三國屋物語 第30話
「このほか行商にでている者もおりますので、そちらはまた後日ということで」
まだいるのかとは口にだせない。
「さようか」
と、然あらん面持ちでいうと、藤次郎は後を女中頭にあずけ、あたふたと表の間にいってしまった。表の間とは店のことである。
藤次郎は女中頭を志乃(しの)と呼んでいた。篠塚が、
「志乃さん」
と呼ぶと、志乃は頬のあたりを紅く染めた。
「喉が渇いたのだが」
「お待ちくださいませ」
さすが三國屋の女中頭といったところか。物腰もやわらかで品がある。以前、藩に出入している呉服屋にきいたのだが、商家の奉公人といっても様々で、行儀見習、あるいは花嫁修業として親があずけることも少なくないという。店からの支給は三食のみで、あとは親からの仕送りで生活をまかなう。親としても授業料を払う程度の感覚でいるのだろう。
志乃が淹れてくれた茶で喉を潤していると誠衛門が姿をあらわした。粗相(そそう)はなかったかと訊いてくるので丁寧な紹介だったと礼をのべる。
「それはようございました。ああ、お志乃」
「はい」
「篠塚さまの部屋は今までとかわらず奥の間だよ。それから食事も奥とおなじものを。今日から足袋(たび)も用意しとくれ」
志乃が心得顔にうなずく。誠衛門は用件だけならべると愛想笑いを残し姿をけした。番頭が番頭なら主人も主人だ。入れ替わり立ち代り目のまわるような忙(せわ)しさである。水戸と京では流れる時のはやが違うのではないかと疑いたくなってくる。
「足袋を仕立ててもらえるのか」
「はい」
「それはありがたい」
「これからは毎日新しいものをご用意させていただきます」
贅沢(ぜいたく)な……。
水戸の家では足袋(たび)を毎日かえたりしない。何度か洗い、くたびれてくると、ようやく新しい足袋をつくる。古い足袋は村の人間がとりにきて再利用しているようだ。着物であろうと足袋であろうと布団(ふとん)であろうと捨てることはない。誰かしらやってきて引き取っていく。だがここでは足袋を履き捨てにするらしい。「京は着倒れ」とは、よくいったものである。もっとも三國屋は呉服問屋だ。店に出入する以上、むさくるしい格好でうろつかれては店の信用にも関わる。たかが用心棒とはいえ身なりに気をつかうのは、しごく当然の事だといえた。
「篠塚さまは、どちらのお生まれでございますか」
「常陸(ひたち)の国、水戸だ。志乃さんは京の生まれか」
「生まれも育ちも京でございます」
女は話好きだ。京(みやこ)の大店の女中といえども例外ではないらしい。それどころか篠塚への好奇心を隠そうともしない。ここにいると話し相手に苦労することはなさそうだ。
「篠塚さまは旦那(だんな)さまとはどのような」
「縁あって用心棒をたのまれた」
瞬との出会いをはぶき、篠塚はさらりといった。
「旦那さまは篠塚さまに大変気をつかっておられます」
「そうなのか」
「それはもう。いつもなら、御寮人(ごりょにん)さんを通すか番頭さんを通すか……。あのように旦那さまが直接口を出してくるなど、よほどの事でございます」
そういえば用意された寝間着(ねまき)は絹ものだった。しかもかなりの上物だ。上級武士でもないかぎり寝間着といえば綿や麻が一般的である。
眠りが浅いのは寝間着(ねまき)のせいか……。
篠塚のように着慣れていない者にとって絹特有のすべるような肌触りは決して寝心地のいいものではなかった。
「ここだけの話、寝間着(ねまき)も布団(ふとん)も上物すぎて寝つけぬ」
志乃が楽しげに笑った。
「女中たちは篠塚さまの噂でもちきりでございます」
「せいぜい、ぼろを出さぬようにしよう」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
BACK
| もくじ
| NEXT
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブログ村・ランキングです。ポチいただけると嬉しいです(^▽^)
ネット小説ランキング「黄昏はいつも優しくて」に→投票
日本ブログ村・ランキングに→投票
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・