酷く、白い。

どこまでも続く質感のない白い地面と、白い背景が景色の果てで混じりあう。


一人の少女が見える。赤みを帯びた茶色の髪の少女だ。

彼女と僕の視線がゆっくりと絡まる。彼女は最初からこちらを向いていたから、必然的にそうなる。


彼女は、口を開かない。

こんなところにまでやってくるのだから、僕に何か言いたいことでもあるのだろうと、普通の人間ならそう考える。

しかし彼女は話し始めようと息を吸う気配さえ見せない。

視線で雄弁に語りかけてくるでもない。そもそも僕にはそれを読みとる技術も感性もないので、彼女が百億の言葉を投げかけているのに気付けないだけかもしれないが。


ともかく、彼女が話し始めない場合は、たいてい僕から語りかけるしかないのであって、最早その手間をかけさせること自体が彼女のお気に入りの遊戯であるようにすら思えてくる。


「道に迷ったなら、地獄はこちらじゃないですよ」

僕は懇切丁寧に声をかけた。もう少し礼儀を尽くして“道案内しましょうか?”くらいは申し出るべきだったかもしれないが、生憎僕はそんなに優しくない。

「貴方のいるここが地獄じゃないなら、地獄はどんなところでしょうね」

「僕が73人いますけど。見にゆきます?」

相手の会話を拾ってテキトーに投げ返す。相手の投球が暴投であるので拾うのに疲れてしまい、こちらの弾がことあるごとに相手の顔面をぶちぬこうとするのは仕方のないことだ。

「貴方を加えると74人ね」

彼女がそっと思案するようなふりをして、そう呟く。

「2と37からなる半素数だ。でも73はそれだけで素数なので一人余計だな」

「なにそれ。73人が余計なんじゃないの?」

「余計と言えば全員余計だけどな」

そういって僕は挨拶を切り上げ、要件を聞こうという雰囲気を見せる。


「ここは貴方の夢、或いは思考の中なのだから、私に要件がある必要はないのでは?」

体感時間にして13分、たっぷり間をおいてから彼女はそんなことをのたまいやがった。

「僕の夢や思考の中に現れる君が、僕のつくりだした君であるとは限らない」

僕は二人にとって周知の事実を述べる。勿論、ここにいる彼女が、僕のつくりだしていない彼女であるとも断定できないので、“一人にとって”と言うべきかもしれない。

ともかく、僕らの夢にはたびたびお互いが現れる。これは僕と彼女が通常と異なる方法で意思疎通を行っているからであって、念じれば繋がるそのパスは、互いに睡眠状態であっても繋がってしまうことがままあるのだ。

つまり彼女は、僕が受け取った彼女の思念から勝手に像を紡ぎ出した、いわば偶像である。かもしれない。


「では私もそのまま言葉を返すわ。私は私の思念が貴方の中で形をもったものではないかもしれない」

そう彼女は言う。別段楽しそうでもなく。

「君が彼女の思念でないなら、君は頭頂から足の指先にいたり、その肉体に結びついた精神の思考から感情にいたるまで、全て僕のつくりだしたものなのだから、君の思念なんてものはないよ」

僕は言った。しかし、これは彼女がどちらであるのかを証明する内容ではない。

「そういうの上げ足をとるっていうのよ。貴方の夢なのだから私がこういう言動をするのは自然だと思うけれど?」

案の定彼女は容易く流す。

「まぁ、そうだな。しかしこれは証明できる問題ではない。勿論いくつかのルールを設定すれば不可能ではないだろうが。だが判定するのは簡単だ」

「あら、どうやるのかしら」

「起きればいいのさ。僕が起きた時パスが繋がっていれば、君は彼女ということで間違いない」

とはいえ僕はまだ起きる気はない。僕の体はまだ十分な睡眠を摂れていないことを訴えている。つまり、まだ眠い。

それに極論、彼女が僕のつくりだしたものだろうが、彼女の飛ばしてきた思念だろうがどちらでもいい。

伝えたいことがなければ、伝える気がなければいつまでも黙していればいい。


「はぁ。何を言うかと思えば・・と言ったところかしら。そもそも貴方の夢に私がいるということは私の夢に貴方がいるということで、私だって貴方が私のつくりだしたものなのか、それとも貴方自身の意志なのかわからないのよ?」

「失礼な、僕のどうしようもなさはオリジナルである僕自身の専売特許だぜ?君の想像程度で再現できるものかよ」

「受容体の認識を上回る被観測物は存在しえない。少なくとも観測者の中では。つまり、4次元の物体が3次元に顕現した時、その第4次元方向の側面は切り捨てられて写像されるように、貴方がどれほどどうしようもなくても、私のどうしようもなさの限度においてしか認識されず、だとすれば私の想像力のうちで再現可能でしょ?」

「つまり僕のどうしようもなさが正しく評価されてないということか。それは残念だな」

僕はがっかりしたようなふうを装う。実際のところは勿論どっちだっていい。


そして、幾分かの沈黙をおいて、彼女が何かを成し遂げたような口調で告げた。

「まぁそれはそれとして、私が伝えに来たことはちょうど今貴方の出ないといけない必修の講義のテストが終わったってことよ。因みに私は全て回答できたわ」






書いた感じ:なんか途中から雰囲気が俗然としていって、最後は見る影もないね。

まぁ内容が全然決まってなかったからなー。仕方ないなー。

僕の目は活字を追う。

いわく。

…世界というのは多くの人間の意識の重層からなる。

我々は世界を知ると言えど、それは共有知にすぎず、実際に見たものでも触れたものでも学んだものでもない。であれば、我々の知識はどのようにその確からしさを保っているのであろうか。

ここで私は多くの人間がそうだと信じることによって、ある事柄は真実となると定義する。つまり、世界の90%の人が地球を丸いと信じていれば、地球は90%の確率で丸いのであり、世界の20%の人しか神の存在を信じていなければ、神は80%の可能性で存在しないのである。

これを多重世界観と呼ぶ。要するに薄い透明なプレートの上に、個人の有する知識の範囲だけ色が付いており、それがいつも重なっていると考えてもらえばよい。多くの知識が重なって色が濃くなった個所がより確からしい知識であって、逆に薄い個所が信憑性の薄いものである―――例えば、霊の存在のような。

しかしこれにはいくつかの問題があり、その一つが信念の集団性である。即ち同じ思想というのは集団のうちでより広まりやすいのであり、それが客観的な確からしさの認識を誤らせることが…


「リベル、珈琲が入りましたよ」

リビングの方から声が聞こえ、僕の部屋の開け放した戸口に声の主が立つ。

「ああ、読書中でしたか。失礼」

アーデはそう言って丁寧に頭を下げた。

「いや、構わないよ。下らない内容で退屈していたところだ。ユリイカの著者はそれを詩的な文章として読むよう言ったが、この本は言葉の羅列としても面白みがない」

僕はそういいながら本を作業机の上へ置く。

「酷評ですね。誰の書いた本です?」

「知らん。基本的に僕は著者に対して興味がない。誰が書こうと面白いものは面白いのであって、著名な作者だとしても下らないものは下らない。それは論文だって音楽だって同じだよ」

そういって僕はリビングへと歩き出す。

「しかし著名な作者や好きなアーティストで選べば外れは減るはずです。時間は有限なのですから、賢く使っていくべきでしょう」

「どうだかね。例えばこんな認識の違いを説明するには先程の、多重世界概念では役者不足だ。あの概念は単純な知識にしか触れておらず、それを背景に生まれる種々の認識、見識を無視している」

いや、そこまで読まなかっただけかもな、と僕は付け加える。

そんなことを話しながら僕らはリビングへ着く。

アーデがキッチンへ回り込み、ソーサーに乗った二杯の珈琲を持ってくる。

「砂糖は?」

「沢山」

「ミルクは?」

「沢山」

そんなお決まりのやり取りをしてから僕は砂糖とミルクの多めに入った珈琲を受け取る。

それを啜りながら僕は尋ねる。

「そう言えば、エスとルヴェは?」

「さて。聞いてないですが。大方学園の依頼で動いているのでしょう。いえ、もしかすると単純に訓練でもしてるのかもしれませんね」

「ふぅん。まぁどちらでもいいけどさ」

そういって僕はまた珈琲を一口飲む。甘い。

僕は珈琲の香りと余韻を楽しむような素振りで、次の言葉の切り出し方を迷っていた。

「ところでさ」

結局名案は浮かばず、唐突に僕は切り出す。

「少し疑問なんだけれども、僕らと一緒に生活していくには君って案外まともだよね」

彼とはまだ契約して間もない。はっきりさせておくべきことがいくつかあった。

「そうですか?私も貴方たちもそう変わりませんよ」

「そうかな?僕らって案外タイプの違う人間だと思うけれど。言っておくけど、邪魔になるようなら手加減しないからね。殺すかどうかはちょっと難しい問題だけど」

そう僕は言った。安易に殺すと言ってしまわないだけに、真実味のある言葉だった。

契約相手を殺すなどというのは、デメリットがありすぎて返って嘘臭い。

「邪魔にはならないと思いますよ。私とリベルの利害が対立することなど殆どないでしょう」

「ほんとに?だって人とか殺せそうにないじゃない、アーデってさ」

「はは、別にそんなことはありませんよ。リベルとは心構えが少し違うだけです。殺したくないけれども、どうしても必要ならやむを得ないというのが私のスタンスです。結構普通でしょう?」

しかし貴方は違うとアーデは言い、続ける。

「貴方は邪魔なら殺すのが当然と考えている。その根底にあるのは、人はどうせエゴの塊であり、それならば自分もそのように振舞うのが当然だとする、諦めにも似た信念だ」

僕はその言葉に静かに頷いた。そうして半分あきれながらも聞き返す。

「そこまで分かっていて、どうして普通であろうと振舞うのさ?」

「そうですね。貴方が青臭いと切り捨てた何かが、私にはまだ必要だからです。見栄も虚勢も張りたいし、つまらないことで恥ずかしがってみたい。だってそれが人間というものでしょう?」

そういって笑ったのは人の姿をした獣だった。

完璧な笑顔の裏には、野獣の哀愁が張り付いていた。

「・・・。わかってんじゃねぇの」

そう呟いて僕は杯に残った珈琲を飲み干す。

「面白い。人間味のない人間と、人間より人間らしい獣人さんか」

僕はおどけていった。

「後、完璧に生物の思考から外れた人もいますよ。あれでも一応私の生体魔術の先生みたいなので、忘れないであげてください」

「まぁ皆人間試験に落第するって意味では似たようなもんだ」

僕は立ちあがり伸びをした。窓から見える空は相変わらず、曇っているのは晴れているのか分からない天気だった。

カツンと。

薄汚れた床を革靴が叩く。

彼、或いは彼女は青い貴族服を纏っていた。

青いジュストコールに青いジレ。胸元を飾る華やかなジャボだけが白い。

しかし下半身はキュロットではなく、青いスラックスを身に着けていた。

中性的な容貌に腰の上辺りでで緩く縛った長い青色の髪がかかり、男装にもかかわらず一見女性のように見える。観察眼の良い人であれば、顎のラインや肩幅の広さから辛うじて男性と判ずることができるであろう。

彼の服装はその粋を極めた装飾や刺繍ながらも、華美によって荘厳さを失うことのない繊細な境界上にあり、職人の妙を讃えるほかない。

端正な眉のしたで漆黒の瞳がうごき、紅い美姫の唇が言葉を紡ぐ。

「ミレリオ、ミレリオ・アーデン・リガルハイトよ。僕は先程、僕が来る前に終わらせろと、確かにそう言った」

男は淡々と音を吐く。普段とは違い、今の彼は事実しか話さない。

それは彼が話すという動作を不随動作としているからだ。不随動作を随意に行い、随意動作を不随的なものへとオートメーション化する。それにより彼の処理能力が飛躍的に上昇する。筋肉に無意識的にかけられたリミッターすら彼のコントロール下にある。筋肉は常人で片腕250kgを持ち上げる潜在能力があるが、契約者の彼は優にそれを上回る。これが人間として最高のパフォーマンスを発揮する、ヒトの獣人の超感覚だった。

「申し訳ございません、ご主人様。私の力不足でございます。今すぐに終わらせますのでどうかご寛恕を」

ミレリオと呼ばれた男は深く頭を下げてそう言った。彼は主人に命じられたとは考えていなかったが、主人にとってそれは同じことだと知っていた。勿論そうでなくとも、仮に主人が客観的に間違っていようとも、彼は主人の命に従わないわけにはいかなかった。それが、彼が彼である明確な証だからだ。

「謝罪は求めていない。これより先は最善であればよい」

青い青年が尊大な態度で話す。それこそが、ミレリオが主人に求める態度であった。

ミレリオは少し顎を引いて頷いてから僅かに乱れた執事服を整え、傍らの鞄から鋭い短剣にも似た爪の3本生えた巨大なセスタスのような武器を二振り取り出す。

「本当にこれは使い勝手が悪い」

そうぼやいた執事は地を蹴る。ニ脚での疾走は途中で四脚へと変わっていた。執事はもはやどこにもおらず、外からの明りの差す扉を飛び出していったのは凶悪な爪をもった黒き野獣だった。