三寒四温…その名のとおり、いまの時季は日毎に風景や空気感のようなものが日々日々表情が変わる


それでも少しずつ季節は進み、少し前からは鶯が鳴き始め、付近の田んぼは土起こしされ水が入り田植えが始まったりしている。と同時にカエルの合唱が始まったカエル音符


また、この春という時間は何かと節目。

今月の初旬に彼は新天地へ。




櫻と菜の花



自宅から彼宅、その距離70Kmから110Kmへ…

ベースがベースだけにもはや大したことではない笑

とはいえ彼の生活は勿論のこと、わたしの職場からも程近かった彼の家、荒天のときにも身を寄せて貰っていたわたしの生活も変わらない訳では無い。

彼が引越してから今日まで既に夕方移行の強風予報が危険で、早退させて貰った日も…ガーン




何でも“星のせい”にする訳では無いが、♏の性質上なのか?この約2年の間にいつの間にやら彼ありき。の生活だったので今回、なんとなぁーくポツンと取り残された様な感覚に陥っている。



いかん!(わたしは“わたしを生きる”事をさり気なく後回しにしていたのではないか?)と、彼の引っ越しから少し経ったいま、我に返っている泣き笑い



…いや、それっぽく書いてはみたものの、そんな事はとうに氣がついていた。

見てみないふりをしていただけだ。



でも改めて思うのは、人との出逢いは価値観も変えるものだな、と。




さて、別れた訳ではないものの今までよりはまた自分と対峙する(せざる得ない)時間が出来た。



4年と少し前に熱烈な想いで「館山へ移住!!」を念願叶えた訳だけれど、ココが好き!なのは今だって変わらないが、正直に言ってしまえばいまあの頃ほどの熱量は……ない。




そう感じる理由はなぜ?


夢が日常になったから?単純に飽きた?不便だから?

……うん、いちばんは通勤だろう。

通勤にかける時間、往復で短く見繕っても4時間。

先日残業になった日には諸々乗り継ぎが悪く、挙げ句に春ゆえか?電車が鹿と衝突して帰宅するのに3時間かかったあせるその2日後くらいには今度はイノシシ…ハッ



館山で好きな仕事ができれば解消されるのだが、前にも書いたとおり、いかんせん!望む仕事で同様の賃金はこの田舎町でもらえない。

じゃあ、職場近くに引っ越ししたいか?と問われれば、迷わず答えはNO!仕事を中心にした生活はもうしたくない。にもかかわらず、結局のところ通勤に時間を取られて仕事の日は他に何かをする余裕が時間も体力もない…



職場のスタッフには引っ越しすれば?と言われたり、店長には社員にならない?とありがたいお誘いをいただくけれど、それこそ販売の仕事をまたガッツリやる。という熱量こそ、やはりもうない訳で。

今のふんわりした大した責任もない立場がちょうどいい。(…とか言いつつ、仕事をテキトーには出来ない質なんだけど泣き笑い)





お天気に恵まれた日にでも、久しぶりに海を眺めに行ってみようか…

自然を目の前に感じているときは不思議と自分の内なる声が出て来る傾向があるから。




館山城と櫻

お城と櫻はよく似合う桜














2025はもう少し書こう!

…年明けにそう思っていたのに、いざ書こうと思うと「何を?」と書かずにいればいるほどハードル上がって書けなくなる不思議昇天

一昨日は久しぶりに揺れをしっかりと感じるほどの地震があったから、急遽で書いたものの…



ここ最近は間もなく引っ越す彼と共に過ごす時間を少しでも多く取ろう!と努めてます。

距離にして現在約70㌔から約110㌔へ。

もはやベースがベースなのでさほど変わらないかも?とも思えなくもないけどあせる

車で行けば良いのだろうけど、そんな技量も精神力も持ち合わせていないから、公共交通機関での移動になる予定。移動時間は1.5倍。交通費は今の倍以上真顔



どんな風にコレが今後影響するのか?

この先の未来に同居の話しが実現できる日が来るのか?いまはそう願っているものの、そればかりは分からない。




今はわたしの家と彼宅の間に職場がある。

彼宅の方が職場に近いものだから、天候不順のときなども含めてわたしが彼宅へ寄せて貰う機会が殆ど。

彼が残念ながら館山に魅力を見出だせなかったのもあるのだけど…わたしのプレゼン力の至らなさか?単純に好みの違いかあせる



先日、連休が一緒だったときに珍しく我が家へ。

…ひょっとしたら1年ぶり位になるのかも?



前に数回来たときほど観光地巡りをするでもなく…

いつもの道の駅で旬野菜を買い、未だ初詣へ行っていなかった彼を安房神社へ連れて行き、ランチに漁港近くにあるお気に入りの海鮮屋さんへ行き、夜は自宅の炬燵で鍋をした。



早いもので付き合い始めてから間もなく2年。

10歳以上も年下彼氏とはいえ、決して若くはない2人なので時間経過と共にすっかり落ち着いたお付き合いになった。



…と言いつつ、家の中ではお互い好き勝手やっているし彼はゲーム大好き(わたしは興味もゲームセンスもなし)&新たな資格取得へ向け勉強中。その時間、わたしは家事したり昼寝したり…話せば子ども同士のようにじゃれ合ったり、2人共にお酒は強くないけど好きだから、飲みながら真剣な話しをしてみたり…



オトナになるにつれ我慢したり、取り繕うことが当たり前に慣れてしまっていた。それが彼との時間はいつの間にやら素のままで居られる、受け入れて貰えていることに心から感謝。




こうやって改めて2人のことを振り返ってみて思うのは、相手の言動に自然と「ごめんね」「ありがとう」を伝え合っているわたし達。




どんな関係性であれ人間関係には必要で大切なことばだけれど、一般的に身内感が強い相手ほど(言わなくても伝わるだろう!?)という甘えやおごりから、想いはあれど伝えなくなるコトバでもある氣がする…




わたしの母は子の立場であるわたしには殆ど使わなかった、この謝罪と感謝のコトバ。

言ったとしても「あー、ごめん、ごめん!笑」「はい、ありがとねー」心がこもっているようには感じ取れない。自分がオトナに成長していくにつれ、彼女の言葉の軽さがキライだった。親しき仲にも礼儀あり。

親だから立場が上のように感じているかもしれないが、役が違うだけ。いつも自分の思い通りに私を動かそうと圧力をかけ、自分が正しい!と主張してくるのは勘違い甚だしい。



そんな風に育ったこともあってか?いつからか謝罪や感謝のコトバを発するときには、表情や声色からも相手へ伝わるように心を込めて伝えるようにしてる。



それは仕事のときにも同様で、お客さまをお出迎えするときには“ようこそ”の想いを込めてご挨拶。

文字にしたらピンク音符マークが付いているような声の笑顔でお迎えするようにしている。

この〝音符マークが付いているような声〟にスタッフが笑顔ならぬ【笑声】(えごえ)と表現してくれたが、まさにそれ音符



コトバはね、発するWordが勿論いちばん大切だけど、想いを乗せることもとっても大切だと思うのです。






…て、アレ?なんの話してたっけ??笑






















ゴゴゴゴゴゴ………


(?地震か…こりゃ揺れるな……)


意識だけは起きているものの目覚めることもなく(おぉー、揺れとる揺れとる………ん?おさまった…zzz)そのまま眠りの世界へまた誘いました笑





起床後にはすっかり忘れていたものの、スマホに届いていたお知らせを見て(あぁ、そういえば…)と確認したところ地震発生時間は午前4時8分。館山市は震度3だったようです滝汗

その規模くらいの地震だと、やはり揺れより先に音を感知しますね。



そして石川県でもほぼ同時の午前4時9分に同規模の地震が発生していたとかポーン




ここ数年は半島、地図の尖った部分に住んでいる地域の人は注意!…というのをどこかで見た記憶??



チラホラ人工地震説も見受けられるものの…

それが自然であれ人工であれ、住んでいる身としては何事もなく日々暮らせることを祈るだけ。

そして万一のときには、とにかく冷静に命を守る最善を考えて判断するのみ真顔





間もなく311…


あの日以来、持ち歩く荷物が少しばかり増えました。

そして時代の流れもあるけれど、おおよそスニーカーで動くようになりました。



モバイルバッテリーは必需品だし、

311では途中のコンビニ出購入

歩きやすい靴で動くことは大切だし、

311では慣れたパンプスでも歩き続けたことで踵と足裏に水疱が出来た。途中のコンビニで靴下を買い履くも既に痛みが出ていて、歩くことに支障があった

なるべく水筒の中身は空にしないように努め

翌日帰宅したら水道が止まっていた

あの日に経験したことは今も生きています。



ここのところ今回ほどの地震はなかったのでつい意識が薄れていましたが、自宅でもこの冬に鍋で使い在庫がなくなったガスボンベ、飲料水などは早急に備えておこうと改めて…笑い泣き