アセビ(馬酔木) です。
さいたま新都心にて
2024.3.27(水) 撮影
アセビ(馬酔木)の花が咲いていました。
銘板が存在しているのですが、この樹木の根元付近にある為、スマホカメラ📷では上手く撮影出来ませんでした。
木の間越しに、何となく見えるのがお分かりいただけただろうか?
少し離れて撮影。
フッキソウ(富貴草)の銘板が、手前に見えておりますが、フッキソウはまた別のブログ記事にて紹介いたします。
アセビ(馬酔木)の樹木の手前に咲いておりますのが、フッキソウ(富貴草)です。
こちらは、更に離れて撮影。
背景には、さいたま新都心合同庁舎2号館
が見えております。
こちらは、アセビの樹木を見上げて撮影。
さいたま新都心合同庁舎2号館が見えておりますね。
屋上ヘリポート付きの高層ビル🏢 となっております。
アセビ(馬酔木)の花を中心に撮影。
こちらは、同じ樹木なのですが、向きによっては花の色具合が違います。
先の画像は薄いピンク色🩷ですが、こちらは白色となります。
太陽光線の当たり具合にもよるのでしょうか?
接近して撮影しますと、やはり白色です。
こちらは、同じ樹木の薄いピンク色🩷の花です。
こちらは、花の先端がピンク色🩷ですね。
こちらは、葉っぱ🌿に太陽の光が当たっております。
こちらは、赤色の葉っぱが萌出しておりますね。
少しだけ離れて撮影。
右下の葉っぱは、芽吹いたばかりで、赤く色づいておりますね。
こんな感じに芽吹いた葉っぱは赤く色づいております。
お分かりいただけただろうか?
小生、還暦過ぎて初めてアセビ(馬酔木)の花を見た、と言うか認識しました。
『馬酔木』と言う文芸雑誌があったかと思いますが、樹木や花を認識するのは、今回が初めてのはず…。
参考に…。
馬酔木 (短歌雑誌)
Wikipedia ウェブサイトより
馬酔木 (短歌雑誌)
Wikipedia ウェブサイトより、引用して紹介いたします。
❝ 馬酔木』(あしび)は、1903年(明治36年)
6月に正岡子規亡き後、写生道を発展するために創刊され、1908年(明治41年)1月に終刊した、根岸短歌会の短歌雑誌である。
主な編集者には伊藤左千夫、長塚節、岡麓がいた。 ❞
以上です。
今回はここまでです。