天気:晴れ
メンバー:もみじの会4名
衝原バス停10:00~丹生神社前バス停15:00
久しぶりに単独参加での登山。
子連れじゃないと気が楽。
さて、大阪の梅田駅から神戸電鉄の箕谷駅まで。
衝原バス停を降りて、箱木千年家へ。
室町時代に「主屋」、江戸時代に「離れ」が建てられ、
現存する民家では日本最古であって
室町時代に「主屋」、江戸時代に「離れ」が建てられ、
現存する民家では日本最古であって
2棟とも国の重要文化財に指定されています。
ただ。。。残念ながら現在は一時休館中(2021年3月まで)です。
この日の帝釈山へのルートは通称「義経道」と言われる登山道。
その名の通り、源義経が一の谷合戦に向かう時、
この日の下山ルートである「表参道」を避けて通ったと
言わていることからその名前がついています。
その登山道の入り口は
その登山道の入り口は
志染川の橋を渡って、サイクルセンターの脇道から。
にしても わかりにくい。
竹林の中をくぐるように歩を進めます。
六甲山に比べるとマイナーだけど、
その分静かな山歩きが楽しめます。
と案内いただいた通り、
木漏れ日の静かな山歩きは気持ちがいい
「義経道はクモの巣が多く」とあるように、
確かに立派なクモの巣が多く、
子供達が来ていたらキャッキャと騒いでいたことでしょう。
岩道などの変化があって楽しい。
急登を過ぎて歩きやすい道を進むと、
ほどなくして
丹生山城跡&明要寺跡 に到着
この明要寺、その歴史は古く
西暦550年頃に、百済の聖明王(仏教を日本に伝えたと言われている)
の王子・恵がを来日して建立したそうな。
の王子・恵がを来日して建立したそうな。
しばらく衰退した後、
京都(平安京)からこの界隈に都を遷した(福原京)平清盛が、
丹生山を比叡山にみたてこの明要寺を復興し、
更に 福原京から丹生山山頂(神社)までの参道の一丁毎に
丁石をつくったそうな。
丁石をつくったそうな。
登山中に時折見かけて邪魔だと思った立派な立石は、
ひょっとしたら清盛がつくった丁石だったのかも。
そして清盛が遷都した福原京はわずか半年で挫折し、
再び京都(平安京)に戻ることに。
南北朝時代になると、
後醍醐天皇や楠木正成らの南朝の拠点だったらしい。
また戦国時代では、
また戦国時代では、
神社の鳥居をくぐり
明要寺の鎮守社である丹生神社
本殿手前の左側にある丹生山山頂
ここでしばしお昼休憩
帝釈山へ
丹生山から帝釈山までは気持ちの良い尾根歩きが。
帝釈山山頂
遠くに瀬戸内海、明石海峡大橋が望めます。
いやー清々しい。
下山は表参道を。
ひょうご森林浴場50選にも選ばれてる 丹生山の表参道
道中、他の登山客からバスの時刻を教えてもらい
なんとか間に合いそうだったの少し急ぎ足。
登山口を出ると、丹生宝庫が。
ここに、明要寺の遺品が納められており、
清盛が寄進した「明要寺全図」もあり、
当時の偉容が伺えるらしい。
当時の偉容が伺えるらしい。
柿の木(たぶん渋柿)を過ぎて、
志染川をわたると丹生神社鳥居が。
鳥居をくぐりバスの時刻に間に合いました。
帝釈山は元々は明要寺の奥の院で、一体全体を丹生山と言われていたそうです。
帝釈天が安置されたことから「帝釈山」という山名が付いたとされています。
登山が盛んになるにつれて、
帝釈天が安置されたことから「帝釈山」という山名が付いたとされています。
登山が盛んになるにつれて、
今では丹生山は帝釈山の通過点になっています。