兵庫県中部の山間地に、昭和47年(1972年)に廃校となった神子畑(みこばた)小学校(兵庫県朝来市)の体育館が廃屋となって残されています。
神子畑小学校は、かつてこの近くで操業していた明延鉱業 神子畑選鉱場の従業員の子供や、地元の子供達が通う学び舎であったということです。
神子畑小学校の歴史を辿ると
昭和29年(1954年)佐嚢(さのう)小学校神子畑分校として開校
昭和44年 神子畑分校から神子畑小学校となる
(同年 佐嚢小学校は山口小学校に統廃合される)
昭和47年 山口小学校に統廃合される
開校からわずか18年で校史に幕を下ろすこととなった神子畑小学校ですが、多い時には200名ほどの児童がいたそうです。
校庭には、子供達が遊んだ遊具などが時を経た姿で今も残されています。
校庭の隅に残る8人乗りのブランコ。
座面の木は朽ちていました。
手作り感漂うこのブランコ、神子畑選鉱場の鉄工所で作られたものかもしれないですね。
楓の枝に覆われるジャングルジム。
懐かしい雲梯。
その先には、使われなくなった手水舎。
そして、一段高いところに小さな祠が祀られています。
祠のそばに「山神宮祠跡」と刻まれた碑が建っています。
鉱山の守り神である金山彦命(かなやまひこのみこと)をお祀りしていたのではないかと思われます。
校庭は、山神宮の境内でもあったのですね。
今では雑草が生い茂り荒れ果てていますが、昔は選鉱場の従業員やその家族の心の拠り所となる神聖な場所であったのかもしれません。
さて、雲梯の横に「卒業記念 昭和四十年度卒業生一同」と記されたコンクリートの台座が見えます。
台座には鉄の造形物が乗せてあったようですが、今は根元しか残されていません。
どんな作品だったのでしょうね。
校舎があった裏には石のレリーフの塔が建っていました。
「佐嚢小学校 神子畑分校」と記されています。
分校時代の作品ですね。
その横には岩石園があり、「昭和39年度卒業記念」と刻まれています。
岩石園は残念ながらこのように荒れていました。
鉱業を生業とした土地柄、児童たちは岩石への関心が高かったのかもしれないですね。
右の急斜面の山にはかつて「一円電車」が走っていました。
岩石園から見た体育館です。校庭から見たのとは逆方向になります。
体育館の手前の一段高い所に校舎が建っていましたが、今は雑草に覆われています。
校庭の入り口には「神子畑小学校跡」碑が建てられています。
かつては子供達の賑やかな歓声が、山間のこの地に木霊していたことでしょう。
なお、写真は2014年10月11日に撮影したものですので、現況と異なる場合があります。
どうかご了承下さい。
最後に、体育館の位置情報はこちらです。
(写真)兵庫県朝来市佐嚢 旧神子畑小学校 2014年10月11日 撮影
(C)Misako Takahashi 2017