児島湾干拓七区竣功記念碑(岡山市南区) | 高橋みさ子のブログ

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児島湾干拓七区竣功記念碑(岡山市南区)

 

 

奈良時代より干拓が行われてきた児島湾は、昭和38年(1963年)第七区の竣工をもって干拓が完了しました。

 

同年、完工を記念し碑が建立されました。

 

碑にはどのような言葉が刻まれているのでしょう。

 

少し長いですが、読んでみることにしましょう。

 

 

「児島湾干拓七区竣功記念碑     農林大臣 重政誠之篆額

 

渺茫たる児島湾沿岸一帯の美田は旭・高梁・吉井などの河川の沖積作用による低湿地や浅海面を、古くは奈良時代に、近くは江戸時代から昭和にかけて急速に干拓されたものである。

 

明治三十二年五月藤田伝三郎は官許を得て一区を起工し、二区、三・五区、六区(農林省継承)を合せ凡そ三八九〇haを完成させたが、この七区は緊急食料自給計画により昭和十八年三月農地開発営団が藤田組の権利を譲り受けて着工し、二十二年九月営団の閉鎖に伴い自作農創設食糧増産失業対策のため国営事業として農林省がこれを引継ぎ、実に二十年の歳月と十九億八千六百万円、内国費十九億四千九百万円、県費三千七百万円(換算四十六億三千万円)、他に用水源費として児島湖堤防分国費十億五千九百万円(換算十六億七千九百万円)の巨費により本日之を完成させた。

 

事業の大要は総面積一五八二ha、内造成面積一一八八haを潮受堤三一七七m、河川堤四五〇〇m、承水堤四一〇〇mで囲繞し、道水路区画は整然と、用排水機構は遺憾なく整備し、専用水道施設も亦完備し、入植農家四五四戸、増反農家五八四戸余及び試験研究等用地も略〃決定し、早くも食糧増産の効果を上げている。

 

千三百年前に初まり累計一万数千haを越ゆる湾内干拓の全完工とも言えるこの七区の竣工は、我が国の国土開発史上特筆に値することを付記し天恵人工のこの地の弥栄を祈る次第である。

 

  昭和三十八年七月  農林省」

 

 

文中の農地開発営団とは、農地開発法(昭和16年=1941年 施行)に基づき設立された特殊法人で、戦時体制下における主要作物の食糧自給強化を図るため、農地の造成・改良の促進を目的として発足したものです。

 

その農地開発営団により昭和18年に第七区の干拓工事が着工され、戦後は自作農の創設、食糧の増産、失業対策を旗印に農林省(当時)が事業を継承し、二十年の歳月と多額の公費を費やして昭和38年に完成に至ったということです。

 

それに先立つ昭和34年には児島湾締切堤防が竣工し児島湖が誕生したことで、深刻な問題であった水不足や塩害、高潮浸水などが解消され、締切堤防は干拓地の農業発展に大きく寄与することとなります。

 

 

 

児島湾干拓七区竣功記念碑 裏面

 

裏面には「主要工事について」と題し、堤防や排水樋門、揚水機場、用排水路、道路、橋梁について概説されています。

 

 

ところで、干拓前の児島湾はどんな地形だったのでしょうか。

 

吉備の穴海 (株式会社フジタ地質 ウェブページより画像引用 赤字は筆者による)

 

児島半島はかつては字の如く「島」であり、児島の北側は「吉備の穴海」という島々に囲まれた海域があり、その穴海に吉井川、旭川、足守川、高梁川が注ぎ込み、川によって運ばれた土砂が穴海に堆積したことで干潟が形成され、干潟は人の手によって干拓されて農地となり、現在の岡山平野の姿になったということです。

 

とりわけ中国山地ではたたら製鉄が盛んで、砂鉄を採取する選鉱過程で生じる大量の土砂が川に流れ込み、沖積作用が大きく促進されたこともこの地方の特徴として挙げられます。

 

堆積層は数メートルから十数メートルの厚さに及び非常に軟弱な地盤のため、干拓工事は難航したそうです。

 

 

次に、干拓によって失われた漁場について少し触れておきたいと思います。

 

八浜沖の干潟(八浜町並み保存拠点施設 展示品) 撮影年月日不詳

 

八浜町並み保存拠点施設(岡山県玉野市八浜町八浜983)に展示されていた写真を掲載させて頂きます。

 

干拓前は写真のような干潟が広がり、漁業が盛んに行われていたそうです。

 

右上に見える山影は、怒塚山(いかづかやま)でしょうか。

 

解説して下さったおじさんの話しでは、潟スキーに乗ってハイガイやうなぎなどを獲っていたとのこと。

 

とりわけ「八浜のうなぎ」は上質で、消費地である大阪でも名が通っていた、と誇らしげに話しておられたのが印象的でした。

 

 

八浜沖の漁場(八浜町並み保存拠点施設 展示品) 撮影年月日不詳

 

潮が満ちているときの干潟の様子でしょうか。

 

干拓によってこのような豊かな漁場が姿を消したこともまた記憶に留めておきたいと思います。

 

最後に、児島湾干拓七区竣功記念碑の地図のご案内です。

 

 

(写真)岡山市南区北七区 児島湾干拓七区竣功記念碑  2022年5月1日撮影

(参考資料)

国立公文書館デジタルアーカイブ 「農地開発法・御署名原本・昭和十六年・法律第六十五号」