三國屋物語 第29話
「この男は優しくないぞ、瞬どの」
心を見透かされた気がして、どきりとする。
どうして……。
藤木の手が止まった。
描き終えたばかりの人相書(にんそうがき)を指でつまみあげ、
「こんな感じだったとおもうが」
と、思案顔につぶやく。
「瞬」
「は?」
「見覚えがあるか」
我に返り、まだ墨の乾いていない人相書に視線を投げる。見たことのない顔だ。瞬が首を横にすると、篠塚は溜息(ためいき)つき藤木に向き直った。
「相手の女は」
「若い女だ。武家ではない。そこそこの身なりだったが離れていたので顔まではわからん」
「追っ手は」
「情けない話、逃げるのに必死だった。しかも連中、顔をかくしていた」
藤木が眉間(みけん)のあたりに緊張の色を滲(にじ)ませた。
「しかし、あの殺気はすさまじかったぞ。いずれも手練(てだ)れであろう」
「……おぬし、一寝入りしたら、すぐにもここを発ったほうがいい。そのまましばらく京を離れろ」
「篠塚さん。あんた、ひょっとして連中を知っているのか」
篠塚が肩をすくめる。藤木に新選組のことを知らせずにおく気らしい。藤木もそれ以上、問いかけようとはしなかった。
女殺しと新選組。部屋に漂っていた墨の香が、にわかに死臭をおびた気がした。
野犬の遠吠えがきこえる。沖田と土方はいまも藤木を探しているのだろうか。得体のしれない暗たんたる予感が胸中で頭をもたげだした。
翌朝、篠塚の部屋にいくと、すでに藤木の姿はなかった。
「面白い男だったな」
「はい」
明け方、耳元で藤木の声をきいたような気がした。
「また、あいもんそ」
薩摩の方言だろうか。妙に心に残る言葉だった。
朝、店をあけると町は女殺しの噂でもちきりだった。藤木が見たという殺しに違いない。
むこうで瓦(かわら)版がでているらしい。瞬は情報を収集しようと人の流れにまぎれこんだ。
その時、篠塚は部屋にいて誠衛門と向かいあっていた。
「それでは、用心棒のお話、正式におうけいただけますので」
「よしなに」
誠衛門が手もみして顔をほころばせた。
「それではさっそく店の者に紹介を」
どうせ番頭と女中頭、そして奥の御寮人(ごりょうにん)くらいだろうと考えていたのだが、篠塚は自分の認識の甘さに臍(ほぞ)を噛(か)んだ。
まず番頭の藤次郎のところに連れていかれ挨拶(あいさつ)をすませると、誠衛門にかわり藤次郎が案内役を引き継いだ。それから、残りの番頭、手代(てだい)、大部屋の丁稚(でっち)と順々に顔をあわせ、ようやく「奥」となった。すでに主(あるじ)の誠衛門と、せがれの瞬には挨拶がすんでいる。残るは御寮人、つまり誠衛門の妻だけである。御寮人への挨拶を終え、つぎは女中頭だというので、そろそろ終わりだろうとおもっていると、その下の女中、庭のまかない頭となった。そこから、まかない、水仕(みずし)とつづき、結局半時ほど、あちこちに連れまわされた。頭をさげるというよりは軽くうなずくほどの所作なのだが、何十回もくりかえしていると、さすがに首の後ろあたりが凝ってくる。たまらず篠塚が首を鳴らしたところで、
「こんなものでございましょうか」
と、藤次郎がつぶやいた。
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