いちご募金は2013年5月8日をもって締め切らせていただきました。
2年もの長きに渡り、沢山の暖かいご支援、心より感謝申し上げます
7月吉日、無事に募金を寄贈先へお渡しすることが出来ました。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
被災された方々の一日も早い復興を願います。
30年住み続けた大好きな海辺の故郷「亘理町」。
温暖な気候で海は徒歩数分。山は車で一時間足らず。。。自慢の町でした。
広がる田園風景、そして、いちごのビニールハウス。
2011年3月11日 14時46分。
一瞬で、砂浜が広がり、瓦礫に埋もれた町になりました。
道路だけが残り、目を瞑っても歩けると思っていた地元で自分の自宅跡を探すのに迷いました。
爆弾でも投下されたかのようです。
それでもね。やっぱり故郷なんです。
ここ以外ないんです。
この津波で沢山のいちご農家が犠牲になりました。
皆、いちごのハウスを案じ、引き返した人たちです。
命と引き換えに守りたかったもの。今、息絶えそうです。。。
生き残ったいちご農家が言う。「いちごの復活こそが生かされ者の使命」だと。
全てを津波で流されたけど「気持ちだけは流されてないから」と。
そんなわずかな光を消したくない。。。
そんな想いから、私達は近くで直に支援することが出来ない分、
いちご復活へ向けて、少しでもいちご農家の経済的・精神的な
悩みを解消しようと義援金集めを主とした支援をしていくことに決めました。
亘理に産まれた私達はいちごに生かされてきた。
今こそ恩返しのとき。
そして、記録し続けること。みんなに忘れないでいてもらうこと。
それが今後、離れて暮らす私達が出来る支援。
亘理町のマイナスからの復興を記録し、記事をUpし続けたいと思います。
被災地はこれからが一番大変。
精神的にも体力的にも。。。
どうか皆さん、忘れないで下さい。
3年2ヶ月。
久しぶりにゆっくり帰省しました。
やっぱりこの時季にイチゴで賑わってこそ亘理♪
そして、久しぶりに被災地域をゆっくり訪れました。
長瀞小学校体育館跡に先日建立された、お地蔵様。
吉田地区らしく右側の小さなお地蔵さんの手にはいちごが。
津波の犠牲となったイチゴ農家のみなさんもきっとこのお地蔵さんをみて微笑んでいることでしょう。
山元町では広大な菜の花畑が。
津波が押し寄せた場所とは思えないくらい華やかで、感動しました。
そして、名取の閖上。
朝市も再開され、大賑わい。
閖上朝市に常設されているメイプル館ではいつでも閖上の特産物が購入できるようになっているようです。館内ではいつも震災当日のTV映像が流されていて、沢山の人が見入っていました。
亘理は残念ながら震災当時、報道してくれる局は殆どなかったため、当時を振り返れる映像があまり残っていません。
当時は情報収集にとても苦労しました。
久しぶりの被災地域はどこも花でいっぱい。
活気にあふれていました☆