春日見咲 misasanのブログ

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この地球を守るのは祈り、唯物論者がこの世を支配し人々を狂わせても、不可視の力が祈りによって復活し、人々を救い解放します。グローバル化によって失われた、其々の民族が持つ祈りが甦りますように~♪

私の記事、特に歴史に関して今まで大変読み辛かったと思います。
それにもかかわらずついて来て下さった読者の皆さん、本当にありがとうございます。

今新たにホームページの準備をしているのですが、その前に貴重な覚書をそろそろまとめて移転先に整えて持っていけるように準備をしようと思います。
 

 

 

 

ここからは、より現実的な痕跡の残る歴史として、伊香色男の足跡から見ていきたいと思います。

伊香色男が各地に残した痕跡

伊香色男は、神武天皇と同様の経路を通って奈良へ入った人物として伝えられています。

 

伊香色男の場合、移動の途中に滞在した土地で神事を行ったとされ、その痕跡を伝えるお宮や神社が各地に存在しています。

 

そのため、「どの時代に、どこにいて、何をしたのか」という足跡を比較的たどりやすい人物でもあります。

 

さらに伊香色男は、大物主、すなわちニギハヤヒを祀る「神班物者(かみのものあかつひと)」に任じられた人物としても記されています。

伊香色男と石上神宮

石上神宮は、日本最古級の神社の一つです。

物部氏にとって重要な祖神を祀る場所であり、歴代天皇が参拝していたことでも知られています。


その石上神宮の祭祀について、伊香色男の子である十千根、別名・武諸隅へ任されたことが伝えられています。


『先代旧事本紀』の天孫本紀では、伊香色雄について次のように記されています。

『旧』天孫本紀は、伊香色謎命の弟で、父は大綜杵命、母は高屋阿波良姫であるとする。
開化天皇の時代に大臣になり、崇神天皇の時代、神物を班たしめ、天社・国社を定め、物部八十手の作った祭神の供物をもって、八十万の群神を祭った。そのとき布都大神を祀る社を石上邑に遷し、天璽瑞宝も合わせて祀って、この総称である「石上大神」を氏神としたという。
山代県主の祖長溝の娘・直木姫、荒姫、および玉手姫、また、倭志紀彦の娘・真鳥姫を娶って、合計七男を生んだとある。
天皇本紀にも、開化八年二月に大臣に任じられたことがみえる。

『新撰姓氏録』にも、巫部宿禰をはじめ、多くの物部氏族がその祖として伊香色雄の名前を挙げており、「物部八十氏」を結ぶ系譜上重要な人物。

 

伊香色雄は祭事の際に、八十手(やそて)=物部氏の職能集団を率い、天神地祇および「八十万の神々を祭る神供物(幣帛)を作らせました」と記紀に記されています。
 

この時の八十手(やそて)=物部氏の職能集団は歴史的建造物を建て、その子孫は現在も連綿に続き健在しています。
八十手(やそて)=物部氏の職能集団の末裔は伊香色雄を祖神としてお祀りしています。

この八十手(やそて)のこと覚えておいてくださいね!



伊香色男と伊香色謎の関係

ここで、史料によって系譜の記載が異なります。

『先代旧事本紀』では、伊香色雄は伊香色謎命の弟とされています。

一方、物部系の系図には、この二人を夫婦として記し、その子を彦太忍信命とするものがあります。


彦太忍信命は、のちに武内宿禰へとつながる重要な人物です。


さらに『国造本紀』をたどると、伊香色男と彦太忍信命の親子関係を示す系譜が確認できます。

こちらは、その後の子孫がどこの土地を治めたのかという記録まで続いているため、後継者たちの歴史を具体的に追うことができます。

 

私はその点から、こちらの系譜の方に信憑性を感じています。


大彦命と伊香色男

『国造本紀』では、伊香色男と大彦命を結びつける系譜が示されています。

そして大彦命の子である弟彦は、岡山市周辺にあたる三野の国造に任命されたことが記されています。

その系統は、のちに軽島豊明朝の主帳県主「弟麻呂」へと続き、その戸籍も残されています。

軽島豊明朝とは、現在の奈良県橿原神宮近く、石川池周辺にあったとされる古代王朝です。

まさに南朝の吉野皇后の舞台にもつながる地域です!

 

また八爪命と弟彦を同一人物として示す系譜があり、弟彦が三野国造を賜ったことから、その子孫には三野氏を名乗る一族が多く見られます。

 

さらに複数の系譜を重ね合わせていくと、

彦坐王=開化天皇=伊香色男と、同一人物として結びつくことになります。

 

※但し、これは『古事記』の記載とは異なります。

このブログでは、『古事記』『日本書紀』の記述のみを基準とせず、国造系譜をはじめとする別系統の記録も重視しています。

 

 

伊香色男の子孫たちによる国造り

伊香色男の孫にあたる大兄彦、別名・素都乃奈美留は、越の国造を賜ったことが記されています。

また伊香色男の子である彦太忍信命については、武渟川別、すなわち建沼河命と同一人物として示す系譜があります

さらに一説には、この人物をタケミナカタと同一とし、諏訪で祀られているとする伝承もあります。

 

私は、この説については本当ではないかと思っています。

竹内睦泰先生も、諏訪に武内宿禰が祀られているという趣旨のことを話されていました。

これについても、単なる間違いではないと思います。

 

『国造本紀』を見ると、彦太忍信命、すなわち建沼河命の孫にあたる武内宿禰の系統が、諏訪の国造へとつながっていることが示されているからです。

 

伊香色男の世代以降、その子や孫たちの世代を中心として、各地で国造りが行われていきます。

こうして国造の記録から歴史をたどっていくと、人々がどこからどこへ移動し、どの土地に定着していったのかという、輪郭のある歴史が見えてきます。

 

 

猪名部氏と伊香色男

ここで興味深いのが、後世の建築集団とのつながりです。

43代元明天皇から45代聖武天皇の時代にかけて、華々しい木造建築を手がけた棟梁たちがいました。

 

彼らは兵庫方面から奈良の大和へ向かい、

法隆寺
石山寺
興福寺
飛鳥寺

などの建築に関わり、その後、現在の三重県周辺へ定住したことが記録されています。

 

この棟梁一族が猪名部氏です。

 

そして猪名部神社の祭神として、伊香色男が祀られています

つまり、その系譜をたどれば、彼らも物部につながります。

彼らこそ八十手(やそて)だったのです!

 

物部は、単に武力を担った氏族ではありません。

祭祀、建築、製鉄、農耕など、さまざまな技術と文化に関わっていたことが、各地の系譜や伝承から見えてきます。

 

聖武天皇の時代との重なり

さらに聖武天皇も、福岡の四王寺山方面から奈良へ移動した系譜が示されています。

 

皇子には安積親王がいます。

「安積」と書きながら「あさか」と読む

ここには、海神族とのつながりを思わせるものがあります。

 

少なくとも、聖武天皇と大工の棟梁一族が、同じ時代に西から東へ移動していることは確認できます。

さらに正倉院には、当時、あるいはそれ以前の時代に属する戸籍が現存しています。

その戸籍に記された人々や地域を国造系譜と照合すると、国造に記された土地や人々と重なる部分があります。

 

ここから私は、一つの疑問を持っています。

第10代崇神天皇前後と、第45代聖武天皇前後の時代は、本当に現在考えられているほど大きく離れているのでしょうか?

 

なぜか700年代になると、戸籍や建築、土地の記録など、さまざまな形で具体的な証拠が残っています。

 

そこから推測できることは、「歴史年代を1000年ほど加えているのではないか」ということです。

 

物部の歴史を調べていくと、この「1000年のサバ」が浮き彫りになってくる。

 

だからこそ『先代旧事本紀』が偽書として扱われているのではないか。

 

私は、そのように考えています。

 

国津神と天津神は本当に別なのか

ここで、国津神と天津神について一度整理してみます。

 

一般には、

「出雲系と天孫系は別の勢力だった」

「両者は対立し、戦っていた」

と考えられることが多いでしょう。

 

しかし、実際に残された系図を比較すると、同じ祖先や人物へつながっていくことが分かります。

 

<海部宮司家系図>

始祖おじいちゃん彦火明(=ニギハヤヒ)-ドキドキ-おばあちゃん佐手依姫(=市杵島姫命)

お父さん天香語山-ドキドキ-お母さん穂屋姫

赤ちゃん天村雲と(兄妹)赤ちゃん豊秋津姫

 

<一般的な物部の系図>

始祖おじいちゃん天火明(=ニギハヤヒ)-ドキドキ-おばあちゃん天道日女

お父さん天香具山(=高倉下)

 

<尾張系図>

始祖おじいちゃん天日神※天日神の娘である高照光姫に天火明が婿入りする

お父さん天火明(=ニギハヤヒ)-ドキドキ-お母さん高照光姫

赤ちゃん天香具山(=高倉下)

 

<鹿島系図と天津系の系図>

おじいちゃん天児屋根(=櫛真知)-ドキドキ-おばあちゃん姫大神

お父さん天押雲根(=天村雲)

 

 

ここで、海部氏系図に現れる「天村雲」と重なります。

 

つまり、それぞれを別々の氏族として見ると異なる系統のように見えますが、系図を重ねていくと、同じ人物や祖先へつながっていくことが分かります。

 

東大阪市の枚岡神社のように、出雲井町に枚岡神社(春日神社)が存在することも、こうした系譜を見ると理解しやすくなるのではないでしょうか。

 

さらに石上神宮には、出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)という摂社があり、江戸時代「出雲建雄神」は石上神宮の御祭神 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮(わかみや)」と呼ばれていました。
 

春日神社にも若宮が必ずありますが、もしかすると繋がっているかもですね!?

 

天村雲と製鉄・鍛冶の系譜

天村雲といえば剣を連想します。

そして剣は、古代において製鉄や鍛冶と深く結びついていました。

実際、鍛冶職人の系譜にも共通する祖先が現れます。

 

<桑名家系図>

おじいちゃん天津彦根(=天児屋根)お父さん天久々斯比乃命

 

<製鉄・鍛冶の系図>

おじいちゃん天津日子根(=天児屋根)-ドキドキ-おばあちゃん下照姫

お父さん天目一箇神※製鉄と鍛冶の神(=天之麻比止都禰命・天戸間見命)-ドキドキ-お母さん道主日女

赤ちゃん意富伊我都と(兄妹)赤ちゃんアカル姫
※このアカル姫と結婚したのが天之日矛と言って渡来人と言われており火男(ひょっとこ)のモデルにもなっているそうです。

 

高皇産霊神につながる系統

伊香色男たちと共通する祖先として、高皇産霊神につながる系譜もあります。

その子孫として天日鷲神が記されています。

 

古代の海神系・天族系の系譜をたどると、共通する祖神として高皇産霊神が現れます。

伊香色男神につながる穂積氏、忌部神、麻植神(おえのかみ)、さらに貴船神社や三島氏などにも、同様の信仰系統を見ることができます。

 

これらは、現在の神社信仰の多くの系統の根に位置しているとも考えられます。

 

<忌部系や八咫烏関連で見られる系譜>

おじいちゃん天背男(天神立命)

お父さん天日鷲神(少彦名)

赤ちゃん大麻比古

→天白羽鳥と(兄弟)天羽雷雄

 

<大中臣氏系図>

おじいちゃん天児屋根-ドキドキ-おばあちゃん姫大神

お父さん天種子命

赤ちゃん国摩鹿島命-ドキドキ-新川姫

→巨狭山命-ドキドキ-弥麻志姫(忌部家)

→狭山彦と(兄弟)雷大臣

 

このように複数の氏族系図を重ねて見ると、物部、忌部、中臣、海部、尾張、鹿島など、一見すると別々に見える一族が、共通する祖先や婚姻関係によって結ばれていることが示されています。

 

伊香色男が最後にたどり着いた場所

始祖を祀る文化を始めた伊香色男が、最後にたどり着いた場所は、新潟の彌彦神社であると伝えられています。

伊香色男は、日本の国造の祖であると同時に、祭祀の祖とも言える人物です。

 

我々の始祖が最後にたどり着いたのは、豪華な都ではありません。

 

飢えから人々が苦しまない

 

お腹いっぱい美味しいお米が食べられる

 

そんな日本を、我々の始祖は作ろうとしていたのではないでしょうか。

西から東へ、最後にたどり着いた先は、豊かな農作物が作れる場所であったのではと私は考えます。

肇国の功神にして 「おやひこさま」と慕われる越後開拓の祖神 
天香山命を奉祀する北越鎮護の名社として
上古より今日まで 高き尊き御神威に耀いています。

物部の歴史が伝えていること

北朝の天皇たちは、京都の都で権威を示しました。

 

しかし物部の歴史を見ていくと、それとは違う、日本人のもう一つの姿が見えてきます。

 

モノを作ること

田畑を耕すこと

鉄を作ること

建物を建てること

神を祀ること

祖先を祀ること

 

そして共同体を作り、次の世代へ技術と信仰を受け継いでいくこと。

 

私が言いたいのは、物部こそ、我々日本人の在り方を示しているのではないかということです。

 

その生き方や信仰、風習が今なお日本文化の中に根付いているにもかかわらず、現代の日本人は舶来の文化や宗教に心を奪われ、自分たちのルーツの在り方を認めようとしません。

 

浮き草は、常に強い流れに左右されます。

人も同じです。

自分がどこから来たのか分からなければ、強い影響力を持つものに流され続けることになります。

 

しかし、日本人は本来、浮き草でも根無し草でもありません。

 

そうならないために、始祖たちは「祖先崇拝」という共同体の文化を遺したのではないでしょうか。

 

少なくとも2000年近く受け継いできた文化であるにもかかわらず、今、その意味に向き合う人は少なくなっています。

 

ニセの歴史では、人は根付きません。

 

自分たちがどこから来たのか。

 

何を受け継いできたのか。

 

そこを知らなければ、自分が今どこに立っているのかも分からなくなる。

 

私にとって物部の歴史を辿ることは、単なる古代氏族の研究ではありません。

日本人が、自分たちの根を知ること。

そのための歴史なのです。

※本記事は13星座(実黄道)に基づいています、一般的な12星座とは期間や解釈が異なります。

【実黄道13星座で読む2026年9月の星詠み】

🌟9月の始まりを告げる新月

9月11日新月において、一般的な西洋占星術では乙女座の新月と解釈しますが、実黄道13星座では獅子座の新月となります。


『獅子座で太陽と月が重なる』

 

獅子座は、自己表現・創造・誇り・意志・自分自身の光を外へ示すことと結びつけて解釈することができます。

そして新月は、太陽と月が同じ方向に重なり、月の姿が夜空から消える時です。

 

そのため今回の獅子座新月は、

 

「自分は何を表現したいのか」
「何を自分自身の意志として選ぶのか」
「誰かに評価されるためではなく、自分の内側から何を生み出したいのか」

 

という問いを投げかける新月として読むことができます。

 

しかも、今回は単純な「華やかな獅子座新月」として終わりません。

なぜなら…

新月とほぼ同時に、天王星が逆行へ

ここが2026年9月の新月で特に面白いところです。

天体暦を見ると、天王星はこの時期ほとんど動きを止め、双子座5°41′付近から逆行へ転じます

一般的なトロピカル表記でも9月11日に天王星が逆行へ転じることが確認できます。

 

新しい月の周期が始まるその傍らで、天王星は立ち止まり、逆方向へ歩き始める。

 

天王星は、変革、革新、既成概念からの解放、新しい技術などと結びつけられてきた星です。

 

そして双子座は、言葉、情報、知識、伝達、学習、人と人をつなぐネットワークを象徴します。

 

そのため今回の新月には、「新しいものを始める前に、これまで急速に変化してきたものを一度見直す」という二重の流れがあるように見えます。

 

特に現代で考えるなら、AI、SNS、情報、通信、教育、言葉のあり方などは、この天王星双子座の象徴と非常に重なりやすいテーマでしょう。

AIの発展は今後の社会では不可欠なものになることには違いないでしょう、しかしここに来て揺さぶりが起こっていますね!
テレビの時もそうでした、漫画の時も、ネットの時もそうでした。
 

「漫画ばかり読んで勉強しなくなる!」とか、ネット問題も随分叩かれました。
ネットの時も、整備する前に問題ばかりが大きくなり、政府の規制が進まないためにネガティブさばかりが拡張しました。
今では「テレビばかり見て!!」と怒っていた御婆さん達以外、誰もテレビは見なくなりました(笑)

そういった意味では、AIに対する揺さぶりも今回の星の流れとリンクします。
 

 

 

「自分の光を、もう一度自分の手に取り戻す新月」

 

外から大量の情報が流れ込み、新しい技術や価値観が次々と現れる時代だからこそ、

 

何を信じるのか。
何を伝えるのか。
何を創るのか。
そして、自分自身は何者としてそこに立つのか。

 

獅子座の新月は、その原点へ戻ることを促します。

 

そして天王星の逆行は、ただ前へ進むのではなく、これまで「新しい」と思って取り入れてきたものを、自分自身の価値観でもう一度選別する時間を与えているようにも見えます。

 

☀️ 9月16日頃 太陽、実黄道のおとめ座へ

実際の星座境界で見ると、太陽は8月10日頃から9月16日頃までしし座を進み、その後おとめ座へ入ります

2026年についても、国際天文学連合(IAU)が定めた実際の星座境界に基づく計算では9月16日が境目とされています。

 

IAUが定める星座は均等な30度区分ではなく、天球上にそれぞれ異なる広さを持つ領域です。
そのため太陽は、おとめ座9月16日頃から10月末まで約44~45日間かけて通過します。

 

黄道13星座の中でも非常に長い滞在です。

 

「表現する」から「実らせる」へ

9月11日の新月では、太陽と月はまだ実際のしし座にありました。

 

そこで芽生えた、

 

「私は何を表現したいのか」
「何を自分の意志として生み出すのか」

 

という火が、16日頃から少しずつ性質を変えていきます。

 

しし座が「自らの光を放つ」場所だとすれば、おとめ座は、その光から生まれたものを選び、整え、育て、現実の実りへ変えていく場所として理解することができます。

 

ですから、この切り替わりは、「想いを形にする時間の始まり」夢やアイデアを抱くだけではなく、何が本当に必要なのかを見極め、余分なものを削り、日々の仕事や生活の中へ落とし込んでいくような。

 

9月前半に生まれたものを、現実世界で育て始める段階に入るのです。

🌾 おとめ座とスピカ

そして、おとめ座を語るうえで外せないのがスピカです。

スピカ(Spica)はラテン語で「穀物の穂」を意味し、おとめ座が手にする麦の穂に位置する恒星です。

 

種を蒔くことと、実りを受け取ることは別々ではありません。

 

何を育ててきたのか。
何が実り始めているのか。

そして、これから何を残していくのか。

 

太陽がおとめ座へ足を踏み入れる頃から、そうした「実りと選別」のテーマが強くなっていくと読み解きます。

 

そして、その先には秋分が待っており、太陽がおとめ座へ入ってからわずか約1週間後の9月23日に秋分を迎えます。

 

🍂 9月23日 秋分 ― 光と闇が入れ替わる境界

2026年の秋分は、9月23日9時05分(日本時間)です。

天文学的には、太陽が天の赤道を北から南へ横切る瞬間です。

 

一般的な西洋占星術では、秋分は「太陽が天秤座0度へ入る瞬間」とされます。

 

しかし、実際の星空では違います。

歳差によって秋分点はすでに天秤座を離れ、現在はおとめ座の領域にあります。

 

つまり【実黄道13星座】では、2026年の秋分は「おとめ座の太陽のもとで迎える秋分」なのです。

 

これは今回の星詠みでは重要なことです。

 

おとめ座の象徴である麦の穂・実りを背景に、太陽が天の赤道を越えていく。

 

春分から半年間、北半球では「光」が優勢になる季節を歩んできました。

 

しかし秋分を境として、その関係が逆転し、冬至へ向けて夜の時間が長くなっていきます。

 

したがって、この秋分は、「これまで育ててきたものを見つめ、何を実りとして受け取り、何を手放して次の季節へ進むのか」

を考える境界として読むことができます。

 

9月11日の獅子座新月で灯った「自分自身の火」が、16日頃のおとめ座入りによって現実の形へ向かい、秋分では一度その成果を量る。

 

始める → 育てる → 選別する。

 

 

🌕 9月27日 満月 ― 夢と現実の境界を照らす月

そして秋分からわずか4日後。

9月27日1時49分、日本では満月を迎えます。

満月のわずか35分前、9月27日1時14分に海王星が「衝」を迎えます。

 

衝(しょう)」とは、天文学で、地球から見て太陽と惑星がほぼ正反対の方向に位置する状態のことです。

 

イメージすると、

 

太陽 ☀️ ── 地球 🌍 ── 海王星 ♆🔵

 

という並びになります。

 

2026年9月27日は、海王星が衝を迎える時期と満月がほぼ重なります

 

太陽 ☀️ ── 地球 🌍 ── 🌕 月🔵♆ 海王星の方向となり、月と海王星が同じ夜空の領域に集まることになります。

※実際には、月が夜を照らすその時、海王星も太陽とは反対側の夜空に位置するタイミングとなりますが、月と海王星が近接して並んでいるわけではありません。

 

海王星は占星術では、夢、直感、精神世界、境界の溶解などを象徴する一方、幻想、曖昧さ、現実を見失うこととも結びつきます。

 

なので、この満月は単純に「願いを叶える月」と読むより、夢・願い・現実との照合、瞑想、内なる静けさを意味し。

 

「自分が見ている夢は、本当に進むべき未来なのか」

 

を月明かりの下で確かめる満月と言えるのではないでしょうか。

 

時は、秋分を越えたばかり、それは光と闇が入れ替わった直後に満月が夜を最大限に照らすようなもの。

 

「暗闇へ入る前に、一度すべてを照らして見せる」ような時間です。

 

🔥 9月末 静かな内省から、再び「動く」時間へ

そして満月を越えると、9月の空気は再び変わります。

ここまでの流れを振り返ると、

 

11日 獅子座新月 ― 火を灯す

16日頃 太陽がおとめ座へ ― 育て、形にする

23日 秋分 ― 選別する

27日 満月 ― 夢と現実を照らし合わせる

 

という流れでした。

月末は、ここで得たものを実際の行動へ移していく時間です。

 

28日以降は火星の移動や太陽―天王星の調和的な配置を背景に、創造性と解決志向が強まり、「突然物事がシンプルに見えてくる」時期として解釈します。

 

 

実黄道の星詠みでは、「迷いの中から、自分が進む一本の道が見えてくる」と詠みます。

 

新月では「私は何をしたいのか」と問い、

秋分では「何を残すのか」を選び、

満月では「それは夢なのか、現実にできるものなのか」を確かめた。

 

ならば月末に必要なのは、もう一度考えることではありません。

 

動くことかもしれないです。

 



2026年9月のくじら座は、黄道のすぐ傍らに横たわっています。
この星詠みでは、くじら座を「魂の黒曜石」と捉えています、意識下に広がる深い海とも言えます。

古い星の伝承でもCetusは単なる「鯨」ではなく、ギリシャ神話ではアンドロメダを襲う海の怪物(Ketos)であったり、古代ギリシャではその星々が冥界への入口を表したという伝承もあります。
 

また、くじら座とメソポタミア神話の原初の海「ティアマト」を象徴的に重ねて論じる例もあります。

ただし、くじら座=ティアマトと歴史的に同一視できるわけではありません。

 

秋分は、昼と夜が均衡し、やがて闇の時間が長くなっていく境目。

 

日本では秋季の祖霊祭とも重なり、日願として祖先に思いを馳せる季節でもあります。

私がこれまで「日願(ひがん)」としてお伝えしてきた、日(ヒ)=神霊へ祈り願う節目です。

 

古い星の物語に目を向ければ、黄道の傍らには、深い海と冥界を想起させるくじら座が横たわっています。

 

目に見えるもの、目に見えないもの。
そのどちらからも私たちは影響を受けながら生きています。

 

だからこそ、何を受け取り、何を手放し、何を未来へ持っていくのか。

 

2026年9月は、自分に必要なものを見極め、選び取る時間となるのかもしれません。

 

 

 

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九月の星詠みを書こうとしていたのですが、今年の中秋の名月9月25日(旧暦8月15日)であり、二日ずれた27日が天文学上の満月にあたります。

しかも中秋の名月と満月が2日ずれるのは少々珍しく、前回は2017年、次回は2043年です。

旧暦の十五夜(15日)、十六夜(16日)、2026年の満月は9月27日午前1時49分

 

つまり実際には、

 

9月25日夜 → 十五夜(中秋の名月)
9月26日夜〜27日未明 → 十六夜、その最中の1:49に満月です。

従って、立待月となった旧暦8月17日に、ようやく月は本当の満月を迎えます。


※暦の日付として数えると9月27日は旧暦8月17日ですが、国立天文台は2026年の満月について、月夜の呼称を「十六夜」としています。
 

しかしここで立待月が出てきたので、ご説明すると!
意味は「月はまだかと、立って待っているうちに昇ってくる月」なんだそうです。

 

ちなみに、立待月のあとも日本には風情ある呼び名が続きます。

 

17日は立待月(たちまちづき)
18日は居待月(いまちづき) — 座って待つ
19日は寝待月(ねまちづき) — 寝ながら待つ
20日は更待月(ふけまちづき) — 夜が更けるまで待つ

このように十五夜・十六夜・立待月といった呼び名は、あくまで旧暦の日付や月の出の遅れ方から生まれた日本独自の呼称です。

一方で、天文学上の満月は太陽と月の位置関係によって決まるため、両者は必ずしも一致しません。


明治維新によって旧暦は失われ、お盆の日程は各地で変わりましたが。

沖縄では旧暦で行事が行われます。
また中国でも中元節は旧暦7月15日で、祖先や亡くなった人々への供養が行われます。

道教の中元節と仏教の盂蘭盆会が重なりながら発展した文化がお盆だと言われています。
 

そのため、日本でも本来は旧暦7月15日を中心とした行事でした。

旧暦の7月の満月に、祖先を迎え祈りました。

 月が完全に満ちる瞬間が今年は一日ずれます。

 

 

北半球では夏になると、天の川の銀河中心方向が夜空で目立つようになります。

 

七夕→お盆という日本の夏の流れにあるように、七夕には天の川が重要な象徴となり、旧暦7月15日頃には盆・祖霊供養が行われます。

また盆には迎え火・送り火など、「祖先が来て、再び帰っていく」という風習が根付いています。
 

精霊馬(しょうれいま)もその一つ、日本の盆の期間に先祖の霊を迎えるために用いられる飾りです。
主に
キュウリ
ナスを使用し、キュウリは馬、ナスは牛を模しています。

これらの野菜を用いて、先祖の霊がこの世とあの世を行き来する際に使う乗り物を表現しています。


さらに興味深いのは、古代の人々が見ていたのは、現代のような星座線ではなく、季節とともに姿を変える天の川そのものだったのかもしれません!

「古代人は天の川の銀河中心方向を特別視していた」と断定することはできませんが、夏の天の川にはひときわ明るく濃い領域と、その光を裂くように走る暗い帯があります。

マヤ文明では、天の川=「死者の道」。

天の川やその暗黒部が宇宙観・神話と結びつけられ、天の川を世界樹や天空への道として解釈する研究があります。

アンデス文化では逆に、天の川の黒い部分そのものから動物の姿を読み取る「暗黒星座」が知られています。

代表的には、ヤク(リャマ)、子リャマ、キツネ、ヘビ、ヒキガエル、シギなどが知られています。

普通の西洋星座とはかなり世界観が違って、星が存在する場所ではなく、「光のない場所」に生命を見るというところが非常に面白いです。

 

また、古代エジプトでは、天の川=この世と死後世界をつなぐ天空の通路と呼び。

北米先住民は、複数の先住民文化で、天の川を死者の魂が進む道として捉える伝承が知られています。

北米の「魂の道」と蛇・天の川との関連を論じる研究もあるとか!?

 

中米では、古代神話と銀河中心の関係を扱った研究では、ニカラグアやホンジュラスの先住民伝承に、「天の川の端にいる母なるサソリが死者の魂を受け取る」という伝承が紹介されています。
 


また、さとうみつろうさんは、ナオキマンさんの番組で「満月の祈りと天の川銀河の中心(ブラックホール)」という話をされていて、ブラックホールは天の川の銀河中心(いて座A*)だという説を話されていました。

とても興味深いですね、あまり詳しくないので言葉足りずでしたらお許しを。

 

話を戻しますが、世界各地の文化史として面白いのは、古代人が「光っている星」だけでなく、天の川の中のにまで意味や生命を見いだしていたことです。


そして、日本では旧暦8月15日は中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)です。
 

日本では宮中で月を眺めながら宴を開き、詩歌や管弦を楽しむ行事として発達しましたが、庶民の間では収穫への感謝とも結びつき、ススキや月見団子、里芋などを供える現在の月見文化へ発展していきます。

今年の中秋の名月は、まだ満月ではありません。
十五夜から十六夜の旧暦8月17日に、ようやく月は本当の満月を迎えます。

9月25日:中秋の名月(十五夜)


9月26日:十六夜

9月27日:満月 + 土星が月に接近 
9月26日夜〜27日未明 ということで国立天文台は「 十六夜」としています。
私個人的には、日付が二日に跨いでいるのだから立待月で良いのでは?と思いますが…。

9月25日の空では「夏の天の川・銀河中心」が西へ去っていく一方、東から中秋の月が昇ります

そして、この頃から「土星」が重要です

9月下旬の夜空では土星が見頃です。

 

2026年9月27日前後の土星は「うお座からくじら座へ移動」する時期にあります。

うお座の土星では、曖昧だった感情・信仰・理想・境界線を整理し、「何を残し、何を終わらせるのか」がテーマになります。

 

そこからくじら座へ入ると、より深層へ向かいます。
くじら座を「深海・無意識・飲み込まれたもの・再生」の象徴として読み解くなら!

「魂の深層に沈んでいたものを引き上げ、現実として整理する」と言えるでしょう。

過去・責任・恐れ・古い因縁などを時間をかけて引き受け、形を変えていく作用が強いと言えます。


 

満ちてゆく月の光も、天の川に横たわる深い闇も、どちらも同じ夜空の一部です。

古代の人々が、その光にも闇にも意味を見いだしてきたように、私たちの中にも、光の当たる場所と、長いあいだ心の奥に沈めてきた場所があります。

 

そしてこの秋、土星はうお座から、深い海を思わせるくじら座へ。

 

忘れていたもの、見ないようにしてきたもの、遠い過去から受け継いできたもの――
そんな心の深海に眠るものを、静かにすくい上げる時間が始まるのかもしれません。

 

すべてを明るく照らす必要はありません。

 

闇の中だからこそ、見つけられるものもある。

 

今年の中秋の月を眺めながら、そんな「まだ光の当たっていない自分」にも、そっと耳を澄ませてみてください。

 

 

十五夜から十六夜へ
 

そして月は、静かに満ちてゆきます。🌕

 

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