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一日一思想

考えることは生きること

ひと月前にはもうこっちでいいや、と心は決まっていたのに

本当にそれでいいのか、と揺れてしまうのはなんなんだろうと考えていたら

きっと夏休みの宿題の仕上げと、期末テストが迫っているところでの

長男のいわゆる「できないっぷり」なんだろうと結論。


一年で一番長男のやっていることが目につく日々。

私が大幅に手を加えて、それこそ企画から仕上げまで

本人がわかるような課題をそろえて一緒に考えて

いかにも本人がやりましたというような体裁にそろえて出すこと。


でもそれが支援ならそれでもいいんじゃないのか。

実際に本人もできたことに対してある程度の達成感はあるだろうし

一人では成しえなかった課題の筋道をたどることで

将来的に同じような課題をこなすヒントになるかもしれない。

そんなことをやってあげられるのも今のうち、今のうち、イマノウチ・・・。


しかしはたしていつまでこんなことやってあげていいのかな?

本当にこうやることでようやくついていっていることが

本当に本人のためになっているのかな。

高校でもこんなことをしなくちゃならないのかな?

これはそもそも本人にそぐわない課題なのだから

もっと本人が主体的に取り組む課題を用意するべき環境にいるべきなんじゃないのかな。


そんなことをぐるぐると考える時期なのだ。例年。

生来の(母親である私の)完ぺき主義で、できるところはとことんやるので

本人にとっては立派すぎる課題ができあがるのもなんかジレンマの元なんだろう。

もっと見劣りがしてもいいから本人が最後まで取り組めばいいのにとか。


私も他人の子どもにだったら間違いなくそういうだろう。

   でも母親だから、我が子だから

少しでもよくしてやりたい。そんな気持ちがでるのだろう。

でもそれって本当に悪いことなの?



で、ここで終われば本当に母親のエゴで片付けられてしまうかもしれないんだけど、

学校での課題を見たりすると、毎回ではないけれど時々、

「お!これ、本当に本人がやったの?」というような

本人にしては立派なものができあがっていることがあるのだ。

これだからこういう子の母親はたまらない。

この子なりの成長を信じて見守っていこう。

その決意の過程がまたいとおしい。


ただ他の子たちと違って塾や他の場所でも

比較的容易に「手助け」が得られるとは限らないこの子たちに

正しい理解と信頼が得られる「第三者」はこれまで以上に必要になってくるだろう。



いろんな国のいろんな種別の障害の人たちが

開会式で行進をしていた。

どの選手もみんな胸を張って、笑顔で行進をしていた。


大選手団を抱える国、

初めてパラリンピックに選手を送り出す国、

パラリンピックには一人も選手を出していない国


その国によって障害者の生活の仕方が違うのだろう。

障害者スポーツにお金をかけて支援している国

差別されていてその存在さえも隠されている国


この人たちの普段の生活はどんななんだろう。

きらびやかな舞台に登場しているが、普段は差別されて辛い思いをしているのか

インクルージョンが確立している社会に見えて

心ない声にまだまだ苦しめられている「一見先進国」もあるだろう。


日本はどっちかな。

どっちの面も持っているのかな。

過渡期で、良い方向に向かっているのかな。


各国の障害児の教育現場はどうなのか。

地域社会ではどのように生活しているのか。


過去最大規模の166カ国、4200人の選手が参加する

ロンドンパラリンピック。

競技人口が増えて、競技のレベルも相当上がってきているようだ。

結果だけが全てではないことはオリンピックでも同様だが

それ以上に環境の格差が浮き出てしまうのだろうか。


開会式の途中で垣間見えたプラカードには

Look Beyond Appearance

と書いてあった。


その視点を持っているかどうかで

各国の成熟度がわかるような気がする。

見世物にしか見えない人も、そんな文化もまだまだあるだろう。



奇しくも昨日はダウン症の出生前診断が可能なるというニュースが話題になっていた。

優生保護とかそんな歴史も踏まえながらも

改めて現実の認識と、未来の社会を考える。


どの方向にこの国は向かっていくんだろう。

どの方向に世界は向かっていくんだろう。


偏見や差別に軸足をぶらされないように、

障害を隠さなくてはいけない世の中から脱出できるように。