいいのではなく、
どれだけ一人の児童として、他の五体満足な子たちと同じように動くことで
一日の大半を過ごす学校生活を過不足なく過ごすという
当然持っている自由や権利を行使することができるか、とは思っていないのだろうか。
教室を移動しなくてはいけない時に、能動的に動けない。
階を動かなくてはいけない時は、教員が二人揃わなくては動けない、
だからもう一人の教員を呼びに行く間はその場で待っていなくてはいけない。
毎日毎日。
階段を使わなくてはいけないたびに。
自分がそんなふうに人に頼らずに動けなかったらどう思うだろうか。
他の子どもたちと比べて、階を移動するだけの簡単なことが
どれだけバリアになってしまい、人に頼らなければいけないという
無力感を味わわなくてはいけないなんて。
自分で車いすで移動ができて、エレベーターがつけば、それも随分解決するだろう。
でも学校側の目線はそんなことではない。
エレベーターを一人の児童・生徒のために新設するなんて
そんな予算はないのだから。
それは見えにくい障害である発達障害や知的障害もしかりなのだが、
いかなるハンディキャップを負っている子どもでも
一人の人間である限り、他の子どもと同じようなスタートラインに立つ支援を受けるべきではないか。
それが大人に成長する過程で教育を受ける、最低限の権利だろう。
教育をうける権利とは、教員や学校側の都合ではなく
一人ひとりの子どもが持ち合わせている権利であるはずだし、
ハンディキャップがあるのならばそれは埋め合わせて考慮されるべきである。
障害があること自体がハンデなのではなく
適切な支援がないばかりに、周りの輪から外された、特別な自分として
少しずつ学校生活になじめないようにされていく。
そんなふうにも思えてくる。
何にしても、地域の学校に行く選択肢があると堂々と認められることは前進ではあるが
それまで「入れてあげている」と平然と言いのけていた人たちが教育に携わっていること自体が
保護者との「噛み合わない感」を増長させているのだろう。
以前書いたエントリーはこちら↓
http://ameblo.jp/misojos/entry-11147496270.html