やっぱり居場所がないと感じるのは何かと考えていると
以前書いたエントリー「軽度発達障害児のレール(幼児編)」
http://ameblo.jp/misojos/entry-10907638428.html
と重なるところ。
結局、軽度の障害児が生活していく場としての普通学級や
普通学級に準ずる場を選んで、その集団の中ででも必要な配慮をしていくことと、
本人の認知に合わせた入念な指導計画に基づいての個別指導を
並行して行うことが好ましいとは思うわけで。
文科省の特別支援教育に関する説明ではやはり
「通常の学級に在籍している障害のある子どもにも、障害に配慮し、指導内容・
方法を工夫した学習活動を行います。」
という表記があり、具体的に支援級では
「障害の種別ごとの少人数学級で、障害のある子ども一人一人に応じた教育を行います。」
ということになっている。
でも本人の認知スタイルに合わせた個別指導や、困り感に合わせた普通級の改造、
そんなことは現場ではこの文章から、浮かびもしないのだろうか。
保護者の訴えによって初めて気付いて「それではやってみます」となればいいほうで
「それはできません」なぜなら今までそんなことはやっていなかったから、
「それはできません」なぜなら他の子がいるのにこの子だけ特別扱いはできないから、
「それはできません」なぜならそれをやると他の子の考える力が育たないから、
となることが多い。
もしくはそもそもこちらの言いたい認知スタイルの違いや困り感の存在さえも否定されてしまう。
でももしそんなふうに好ましい支援が受けられるのならば
その時に初めて知的障害を含めた軽度発達障害児に正しい支援がいくのではないかな。
親としても将来的な進路を考える上で妥当な選択をすることもできるはずだし。
今ある支援級は小集団の中で仲良しにすること、体験をすることで育むことを大切にする
従来からの障害児学級としての方針を貫いているところがあまりにも多い。
学習で「100点じゃなくてもいいから」なんとか一緒にやっていきたいと思っている
知的障害、ボーダー児にとっては、のんびりやっているとたちまち基礎学力がつかなくなってしまうのは
自明なはずである。
情緒障害級での(この名前、なんとかならないのかなぁ)、学習支援が必須であるはずなのに
そこはいつまでたってもこの概念に追いついていかない。
そうこうしている間に子どもはどんどん育っていって
5歳の子は10歳になり、支援の必要な小学生は毎年新しく入ってくるのに・・・。