明治の土木遺産 近代河川トンネル 湊川隧道(1)(神戸市兵庫区) | 高橋みさ子のブログ

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湊川隧道(神戸市兵庫区)

 

湊川(みなとがわ)の付け替えに伴い明治34年(1901年)に竣工した湊川隧道(神戸市兵庫区)は、我が国初の近代河川トンネルです。

 

重機のない時代にツルハシやノミを使い全て人力による手掘り、床は花崗岩の切石を敷き詰め、壁面と天井はレンガを累々と積み重ね、建築当時の姿を今に伝える明治の土木遺産 湊川隧道。

 

毎月一回一般公開され、トンネル内部を無料で見学することができます。

 

 

湊川隧道 見学用出入口(一部画像加工してあります)

 

湊川隧道の見学用出入口です。

 

一般公開の詳細は「登録有形文化財 湊川隧道 公式ウェブサイト」をご参照下さい。

 

出入口の場所はこちら。

 

 

 

湊川隧道は平成7年(1995年)兵庫県南部地震で損傷し、平成14年(2002年)新たにコンクリート造りの新湊川トンネルが開通したことで廃路となりました。

 

 

解説板に目を通してみましょう。

 

 

「湊川隧道(会下山トンネル)から新湊川トンネルへ

 

湊川隧道(会下山トンネル)は、旧湊川の付替えに伴い明治34年(西暦1901年)に建設された我が国で最初の近代的河川トンネルです。

付替えられた新湊川については、震災前より河道拡幅を伴う河川整備を行っていましたが、平成7年(1995年)1月17日に発生した兵庫県南部地震により、湊川隧道の下流川坑口の崩落や内部の煉瓦積みに剥離や亀裂が発生しました。

このため、兵庫県では河川災害復旧助成事業により、湊川隧道に比べて約2倍以上の断面積を有する大断面の新湊川トンネルを建設しました。

新湊川トンネルの坑門デザインは、明治期における湊川隧道の意匠を高く評価し、これを継承しています。

一方、河川トンネルとしての機能を終えた湊川隧道の内部は建築当時のままに保存されています。  兵庫県」

 

 

 

文中に「新湊川トンネルの坑門デザインは、明治期における湊川隧道の意匠を高く評価し、これを継承しています。」とありますが、その坑門がこちら。

 

 

新湊川トンネル吐口(下流側)坑門です。

 

 

 

 

湊川に降り、飛び石から見たところ。

 

増水時は危険なので降りないようにして下さいね。

 

「天長地久」とは「永遠」という意味で、老子を出典とするそうです。

 

地図はこちら。

 

 

 

 

おしまいに、両隧道(トンネル)の概要です。

 

解説板「湊川隧道(会下山トンネル)から新湊川トンネルへ」一部抜粋

 

 

さて次回は、本題とも言うべきトンネル内部の様子(床、壁面、天井)を見ていきます。

 

 

(写真)神戸市兵庫区および長田区   湊川隧道 新湊川トンネル  2017年3月18日撮影