さて、この夏は
なんとも楽しくなれそうな話題作!
とっても楽しみ
ここの舞台は、物語に入り込んで観れて、いつもアッと言う間で「もっかい観たい!」となる!そんな作品です。
若い世代の人たちは、この20年くらいでアニメ実写版の舞台って言うのが興行の一つで成り立って来たんだけど。
そこの世界を抜け出して、大人から子供まで皆楽しめちゃうような舞台を築き上げているのが!
このGEKIIKEの脚本:木村純子&演出:樋口夢祈の名コンビ。
舞台って、そもそも好きな人しか行かないじゃない。
誰某のファンだからとか、アニメの実写だからとか、昔演劇部だったからとか。
ところがGEKIIKEの舞台は、作品の面白さがファンを家から引っ張り出すようなお芝居。
本来日本の庶民の興行って基本お祭りだけど。
江戸時代のドサ回りが地方まで日本の隅々に、娯楽を行き渡らしてくれていた。
小屋に幟が上がれば村中の人が集まりだして、みんな片寄合い、ひしめき合いながら楽しんでいた。
昭和に入ってからは梅沢富美男さんのおかげで、そんな日本の興行の背景を何となく垣間見れていた感じだけど。
昭和の時代でも、もう幟の上がる興行に行くのはお年寄りだけだった。
でも、江戸時代はお年寄りから子供まで皆で楽しんでいた。
頑固なじいさんも子供も、普段いがみ合ってた人同士も。
その日、その時だけは「皆、涙あり、笑いあり、喜び合い」それが地域の活性化になり、世代を越えた娯楽となり、その風土を築き上げて来た。
大衆文化が欧米化の流れの中で失われてゆき、正義感や人情感が失われ、そして世代を越えた共有の喜びが失われてしまった。
この時ばかりは、普段ムスッとしたじいちゃんが、隣でしわくちゃになって笑ってる。
そんな怖くてビビってた孫たちも、一緒になって笑い合うことで、地域や人や家族を結びつけていたのではないか?と思う。
チャンバラに乗り出す若者
歌に酔いしれ熱狂する人
人生の苦労を
出てくる役者に投影して涙する年寄りたち
一つの空間で
一つの時間で
特別な誰かでなく
自分たちが身近に感じている、喜びや悲しみを共有する。
それが大衆演劇の楽しみだったんだと思う。
近代社会は娯楽がすべて個別化、核家族化し、世代も違えば楽しみも違う。
其々に楽しみがあって、そのかわり・・・
「大衆演劇」が無くなった。
親は親の楽しみに謳歌して、子供は子供、孫は孫。
なんでもセパレートでも良いと思うよ!
気を使わなくって、其々楽しみ見つけりゃ良いわけだから。
みんな其々パーソナルスペースを保った、距離感のある生活も大事だと思う。
けれど
そんなパーソナルスペースを忘れて、身近な人たちと夢中になって、旅芸人が村に訪れてくれるのを楽しみにしていた時代もあったんだよね。
私が10年以上前に、彼らと出逢った時に。
そんな失われてしまった文化のことは、何一つ嘆き悲しんでいたわけではないけど。
彼らの活躍が、年々上昇する度に・・・
こう思ってた。
整備されたキレイな会館やホール、大きな劇場でなくても、公園でもテント小屋でも、
彼らなら、楽しませてくれる。
大衆演劇で分かち合えた何か?に近いものが
形を変えて「現代版」として戻ってくるような。
そんなジリジリするものを感じながら観て来ました。
と言うわけで、
是非劇場に足を運んで下さい。
大分のMちゃん、マジ嬉しいです。
中元を送って下さる若者は珍しいです、本当に近頃「中元」忘れていました。
ありがとうございます
なんだか懐かしい気持ちになりました。
そして、こうして風物詩まで忘れそうな生活をしている自分に反省したよ。
私も、しっかりしなきゃね!
本当にありがとう感謝です