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 ~社会をより豊かに~

ドラマケーションで扱うさまざまなアクティブメニューは、アクティブメニューを体験してこそ意味があるのか?

もしそうならば見ているだけでも良いというドラマケーションの基本理念に沿って見ているだけでもいいが、それでは何も意味をなさず獲得するものはないということになる。

企業研修は別として、教育機関等で実施する時、主催者は参加者がアクティブメニューを体験するかしないかにばかり気になってしまうようだ。

アクティブラーニングの場合、仮に身体はアクティブでなくても頭の中がアクティブであるかが重要であるとしている。

ドラマケーションの活動でも同じことが言えるはずなのだが、まだまだ世間の風は厳しい。


例えば、
ファシリテーターが、こういうアクティブメニューをやってみないかと提案した時に誰もやろうとしなかったとする。

参加者が内心で
「こういうみんなで何かする活動って苦手なんだよな」
「誰かやれよ」
「誰もやろうとしなくて気まずい」
「単純に嫌だ」
etc.
と思う。


体験しなくても、こういう「思い」が大事になる。


「自分はこういうことが苦手だ」とわかる。
「自分は自身の意思よりも周囲との協調、同調を重視する」とわかる。
「周囲の雰囲気に対して敏感だ」とわかる。
「自身が嫌だと思うことは避けるタイプだ」とわかる。

自分自身について何を通して何に気付くか。
これが重要である。


もし将来、企業に入って仕事をはじめたところ、
みんなで何かするって苦手だと気づいたので辞めます。

または、

苦手なので、独りでできる仕事しかしません。

こんなことを言い出したらどうか。

企業にとっても社会にとっても本人にとっても損失は大きい。


自分自身が何が苦手であるかを先に知っておくことで、

対策や克服する手段を考えることができる。
また、そもそも他者と協働しないような職を選択することもできる。

したがって、
何も体験しない=何も獲得していない
にはならない。


自分を知る時、他者や集団を通してはじめて知れることがある。
そのためにアクティブメニューを活用する。

活用には、提示から体験まで含まれるため幅広い。
アクティブメニューは体験するためのツールではない。

自身や他者、集団と向き合うためのツールである。


そして、向き合う手助けやより深く向き合うために

ふりかえり(リフレクション)

が大事になることは言うまでもない。


「体験してこそ」との戦いは、まだまだ続きそうだ。