のろのろすることと受け止めること | 一日一思想

一日一思想

考えることは生きること

例えば電車の切符の自動券売機で

子どもがお母さんと一緒に切符を買う練習をしている。

子どもはなかなか料金をしっかり見つけたり

どのボタンを押すかわからずに時間をかけている。

お母さんはそれを見守っていたり教えていたり。


ではその券売機が混んできて

後ろに列ができてきたらどうするか。

自分だったら混んできたから適当に教えて

ゆっくり自分でやってみる練習はまた今度。


でもその混雑具合はどのくらい?

三台の券売機すべてに3人ずつ並んでいたら混雑?

三台の券売機で他にも使える券売機があれば一人ずつくらい並んでいるのは混雑?

一台しかない券売機に後ろに人が一人でも並んだら混雑?

そのさじ加減も人によって違うだろう。


電車の券売機はこれから電車に乗る人が買うのに使うものだから

基本的にはある程度急いでいる人(次の電車に乗ろうとはしている)だろう。


駅や券売機の混雑具合も、いつも混んでいるところもあるかもしれないし

とても空いている時間があるところかもしれない。


状況によって違うのは当然だけど、

待っている人の中で、舌打ちせんばかりに怒っている人も時々見かける。

実際に文句を言っている人も見かける。

怒鳴っている人もいるかもしれない。


子どもがどのくらいの年齢かにもよるだろうが、

ではそれが障害者だったらどうだろう?


杖をついていたり、車いすに乗っていたり

明らかに「わかりやすい」障害者だったら

その文句を言う人はどれくらい文句を言うだろう。

どのくらい我慢をするだろう。


では見た目にはあまりわからないけど

表情だったり、行動だったりに特徴があって

知的な障害や自閉症が考えられる場合は?

表面的には全く分からないけど、普通に喋っているようにみえるけど

切符を買うのにとても時間がかかる軽度知的障害者は多いと思う。


結局は社会の、受け手側の許容量なのかなと思うことも多い。

社会的、文化的に今の日本が小さな子どもやお年寄り、障害者等の弱者と

声が大きく一般的に社会を担っている生産者としての社会人を

どのように優先しているのだろうか。

迷惑がかかるから時間がかかる人は電車の切符を買うなという方向に行くのが

多数の意見としてまかり通るのであれば、この社会は終わりだなと思う。


ICカードが普及してきて、券売機で切符を買う機会もめっきり少なくなった。

そんな心配をしなくても電車に乗れるようになってきたかというと

そうではなくて

かえってそういう相手を思いやる機会が減ってしまうことによって

のろのろして邪魔になる人は迷惑、排除してよい

という偏った考え方をする人が増えてしまうのを懸念。

長男と同年代の子ども達は、この便利な世の中で生活していて

どのように考えながら成長しているのだろう。

そしてどんな大人として社会を形成していくことになるのだろう。


やっぱりきちんとあえて言葉で教えてあげなければいけない場面が

これから増えていくはず。

発達障害がなくても、人の気持ちがわかりにくくなるという社会が

もうすぐそこまで来ているのかもしれない。


そんなことを次男三歳がスーパーでかごを片付けているのを見て思った

年末のひととき。