『我孫子市ゆかりの文化人』石碑JR東日本 常磐線 我孫子駅南口駅前 | ひろのブログ

ひろのブログ

ブログの説明を入力します。

『我孫子市ゆかりの文化人』石碑

JR東日本 常磐線 我孫子駅南口駅前 となります。

にっこり


『我孫子市ゆかりの文化人』石碑

武者小路實篤 · 作家 1885〜1976

柳 宗悦 · 哲学者 1889〜1961

志賀直哉 · 小説家 1883〜1971

柳田國男 · 民俗学者 1875〜1962

岡田武松 · 気象学者 1874〜1956

中野治房 · 植物学者 1883〜1973

嘉納治五郎 · 柔道家 1860〜1938

杉村楚人冠 · ジャーナリスト 1872〜1945

バーナード・リーチ · 陶芸家 1887〜1979


2024.1.25(木)撮影





こちらが、『我孫子市ゆかりの文化人』石碑
JR東日本 常磐線 我孫子駅南口駅前
となります。
にっこり


似たような構図です。
凝視


斜め右側からの構図です。
凝視


少し、正面方向へ移動して撮影。
凝視


正面からの構図となります。
凝視



手賀沼と利根川に囲まれた田園風景豊かな
我孫子市は、古くから文化人たちとゆかりが深い。
主な人々を紹介する。
手賀沼のほとりには、20世紀はじめの大正時代、
多くの文人が暮らし、数々の名作を生み出した。
沼近くに別荘をもった柔道家の嘉納治五郎にみち
びかれ、人道主義と理想主義を唱える白樺派の
柳宗悦、志賀直哉、武者小路實篤が移り住み、
交流し、思索を深め、創作にはげんだ。
白樺派の人々がいた手賀沼べりには、数多くの
友人知人や信奉者が訪れた。
陶芸家のバーナード・リーチや作家の中勘助、
瀧井孝作も沼畔で作品を残している。



左側の文化人の紹介です。
凝視

柳田國男
(やなぎだ くにお) 1875〜1962
民俗学者。兵庫県に生まれる。旧姓は松岡。
貴族院書記官長をへて民間にあって日本民俗学
を樹立。「遠野物語」「海上の道」をはじめ
厖大な著作がある。近代日本を代表する国際的
文化人。我孫子市布佐に実家松岡家があり、
青少年時代の利根川べりでの体験は後の彼の
人と学問の形成に大きな影響を与えた。
文化勲章受章。柳田には松岡鼎(医師)、
井上通泰(歌人)、松岡静雄(言語学者)、
松岡映丘(日本画家)たち英才兄弟がいる。

岡田武松
(おかだ たけまつ) 1874〜1956
気象学者。我孫子市布佐に生まれる。
中央気象台長。日本の気象観測事業の確立に
貢献した気象界のパイオニア。岡田の法則や
梅雨論などで知られる国際的気象学者。
地元周辺に気象送信所、気象大学校、気象
測器工場などを誘致し、また、岡田文庫を
開設するなど地域の振興に貢献した。
文化勲章受章。

中野治房
(なかの はるふさ) 1883〜1973
植物学者。我孫子市中里に生まれる。東京大学
教授。手賀沼も含めた湖沼の植物研究から出発
し、植物生理学や植物生態学理論など幅広い  
研究活動を展開。自然保護運動や雪国生活改善
運動などにも参加。大正時代に郷土誌を編纂、
第2次世界大戦後には地域文化運動を組織し
地元村長も務めた。



ジャーナリストの杉村楚人冠は、随筆で手賀沼の
風物を世に広く紹介した。手賀沼の水草を研究
した中野治房は、自然保護を提唱する植物学者
となった。また、沼周辺に生きた、歯科医界の
権威血脇守之助は、野口英世の育ての親で知ら
れる。
利根川べりでは、19世紀後半の明治時代、後に
国際的な民俗学者になる柳田國男と気象学者に
なる岡田武松が、若き日に友情を深めつつ、
その人と学問の形成を図った。




右側の文化人の紹介です。
凝視

嘉納治五郎
(かのう じごろう) 1860〜1938
柔道家。教育家。兵庫県に生まれる。講道館
を創設して柔道の発展に貢献する。東京高等
師範学校長。大日本体育協会創立。IOC委員
として第12回オリンピック東京大会の誘致
に成功(第2次世界大戦のため中止)。明治時代
末に我孫子に別荘を建て、手賀沼別荘文化の
草分けとなる。沼べりの丘に学園建設を構想
した。

杉村楚人冠
(すぎむら そじんかん)1872〜1945
ジャーナリスト。和歌山県に生まれる。
本名は廣太郎。朝日新聞社に入社し、調査部
や記事審査部を新設、縮刷版やアサヒグラフ
を創刊。新聞学者としても有名。大正時代末
から我孫子に永住した。随筆「湖畔吟」など
で手賀沼周辺を広く全国に紹介。また、地元
に俳句結社をつくり地域文化の育成に貢献した。

バーナード・リーチ
(Bernard Leach)1887〜1979
イギリスの著名な陶芸家。香港に生まれる。
明治時代末から大正時代中頃まで日本に滞在し、
柳宗悦や富本憲吉、濱田庄司らの民芸運動に
参加。大正5年(1916)、我孫子の柳宗悦邸内に
窯をひらき作陶に励んだ。イギリスに帰国後は
セントアイブスを中心に制作を続けた。






やや接近して、正面からの構図。
凝視


白樺派の3人の紹介です。
凝視


左側から白樺派の方々の紹介です。
凝視

武者小路實篤
(むしゃのこうじ さねあつ)1885〜1976
作家。東京に生まれる。雑誌「白樺」を創刊。
白樺派の代表的存在。人生肯定、人間信頼を
唱え、ユートピアを目指して「新しき村」を
開いた。代表作に「お目出たき人」「人間万歳」
「真理先生」などがある。大正5年(1916)から
我孫子に在住、同7年に「新しき村」建設のため
九州へ出発した。


真ん中の紹介です。
凝視

柳宗悦
(やなぎ むねよし)1889〜1961
哲学者。東京に生まれる。民芸運動の創始者。
雑誌「白樺」の創刊に加わり、やがて民芸
運動を提唱する。雑誌「工芸」を創刊。日本
民芸館を設立。大正3年(1914)から同10年まで
我孫子に在住。我孫子時代、宗教哲学者として
自立しながら、朝鮮芸術への関心を深めた。
それはやがて民芸思想の形成に結実した。
妻の兼子は声楽家として著名。



右側の紹介です。

凝視


志賀直哉

(しが なおや)1883〜1971

小説家。宮城県に生まれる。雑誌「白樺」の

創刊に参加する。感受性と描写力に富み簡潔で

格調の高い作風は、「小説の神様」とも称され

た。大正4年(1915)から同12年まで、我孫子に

在住。「和解」「暗夜行路」「城の崎にて」

など志賀の代表作には、我孫子時代の作品が多い。文化勲章受章。



今回はここまでです。

ニコニコ