(旧京都中央電話局西陣分局=京都市上京区 2018年6月17日撮影)
鉄筋コンクリート建築の黎明期、大正10年(1921年)に竣工した旧京都中央電話局西陣分局(京都市上京区)。
設計は、逓信省技師であった岩元禄(1893-1922)。
建築家として将来を嘱望されつつ結核に倒れ29歳の若さで世を去った岩元の現存する唯一の建築作品です。
(正面入口)
この建物を特徴付けるものとして、正面入口の壁面装飾があります。
楕円形の柱上の豊満なヴィーナス像、外壁を飾るレリーフタイルの踊るヴィーナスなど、当時世界を席巻していたドイツ表現主義の影響を受けたとされるモダンなデザインが目を引きます。
(中央ヴィーナス像と出窓)
ヴィーナスの曲線と出窓の直線とが好対照をなし、ヴィーナス像は一見するとトルソーのようにも見えますが、よく見ると頭部が付いています。
(中央のヴィーナス像)
張りのある若々しい胸、極端にデフォルメされた大腿部や下腹部の豊満な膨らみ、下半身のボリューム感とは対照的に思わず見落としてしまいそうな小さな頭部、布ひだのリズミカルな重なり。
(左のヴィーナス像)
胸部や上腹部の造形はミロのヴィーナスを彷彿とさせ、妖艶なポーズで踊るレリーフタイルが一面に貼られて壁面を華やかに飾り立てます。
血潮をたぎらせた若き岩元の美への讃歌や、「建築は公共性の高い巨大なアートである」と主張するかの如き岩元の声が聞こえてくるようです。
2階軒裏のレリーフ。
ほとんど人に気づかれることのない場所にも意匠が凝らされ、岩元のこだわりが感じられます。
3階に目をやると、ギリシャアテネのアッタロスを想起させるような柱廊や、電信柱に隠れてしまっていたすが口を大きく開けたライオン頭部のレリーフが飾られ、西洋のエッセンスを貪欲に取り込もうとした姿勢が垣間見えます。
(解説板 部分)
解説板に目を通してみましょう。
プラスチックのカバーに筆者の姿が写ってしまい、お見苦しいのでカットしました。
この建物は、大正10年、京都中央電話局西陣分局として建設されました。
設計者の逓信省技師・岩元禄は、日本近代建築の黎明期、大正時代において、建築の芸術性をひたすら追い求め、わずか3点の作品を残したのみで夭逝した天才的な建築家であります。この西陣電話局は、彼の現存する唯一の建物であり、文化的・学術的に非常に高く評価されております。日本電信電話株式会社としても、このすばらしい建物を永く後世に伝えようと、この度改修工事を行ない、保存・再生することといたしました。皆様方の電話局として末永く親しんでいただければ幸いであります。
昭和60年10月23日
日本電信電話株式会社
取締役 関西総支社長
齋伯 哲
旧建物概要 名称 京都中央電話局西陣分局
規模 鉄筋コンクリート造 一部 木造 3階建
面積 延 1,178㎡(再生部分)
建物沿革 大正10年(1921) 建物竣工
大正11年(1922) 事業開始
昭和33年(1958) ダイヤル自動化に伴い手動交換業務廃止
昭和56年(1981) 電子交換機導入に伴い一部模様替
昭和59年(1984) 保存・再生のため改修工事着工
昭和60年(1985) 同工事竣工
保存部分 躯体、壁面・軒裏レリーフ、裸婦像、ライオン像、3階柱廊
京都中央電話局西陣分局が建てられて今年(2021年)でちょうど100年。
この建物が何より幸運であったのは、この京都という地に建てられたことに尽きます。
理由は二つあります。
一つは、京都が空襲被害を免れたこと。
もう一つは、京都というこの地が何より先進の気風を好む土地柄であるということです。
当時としてはかなり斬新であったであろう裸婦像のレリーフが公共空間に受け入れられたのも、そうした気風の反映に他なりません。
29歳で世を去った岩元禄が設計した三作のうち唯一現存するこの建物は、国の重要文化財にも指定され、建築史に確かな足跡を残すものとなっています。
最後に地図のご案内です。
(写真)京都市上京区 旧京都中央電話局西陣分局舎 2018年6月17日撮影
(参考資料) Wikipedia 岩元禄
国指定文化財等データベース 旧京都中央電話局西陣分局舎