ここ数年、フェイスブックを通じてアメリカにいる大学時代の友人とも
とても簡単に連絡が取れるようになっている。
長男と同じ年の娘がいる友人が、今度日本に来てみたいという話から、
そういえば、長男もアメリカのキャンプに参加させたいと思っていたんだ
なんていう話になって、少し調べてみた。
アメリカのキャンプといえば4週間から8週間の長いものが一般的で
大きなキャビンやバンガローに同年代の子たちと過ごすのだが、
もちろん40日しか休みがない日本の学校に通う長男が行くのは現実的ではない。
言葉もつたないながらもなんとかコミュニケーションできるかな、
身辺自立や荷物の管理、乗り物酔いなんかもなんとか自分でクリアできるかなと
条件が少しずつ整ってきたからこそのキャンプなのだが。
少し調べてみると、ハンディキャップ向けのキャンプも様々に用意されていて、
軽度発達遅延全般やADHD用,アスペルガー用と特性に合わせて企画されているプログラムもあれば
血友病や肢体不自由、もちろん重度の障害のある子のに特化したプログラムもある。
そしてキャンプ期間も長いものでも一週間という、割とお手軽な感じだった。
重度の子にはマンツーマンに近い介助者もおかれるし、
状態や特性に合わせて、プログラムやスタッフも組まれているというなんとも魅力的な感じ。
キャンプの主な目的は自立やコミュニケーション、責任感や自尊心。
そして何よりもそんな障害のある子にとって
同年代の中で豊かな経験をすることがいかに大切かということが理解されてこその内容だった。
中高生には責任をもって仕事のトレーニングを受けるという体験もあるようだ。
アメリカのキャンプならではの馬の世話、とかみたいだし、なんだか楽しそう。
友人がいうには、ある程度の身辺自立ができているのなら、
普通の子が行くキャンプで十分じゃないかということだった。
軽度の障害がある子が教育現場で統合されているように、
キャンプでももちろん配慮の必要な障害のある子には配慮がされなくてはいけないと
極めて厳しい規定があるのだという。
私も高校生の時に海外でのキャンププログラムを経験している。
開放的で友達もたくさんできるし、なにより日本だけではないという
広い価値観が世の中に存在することを見てほしいという思いが強いのだが、
まず高校が決まらないとどうにも決断ができない。
だいたい夏のキャンプでも3月には締め切りになるし、
飛行機で向かうとなるとそれなりにお金もかかるだろう。
私立の高校でスケジュールも入学してみないとわからないので
時間的にも予算的にも今回はやはり無理がある。
日本でももちろん療育やYMCAのキャンプもあるのは知っている。
アメリカではなく、国内での療育キャンプは数も限られており、
一般のキャンプは高校生の年代をターゲットにしているところもあまりない。
私自身がそんなキャンプのことに興味があり、できれば日本でも真似できないか
勉強してみたいということもあった。
うちの自治体では支援級の子を集めて年に一回宿泊行事もある。
普段接している支援級の先生が同伴するのだから心強いだろうが、
在籍しながらもそういう行事に参加することはとうとうないまま
支援級に在籍していた9年間の義務教育期間が終わろうとしている。
でもその経験は在籍によって制限されるものではもちろんないだろうし
必要な支援を必要な時に受けられるという基本的なことが
学校や日常生活に根付いていないこともなんだかしっくりこなかった。
今回調べてみて、いつかはやっぱり行かせたいと思った。
自分がマイノリティでありうること、マイノリティであることも別に悪くないということ
そんなことを肌で感じて大きな心を育ててほしい。
友人が一生懸命調べてくれて、「2週間くらい、うちに泊まればいいわ」なんて
さらりと言ってくれることを考えると、やはり友達ってありがたい。
多動や学習障害のある子、
客観視や感情のコントロールが苦手な子、
少し勉強が苦手な子、
不器用な子、
おとなしい子、
家庭事情が複雑な子、
日本語が母国語ではない子
6.5パーセントもいるんだったらもうこれは
支援級がどうのとか在籍がどうのとか
そういう問題ではないのは明らかなわけで。
不登校だったりいじめだったり非行だったり学習不振だったり
いろんなことに歪を与え、問題を生み出しているようにしか思えない
今の小学校の学習環境。
長男が3年前に卒業した小学校は一学年三クラスだったが、
当時はベテランの学年主任、中堅、新人、と
それぞれ一人ずつ担任するような形が一般的だった。
そして支援級に在籍する長男は、交流するときには支援級の先生が入ってくるからということなのか
ほとんどの場合は自動的に新任、もしくは若い先生。
いや、若い先生もいいですよ。パワーもあるし柔軟だし。
凝り固まってあれもできません、これもできません、っていう先生よりも
お願いすれば努力してくれるし、家族のための病欠も少ないし。
でもやっぱりクラスをまとめるノウハウや学習指導においては
経験を積んだ教員にはとてもかなわない。
お願いしたことに一生懸命になってしまってクラスがばらばらになってしまったら
それこそ本末転倒なのだから。
そして支援級の先生がいる、といっても別にチームティーチングをしてくれるわけでもないし
主導をとるのは普通級の先生なのだからと言って、遠慮なのか何なのか。
後ろに座っているだけということも多かった。
クラスの支援が必要な子に特に目が行き届くというわけでもなく。
むしろ元気な子は力のある主任先生のクラスに回されることが多かった。
そこでクラス運営を元気な子(支援が必要な子)に合わせてうまく回していくこともできていた。
去年までは荒れてたけど、あの子、落ち着いたね~ということもあった。
やっぱり支援級というタスキをかけて、学習支援が必要だけど受動型というわが子が
交流級で生活させたい、ということにハードルを感じざるを得なかった。
かといって在籍が普通級だったらうまくいったのかというのもよくわからないが
少なくとも縛りが少なく柔軟な支援を受けられたのは皮肉なことに普通級在籍のほうだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、「学校運営に口出すなんて絶対やってはいけないこと」と
学校教員の(特に管理職の)強い考えがどうやらはびこっているようで
保護者と連携とか、よりよい教育環境を作るために柔軟に対応なんて
結局絵に描いたもちだったのかよと愚痴をこぼしつつも、
いろんなことを振り返ってみてこうだったらよかったのでは?ということを考える。
100人近くの一学年のクラスの割り振りから考えるのなら
いっそのこと普通級の中に、めちゃくちゃ構造化されたクラスを一つ作ってしまえばいい。
本当は一つじゃなくて、三つのクラスが全て、子ども達に合わせて柔軟に運営できるような教員配備にして・・・とかが理想的だろうけど今はとりあえずひとつ。
教員の力量とか、知識とか、人間性とかもいろいろあるだろうし、全ての先生にできるかといったら難しいかもしれないし。だからとりあえずひとつ。
それでそのクラスの中では同じ学習指導内容で、
最初の十五分で説明(もちろん視覚的にもわかりやすいものを)
次に個人のレベルに合わせた問題なりワークなりに取り組む
最後にそれを先生が一斉でまとめる、板書してノートに取らせるなど
これだけ。
こうして書くと別に新しいことでも難しいことでもなんでもないようだけど、
これを個別に配慮が必要な子をまとめて(100人だったら7人くらい?)
その子なりに必要な対応をあらかじめ考えておいて(個別の指導計画そのままだし)
全員、つまり応用の授業をやりたい子も、基礎が追い付いていない子も
全ての子に合わせた教材を用意して(同じ学習内容を何十年もやっているんだからそれくらいできそうだけど)
クラス内で配慮ある学級運営をするだけ。
特に配慮がマストである訳ではない子は卒業するまでにも何回かこのクラスに入るだろうし
このクラスに入らなくても魅力的な学級にはもちろんしてほしいけど。
やっぱり「配慮が必要なクラス」はみんながいいな~、今度はあのクラスになりたい!って思えるような
一人ひとりが大事にされているクラスじゃなきゃ絶対だめなんだと思う。
支援級に配慮が必要な子を集めて「簡単に在籍は変えられませんよ」なんて
時代錯誤なことを言っていないで
さっさと普通級からの改革をして特別支援教育に向き合わないと、
この国のいろんな膿は出続ける。そんな思い。
小学校ならまだまだいろんな形でやっていけるんじゃないかな。
ゆとりか非ゆとりかなんてどうでもいいことで右往左往してないで。
客観視や感情のコントロールが苦手な子、
少し勉強が苦手な子、
不器用な子、
おとなしい子、
家庭事情が複雑な子、
日本語が母国語ではない子
6.5パーセントもいるんだったらもうこれは
支援級がどうのとか在籍がどうのとか
そういう問題ではないのは明らかなわけで。
不登校だったりいじめだったり非行だったり学習不振だったり
いろんなことに歪を与え、問題を生み出しているようにしか思えない
今の小学校の学習環境。
長男が3年前に卒業した小学校は一学年三クラスだったが、
当時はベテランの学年主任、中堅、新人、と
それぞれ一人ずつ担任するような形が一般的だった。
そして支援級に在籍する長男は、交流するときには支援級の先生が入ってくるからということなのか
ほとんどの場合は自動的に新任、もしくは若い先生。
いや、若い先生もいいですよ。パワーもあるし柔軟だし。
凝り固まってあれもできません、これもできません、っていう先生よりも
お願いすれば努力してくれるし、家族のための病欠も少ないし。
でもやっぱりクラスをまとめるノウハウや学習指導においては
経験を積んだ教員にはとてもかなわない。
お願いしたことに一生懸命になってしまってクラスがばらばらになってしまったら
それこそ本末転倒なのだから。
そして支援級の先生がいる、といっても別にチームティーチングをしてくれるわけでもないし
主導をとるのは普通級の先生なのだからと言って、遠慮なのか何なのか。
後ろに座っているだけということも多かった。
クラスの支援が必要な子に特に目が行き届くというわけでもなく。
むしろ元気な子は力のある主任先生のクラスに回されることが多かった。
そこでクラス運営を元気な子(支援が必要な子)に合わせてうまく回していくこともできていた。
去年までは荒れてたけど、あの子、落ち着いたね~ということもあった。
やっぱり支援級というタスキをかけて、学習支援が必要だけど受動型というわが子が
交流級で生活させたい、ということにハードルを感じざるを得なかった。
かといって在籍が普通級だったらうまくいったのかというのもよくわからないが
少なくとも縛りが少なく柔軟な支援を受けられたのは皮肉なことに普通級在籍のほうだったのかもしれない。
そんなことを考えながら、「学校運営に口出すなんて絶対やってはいけないこと」と
学校教員の(特に管理職の)強い考えがどうやらはびこっているようで
保護者と連携とか、よりよい教育環境を作るために柔軟に対応なんて
結局絵に描いたもちだったのかよと愚痴をこぼしつつも、
いろんなことを振り返ってみてこうだったらよかったのでは?ということを考える。
100人近くの一学年のクラスの割り振りから考えるのなら
いっそのこと普通級の中に、めちゃくちゃ構造化されたクラスを一つ作ってしまえばいい。
本当は一つじゃなくて、三つのクラスが全て、子ども達に合わせて柔軟に運営できるような教員配備にして・・・とかが理想的だろうけど今はとりあえずひとつ。
教員の力量とか、知識とか、人間性とかもいろいろあるだろうし、全ての先生にできるかといったら難しいかもしれないし。だからとりあえずひとつ。
それでそのクラスの中では同じ学習指導内容で、
最初の十五分で説明(もちろん視覚的にもわかりやすいものを)
次に個人のレベルに合わせた問題なりワークなりに取り組む
最後にそれを先生が一斉でまとめる、板書してノートに取らせるなど
これだけ。
こうして書くと別に新しいことでも難しいことでもなんでもないようだけど、
これを個別に配慮が必要な子をまとめて(100人だったら7人くらい?)
その子なりに必要な対応をあらかじめ考えておいて(個別の指導計画そのままだし)
全員、つまり応用の授業をやりたい子も、基礎が追い付いていない子も
全ての子に合わせた教材を用意して(同じ学習内容を何十年もやっているんだからそれくらいできそうだけど)
クラス内で配慮ある学級運営をするだけ。
特に配慮がマストである訳ではない子は卒業するまでにも何回かこのクラスに入るだろうし
このクラスに入らなくても魅力的な学級にはもちろんしてほしいけど。
やっぱり「配慮が必要なクラス」はみんながいいな~、今度はあのクラスになりたい!って思えるような
一人ひとりが大事にされているクラスじゃなきゃ絶対だめなんだと思う。
支援級に配慮が必要な子を集めて「簡単に在籍は変えられませんよ」なんて
時代錯誤なことを言っていないで
さっさと普通級からの改革をして特別支援教育に向き合わないと、
この国のいろんな膿は出続ける。そんな思い。
小学校ならまだまだいろんな形でやっていけるんじゃないかな。
ゆとりか非ゆとりかなんてどうでもいいことで右往左往してないで。