mixiで闘病ブログを書いていたので | 妻の膠原病の話

妻の膠原病の話

妻の膠原病の闘病を記録し、同じような方との交流が持てればいいなと始めました。
2024.5 シェーグレン症候群
2024.7 間質性肺炎診断
2024.9 皮膚筋炎(坑ARS抗体陽性/坑PL-7抗体陽性)
2024.10末~ プレドニゾロン20gm→4mg再燃30mg→8mg(2026.4)
タクロリムス3mg

最近気持ちもやっと落ち着いてきたのでその後どうなったのかをmixi日記から転載させていただきます。


こんばんわ、久しぶりの日記です。
久しぶりなのにこんな日記ですいません。

今日も毎週同じように母を病院へと連れて行く。
母はもう家にはいるが食事もろくにとれずガリガリになってしまった。
そのせいか一人で歩くのもやっとの状態だ。
いつものように病院の先生と話す
そして何故か診察が終わってから母が腹水を抜くための処置に行った後また先生に自分だけ呼ばれる。
話はこうだった...
「もう今の抗がん剤は使えません。正常な部分まで破壊してしまっているのでもう使えない。他に治療という事が出来なくなります、抗がん剤で何とか抑えられていた癌細胞も、急激に活発になるかもしれません。早ければ一か月...という心の準備をしておいてください。悔いの残らないように。」
と言われた。
まあいずれは来るであろうと思ってはいたが、やっぱり先生の口から言われると実感してしまう、しかも一か月ってそんな早く?って思ってしまう、最近の母を見ていると食べれないがまだ動けるし、文句も言える。それが一か月でどうにかなってしまうなんて膵臓癌はそれくらい進行が速いのだ。
うちの母は多分だまっていられるのが嫌いだから、自分の事は何でも知りたいはずだから、来週にでも先生から少し突っ込んだところまで話してあげてくださいとお願いをしておいた。

一か月...悔いの残らないようにって?それはきっと無理だろう。これから親孝行を沢山するところだったのに長く生きられないっていう時点でもう悔いは残っている。
しかも家にはボケたばあさんが色々やらかして母のストレスを増加させている。結構前に介護保険を申請したが未だに結果が出ない、役所なんてそんなもんなのだろう...。
病気になって入院をして、せっかく退院をして家で残りの時間を平穏に過ごせる期間があったのに、今までばあさんのせいで平穏なんて無かった、もっと早く自分がばあさんを何とかしていればもっと有意義な時間が出来たのかもしれないと一番の悔いが残る。

でも、事故で突然の別れになったり、発作などでいきなり亡くなってしまった友人の環境よりは僕は恵まれてるのかもしれない。この半年間は母とかなり接してきたし沢山話した、それまでどう過ごすかっていう事も出来なかった方よりかなり恵まれているはずだ。
でもやっぱり最後の期限がある程度決められて、それまでにどうするかっていう日常は難しくてしんどいものだった。徐々に弱っていく親を見るのはとても辛い、絶対弱音を吐かなかった強い母からポロっと出る弱音は聞くだけで涙が出た。

母の気持ちを考えるとどうにも苦しくなる。まだ中学の時に父が遊ぶために作った借金1000万を必死で働いて返して、返した直後にまた300万の借金...
その時に離婚すると生活が出来なくなってしまうから、やっぱり必死で働いて返して、そして離婚。
そんなわだかまりがなくなってこれからだって時に病気になり余命一年。
すごく頑張って、俺らを養ってくれて、人のためにも頑張って...そんな人にこんな仕打ちは無い...。
ひどすぎると思うのは俺だけなんだろうか。

一つ気がかりなことが、母は自分の友人知人には一切余命などは言っていない、言いたくないそうだ。
弱ってガリガリになった今は友人などにも今の自分の姿を見せたくないし、話すのがもうダルイらしく全然会ってもいない。
でもこういう時って自分の心を許せる友人と会って話すことでストレスなんかを発散出来たりするのに、と思う。
この先も最後まで言わないつもりなのかはわからないけど、俺から言っちゃうのはアリなんだろうか?やっぱり言わない方がいいんだろうか?
今すごく悩んでいます。

最後に、これから先も俺は何か特別な事っていうのは別に考えてません。ただ普通に今まで通り家族として精一杯残りの時間を過ごしていければと思います。
それがきっと母と僕との家族っていう絆だから。

リア友の方にお願いです
母はまだ一か月っていうのは知りませんのでよろしくお願いします。