児島湾干拓地 昭和10年〜20年代の樋門 | 高橋みさ子のブログ

高橋みさ子のブログ

趣味のウォーキングを通して出逢った町や自然を
写真とともに楽しくご紹介しています。宜しくお願いします。

(児島湾干拓地 第六区 第四号樋門 昭和17年)

 

 

児島湾干拓地で昭和10年(1935年)〜20年代に建設された樋門は、今日急速にその姿を消しつつあるそうです。

 

今回は児島湾干拓地に残されたその年代の樋門3基を地図と併せてご紹介します。

 

それではさっそく本題に入りましょう。(^-^)

 

 

 

まず上の写真は、妹尾(せのお)川河口に設置された第六区第四号樋門です。

 

昭和17年(1942年)竣工 径間2.7m 3連 高さ4.2m

 (参考資料)「近代児島湾の干拓  岡山市埋蔵文化財センター 主任 安川満」

 

鉄筋コンクリートの樋柱の柱頭部が丸くカーブしているのがこの時代の樋門の特徴です。

 

錆びついた鉄製の開閉設備が残骸のように残されていますが、機械に不案内な筆者には残念ながら操作方法は分かりません。

 

 

 

 

 

柱頭部分を拡大してみると、円盤状のカバーに何やら文字が読み取れます。

 

「No 4    SHIMIZU IRON WORKS  OKAYAMA JAPAN」

 

「第4号樋門 清水鉄工所 岡山 日本」でしょうか。

 

また、円盤上部に「山の形」に「田」の文字が見えます。

 

山を富士山に見立てれば、第六区を干拓していた「藤田組」のロゴマークとも推測されますが、藤田組がこのようなロゴマークを使用していたのかも含め詳細は不明です。

 

 

 

 

 

手前の樋門は現在稼働している後継の樋門で、細い堤防道を挟んで平行に並んでいます。

 

近くの操作室から電線が渡されています。遠隔監視操作できるタイプでしょうか。

 

堤防の背後に金甲山が少し頭をのぞかせています。(^-^)

 

 

 

 


真横から見たものです。画面左が上流。

 

新旧二つの樋門が並ぶ様は何ともいいですね。

 

 

 

 

 

この樋門から100mほど離れたところに「妹尾川排水機場」があります。

 

妹尾川は倉敷川に合流しており、大雨で倉敷川の水位が上がる時は妹尾川へ逆流しないように樋門が閉じられます。すると、妹尾川の水が行き場を失い、堤防内の田畑や人家が浸水してしまいます。

 

それを防ぐため、排水機場で妹尾川の水を倉敷川に排水します。

 

昔は大量の水をポンプで排水する施設はありませんでしたから、大雨が降ると耕作地はしばしば水浸しになったそうです。

 

耕作地に濁った水が長く滞留すると作物の根が腐って収穫できなくなったり、農作業に支障をきたしたりと農民は長く苦しめられてきたそうです。

 

干拓地のような低地では、排水設備は特に重要な役割を果たしているのですね。

 

 

 

 

 

第六区第三号樋門の地図のご案内です。樋門の南に妹尾川排水機場の屋根が写っていますね。

 

 

 

 

(児島湾干拓地 第三・五区 第三号樋門 昭和10年=右)

 

 

おつぎは、第三・五区 第三号樋門です。昭和10年竣工(右) 径間2.7m 2連。

 

こちらも新旧2つの樋門が並んでいますが、古い方の樋門はすでにその役目を終えているようです。

 

背後は児島湖(人工湖)。

 

昭和34年(1959年)に児島湾締切堤防が完成するまで樋門の外は児島湾(海水)でしたので、かつて児島湾干拓地はしばしば塩害に見舞われたとのことです。

 

 

 

 

 

こちらも樋柱の頂部が丸くカーブしていますね。

 

無機的な四角柱より、ちょっとデザイン性のある感じです。

 

円盤状のカバーの文字は読み取れませんでした。

 

背後に児島湖、その先に怒塚山が見えます。

 

 

 

 

 

こちらの樋門はストリートビューでもご覧になれますので、ご参照下さい。

 

樋門の北の阿部池は、海底が深かったために干拓されずに残され、排水用のため池として利用されたのだそうです。

 

 

 

 

(児島湾干拓地 第七区 第二号樋門 昭和24年頃 右端に樋門の一部が写っている)

 

最後は、第七区第二号樋門。 倉敷川に排水するための樋門で、径間2.7m 2連。

 

新倉敷川橋の欄干越しに撮りました。

 

右端に少しだけ写っています。

 

樋門の全体写真は、(外部リンク)「おかやまの歴史的土木資産 13. 児島湾開墾第七区第二号樋門」をご参照下さい。

 

現在(2020年4月19日撮影)は、地表部分はコンクリートでならされ樋柱だけが残されているようにも見えますが、どうなのでしょうか。

 

施設は揚水機場のようです。開いている水門や閉まっているものもあり、かなり老朽化していますが稼働しているようにも見えます。

 

 

 

 

 

地図のご案内です。

 

ストリートビューで樋門は見えませんが、施設の外観がご覧になれます。ご参照下さい。

 

 

最後にまとめとしまして、樋門はその施設の重要性から、その時代の先端技術が用いられてきました。

 

現在は鉄筋コンクリート製の構造体、鋼製の扉体(ひたい)、遠隔監視操作が主流となっているようです。

 

(写真)岡山市南区 児島湾干拓地 2020年4月19日撮影

 

(C)Misako Takahashi 2020