2024.8.22(木)撮影
神田神社 神田明神
銭形平次碑
こちらの画像の左側奥に『銭形平次』の石碑が建立されております。
こちらが、
『銭形平次碑』
となります。
正面からの構図。
銭形平次が、悪者に投げる寛永通宝を模した石碑の土台…
少し離れた位置からの構図。
石碑の碑文には、
❝ 石造り寛永通宝の銭形の中央には平次の碑、その右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。 ❞
とあります。
確かに、小さな石碑が隣りにありました。
当日は、碑文を読む事も満足にせずに、何の石碑だろうか?と、1枚撮影したのみです。
然しながら、こちらの画像にも小さく写っております。
小生は、ただの一度も『銭形平次』をまともに観た事がありません。
多分、父親やチャンネル主導権を持つ姉のお気に召さない内容だったかと推定されます。
『水戸黄門』も、我が家では観ない番組でした。
それではどのような時代劇を観たかと言いますと、
『遠山の金さん』とか、『伝七捕物帖』とか、あとは拝一刀の『子連れ狼』が少し…
多分、演じる俳優などで決定されていたのかと思われます。
個人的には、『必殺仕事人』が好きで、中学校や高等学校の試験時に、早めに学校が引けますと、昼間の再放送を観るのが大好物だったりしました。
緒形拳などがよろしかったかと思います。
参考に…
緒形拳
Wikipediaウェブサイトより、引用して紹介します。
作品名
1972年:『必殺仕掛人』
1975年:『必殺必中仕事屋稼業』
『必殺仕事人』ではなかったようです…
そう言う事です。
お分かりいただけただろうか?
『銭形平次』には思い入れがないのですが、
折角なので撮影いたしました。
樹木に囲まれた、『銭形平次』の石碑…。
こちらは、碑文となります。
発起人の石碑となります。
『八五郎、通称「がらっ八」』
の小さな碑となります。
神田神社 神田明神
銭形平次碑
銭形の平次は、野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。
平次の住居は、明神下の元の台所町ということになっている。この碑は、昭和四十五年十二月有志の作家と出版社とが発起人となり、縁りの明神下を見下ろす地に建立された。
石造り寛永通宝の銭形の中央には平次の碑、その右側に八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。
前回のブログ記事は、以下の通りです。
神田神社 (神田明神) 参詣記
〘2024.8.22〙 その8
アメーバブログ記事より
神田神社 (神田明神) 参詣記 〘2024.8.22〙 その8 アメーバブログ記事
今回はここまでです。