「水軒堤防」と聞いても地元の和歌山の人も殆ど知らないでしょう・・・
水軒堤防は江戸時代に和歌山城の西側の海岸(今の和歌山市西浜)に作られた堤防で全国に例がない高い技術を誇る防潮・防波堤防です。
『和歌山県史蹟名勝天然記念物調査報告』によると、水軒堤防は、初代藩主、徳川頼宣の寛永年間(1624~44年)に朝比奈段右衛門が築造したそうです。高さは5・4~10・8メートル、全長は1・6キロで表面は和泉砂岩、裏には雑賀崎石を使用しているそうです。
江戸初期は紀州徳川藩も財力は豊かだったんでしょうね。
昭和初期には既に砂に埋もれ、完全に忘れ去られていたが2005年道路の拡幅工事に伴う発掘調査で、精巧な加工が施された石堤が姿を現し関係者を驚かせたそうです。
http://www.wabunse.or.jp/maizouHP/kobetushoukai/suikenteibou/suiken.pdf
しかし残念な事に道路を平坦にする為に堤防の先端が削られて別の場所に移築されてしまった・・・
写真はkalashさんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/kalash0508/ から拝借しました。
このあと道路は拡幅され平坦になり堤防の先端から2Mほど下に新しい道路が作られました。
個人的な見解ですが道路を平坦にする事と遺跡を守る事はどちらが重要なんでしょうか?
大阪の難波の宮跡の上を走る阪神高速は遺跡を壊さないように高架にせずに走らせているのに・・・
http://chaos08.blog17.fc2.com/blog-entry-541.html
近い将来起こるだろう南海地震の時に周辺より2M以上下がってしまった道路から津波が西浜の街中に流れ込んだとしたら・・・先人の教訓を生かせていないと笑われそうです。