一日一思想 -22ページ目

一日一思想

考えることは生きること

やっぱり居場所がないと感じるのは何かと考えていると


以前書いたエントリー「軽度発達障害児のレール(幼児編)」

http://ameblo.jp/misojos/entry-10907638428.html

と重なるところ。


結局、軽度の障害児が生活していく場としての普通学級や

普通学級に準ずる場を選んで、その集団の中ででも必要な配慮をしていくことと、

本人の認知に合わせた入念な指導計画に基づいての個別指導を

並行して行うことが好ましいとは思うわけで。


文科省の特別支援教育に関する説明ではやはり

    「通常の学級に在籍している障害のある子どもにも、障害に配慮し、指導内容・
     方法を工夫した学習活動を行います。」

という表記があり、具体的に支援級では
    「障害の種別ごとの少人数学級で、障害のある子ども一人一人に応じた教育を行います。」

ということになっている。


でも本人の認知スタイルに合わせた個別指導や、困り感に合わせた普通級の改造、

そんなことは現場ではこの文章から、浮かびもしないのだろうか。

保護者の訴えによって初めて気付いて「それではやってみます」となればいいほうで

「それはできません」なぜなら今までそんなことはやっていなかったから、

「それはできません」なぜなら他の子がいるのにこの子だけ特別扱いはできないから、

「それはできません」なぜならそれをやると他の子の考える力が育たないから、

となることが多い。

もしくはそもそもこちらの言いたい認知スタイルの違いや困り感の存在さえも否定されてしまう。


でももしそんなふうに好ましい支援が受けられるのならば

その時に初めて知的障害を含めた軽度発達障害児に正しい支援がいくのではないかな。

親としても将来的な進路を考える上で妥当な選択をすることもできるはずだし。


今ある支援級は小集団の中で仲良しにすること、体験をすることで育むことを大切にする

従来からの障害児学級としての方針を貫いているところがあまりにも多い。

学習で「100点じゃなくてもいいから」なんとか一緒にやっていきたいと思っている

知的障害、ボーダー児にとっては、のんびりやっているとたちまち基礎学力がつかなくなってしまうのは

自明なはずである。

情緒障害級での(この名前、なんとかならないのかなぁ)、学習支援が必須であるはずなのに

そこはいつまでたってもこの概念に追いついていかない。

そうこうしている間に子どもはどんどん育っていって

5歳の子は10歳になり、支援の必要な小学生は毎年新しく入ってくるのに・・・。


長男もあと少しで15歳になる。

中学校最後の夏休みをどう過ごしているかというと、

先日の突き指で安静が出てしまい、

鉄板で固定されている右手中指で鉛筆もほとんど持てず、

筋トレやジョギングも血液循環が促されるので控えろと言われ

一体どうすりゃいいのよな状態で毎日が過ぎていく。


おまけに次男の夏風邪が長引いて、実家に帰る予定も延期して

ただでさえ不器用な体の使い方がさらに制限され

水に入ることも固定されているのではできずに、

この先一週間一体どうするのよ・・・。

私自身も楽しみにしていたお盆休みの予定がことごとくキャンセルで

長男が行くつもりだったキャンプもキャンセル。

なんだかへこんでいたが、家にこもりっぱなしのこの機会に

とりあえずまだ終わっていなくて締め切り間近な弁論原稿を仕上げてしまおうと

長男をPCの前に座らせて、下書きしていたものをタイプさせながら

考えさせて膨らませていく。

まぁ、これなら一本指でも打てるので

今年の原稿はこれで勘弁してもらおうと。


そして今回の弁論の題材として選んでいたことが「陸上」。

しかも彼が取り組んでいる中長距離を選んだこと、

練習のことをいろいろ織り交ぜて書いてみたらと伝えてみた。

クラスには同じ長距離をやっている、長男よりも全然速い子が数人いるので

発表するときにいやかな、と思いつつも、自己理解も含めていい機会だと思ったので

(そして本人も大して気にしていなかったので)進めてみることにした。


彼が「苦手なことだけど、自分に向き合って努力する」ということを

続けていること自体がとても尊いことだと私も素直に思うので書いてみたらと思ったのだが、

なんだか思ったよりすごい文章になってきてしまった。


まず導入部分に使ったのが南アフリカの短距離陸上のピストリウス選手。

彼は先天的にひざから下がなく、カーボンの義足を使って北京パラリンピックでは

どの競技でも敵なしだったのが、今回はなんとオリンピックに出場。

賛否両論ある中で挑んだ戦いが印象的だとは思うが、この見えやすいハンディが

長男に「苦手なはずだけど努力で打ち勝つ」という事例をわかりやすく

ポジティブに受け止めることができたようだ。


なのであえて協調運動障害という言葉も教えて、本人の苦手なことを並べさせた。

そして本当はそんな障害があれば苦手であるはずのこと、だけど

本人が努力してできるようになったことも例示すると、

長男の顔がパッと光ったような気がした。

「そう、確かに僕は反復横とびも縄跳びも、ボール投げも苦手だけど、

跳び箱や水泳は得意だ!苦手なはずなのにできる!」

とこちらが思っている以上にすんなりと受け止めてくれたようだ。


これからもたくさん自己理解を深めて自分の将来を見つめていくために

たくさんの自分の「できない部分」というのを正視しなくてはいけないことに

私自身が重い気持ちを持っていたのも事実だが、

これまで教えてきた「みんなちがっていいこと」や「努力が尊いこと」、

きちんと伝わっているのなら大丈夫かもしれない、と思った瞬間だった。


突き指してこそ得られた、大きな収穫だと思おう。

そうじゃないとやってられんわ(泣)。

長男の中学校生活最後の夏休み。

蒸し暑い中、例年通り真黒になって部活に参加できるありがたさ。

いろんな条件がそろってこその、当たり前ではない部活動。

どんな風に参加してるにせよ、ありがたいことだ。


と思っていたらいやに落ち込んで帰ってきた。

何かと思えば突き指をしたらしい。

陸上で?と思うが、メディシンボールというボウリングとバスケットボールの

中間のようなボールを使ってキャッチボールをして筋トレをするそうだ。


まぁ、ただ走るだけではないのならば

ボールがとんでくる空間を見誤ったのだろうとは容易に想像がつくのだが

なかなか説明もうまくできないし。

本人もその場の用語を駆使してくるのだが、

私は「めでぃしんぼーる?何に使うもの?」とさっぱり会話が進まない。


とりあえずネット検索をしてメディシンボールがどういうものなのか。

どのような練習をするのか動画検索をして、把握。

そして突き指とはどのくらい深刻なのか。

応急処置は?整形外科に連れていく?と一通り検索。


いや~ネットって便利だわ。


近所の整形外科はお盆休みに入っていたが

私の行きつけの接骨院で突き指も見てくれるそうなので行ってみる。


しかし本人、ほとんど状況を説明できないし、

どんな角度でボールが当たったか、どんな練習をしていたところだったのか

詳しく聞かれても黙ってしまう。

でも、さすがプロ。

指を抑えてどちら側がより痛いか、どんなふうに痛いかを丁寧に聞き出して

どんな風な症状なのか、レントゲンを撮らずに診断してくれる。


やはりほっておかないほうがいいらしいが、予想以上の大仰な鉄板で固定されて

右手が不自由になり、家庭学習にも大打撃。

もともと不器用な子なのに・・・キャンプも控えているのに・・・と

踏んだり蹴ったりだが、初期の固定がまず大切ということで

しっかり治していただこう(本人には)。


そしてここ数日で感じたこと。

やはり初対面の人との会話(特に大人)が圧倒的にできない。

黙ってしまう、のがあえて無視してるくらいに見えるくらいにできない。

わからないわけではないのに、しゃべれないわけではないのに、

相手は困惑してしまうほど態度が悪いように見えてしまう。


会話のキャッチボールの片方として、

ボールを投げなくてはいけないという自覚は全くなくて

投げられた球を返すどころか、受取ろうともしない。

どこに困難があるのか分析したいとは思うが、

これがクリアできないといろんなところで困るだろう。


とりあえず会話にターンがあること

「And you?」でいいから聞き返してみることとか。

うなづくか首を振るだけの質問に絞らなくてはいけないほど

相手が合わせてくれている事態に危機感を感じてしまった。

できることがたくさんあるのにと思うと余計に。


キャンプに放り込んでいろんな経験をさせてみようと思っていたが、

この怪我でどうなることやら。