神棚の祀り方、普通一般的な祀り方をご紹介します。
神棚は三枚扉のモノが主流ですが、我が家の神棚一枚扉ですのでご了承下さいませ。
神棚のお扉の中には三枚の御神札をお納めします。
一つ目は天照大神の御神札(全国何処の神社でもございます)
二つ目は氏神様の御神札(分からない場合はNTTの住所案内で訪ねると教えて頂けます)
三つ目は崇敬神社(こちらは氏一族に縁のある神社をお祀りします)
三枚扉の場合、正面に天照大神、向かって右側に氏神様、向かって左側に崇敬神社になります。
一枚扉の場合、手前に天照大神、氏神様、一番奥に崇敬神社になるようにお納めします。
神棚に御神札をお納めしたら御扉は閉めます、ご神前に榊・お神酒・米・塩・お水をお供えします。1日と15日にお掃除やお供え物を替える目安とされていますが、お水は毎日取り替えて下さい。
一般的に北向きにならないこと、高い位置にお祀りすることが基本です。
以上が現在的な一般的な祀り方です。
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では、ここから明治やそれ以前の祀り方のポイントと、背景をご紹介致します。
明治に行われた祭政一致により、天照大神がメインになりましたが、ほとんどの家庭では地域の氏神さまを中心にお祀りされてきました。
祖霊舎または、御霊社と言われるお仏壇と同じものが神棚のように祀られてきました。
これは、現代人の私たちが神と仏を別けて考えるようになってしまったためで、古来から続く文化の一つを本来神式で継承してきたのです。
森羅万象に神宿ると考えられてきた一方、神さまの存在はむしろご先祖が子孫を見守ると言う考え方により、先祖崇拝が行われて来たのです。
もう少し拡大して話しますと、縄文から続く子孫繁栄の知恵と言って良いかと思います。
原始的な地方の信仰を調べますと、例えば沖縄や離島の場合。火の神の縄文から続く自然信仰に、一族の墓前供養と中国から入った風水などを用いた方位神がプラスされて神事が行われます。さらに離島では、古代の巫女依り代に神懸りをメインとしていますが、自然崇拝と、祖先崇拝として家の中では長男の神が何処、父親の神、など地方によって変わりますが香炉に線香を立て、土地独特の信仰の仕方がありました。
本土になると立派な社殿に神式の様式が確立されています、一方地方の村社や郷社は地主の御祖神や、土着神が古来から祀られて来ました。又、地域一族の御霊を御神殿にお祀りする神社も多数ありました。今で言う護国神社や靖国だけでなく、本来は御霊社の大きなものが神社であったようです。
神社の神にご利益などを求める時代に変わり、神殿の中に偶像や神にあやからんとするものが多くなりました。
そこで家庭で祖先崇拝がされるようになりました、江戸期の神棚は二通りに別れていることが多く、まずは御神前にお神酒や塩・米・水などをお祀りする祖霊舎と呼ばれるタイプの神棚、こちらを用いた神棚をお祀りする家庭は、近くの神社が御霊をお預かりしてくれない地域にみられます。
「神棚はあるが位牌も仏壇も何もない無宗教のお家」と言われる方がいらっしゃいますが、近くの神社に一族の霊璽が祀られている場合があります。
各地の風習の違いから、このような違いが出てくるわけです。
いずれにせよ神棚と言うのは、ただ単に神をお祀りするという考えではなく、先祖供養と密接な関わりがあり、むしろ一族の繁栄に関わる神の御縁によって守られているようなものです。
よく仏は佛であるとおっしゃる方がおられますが、確かに現状では仏式にてご供養することが一般的になっていますが、仏式は本当に近年となります。明治の祭政一致以降と言っても良いかと思います。私の家も庄屋で古い家系でありますが、お客様や古い家系をお調べした際に分かったことは次の通りです。
明治以前のお位牌には戒名がほとんどありません、ただ神式の書き方があって、壮年で亡くなった人、子どものうちに亡くなった人を言いあらわす諡名の為に○○○○彦命や○○○○郎女命○○○○童子など明記されています。
又、祭政一致により一神教支配のためか?よく分かりませんが、土着神が神功皇后や天照大神などに変えられている所がたくさんあります。明治政府の何らかの思惑のために、神や土着信仰をかき消し、そして欧米文化に変わるための何らかの背景があったと言えそうです。
今、私たちに何ができるか?
出来れば戸籍謄本などにより古いご先祖まで遡って系図を作って下さい。
そしてご先祖に縁のあった土地、縁のあった産土神を崇敬神社の神として辿り着いて下さい。
神棚には、遠いご先祖の神を祀り、祖霊舎やお仏壇には近いご先祖をお祀りして下さい。
自分のルーツである、遠いご先祖の結びつきは深いです。
私は神仏などまったく信じず愚か者の人生を送ってきました、人生無茶苦茶、考え方も無茶苦茶でした、女系末裔です。世が世であれば・・・などと馬鹿げたことを言われて育ちました。
三代前までは超裕福でしたから、しかし神仏を無碍にしたなりの果てが今なのです。
一切ご先祖がどうとか分かりませんでしたが、仕事柄神棚を祀るようになり道が開かれました。住む所、縁のある所に春日神社が関わってくる。このことは紛れも無い事実、遡り家のルーツを調べつくした際に驚いたことは、ご先祖も春日神社を建てていたこと。笙の家系だったので、神事には何かと関わっていたことには違いないでしょう。
私は生まれてきてから、ずっとご先祖と私を結ぶ春日の神さまに見守られて生きて来たんだと泣きました。
私のお客様も、家のルーツからコノハナサクヤ姫に関わる神社や、土地、そこに縁のある人たちの御縁に守られている方がいます。
他にも道真公系であったり、さまざまな方がいらっしゃいますが。
日本の良いところは、ただ単に歴史が古いだけでなく、悠久の歴史の中で手に手を取り合った同士が、又さらに子孫として生まれ変わっても再び手を取り合って、今世で困難な時に結束できる絆を、神や御祖神は残してくれていることなんです。
巫女がいた2000年、巫女は黄泉の国と繋ぐ存在でした。
審神の時代に変わり2000年、それは失われましたが合理的なやり方で作法は残りました。
これからの時代は、巫女と審神の時代です。
幽界は近くに降りて来ましたよ、皆さん信じないかも知れませんが背中一枚の壁で繋がっています。
神棚の神さまに、力やご利益や幸せを求めることなかれ、御祖神との絆と感謝の心あれ。
春日見咲