三國屋物語 第40話
刃引(はび)きとは、真剣の刃を引きつぶし切れないようにしたものである。組太刀など形稽古につかうことがおおい。まさか、刃引きで打ち合うつもりなのだろうか。稽古というからには竹刀(しない)と決めてかかっていただけに篠塚は驚きを隠せなかった。
「沖田さん、稽古というのは、まさかこれで」
「ええ」
「闇稽古というからには明りをいれないのでしょうね」
「はい。怖くなりました?」
「ええ。逃げ出したくなりました」
沖田が肩を揺らし、さも楽しげに笑った。
「正直な人ですね。でもそういう人ほど、いざって時、怖いんだなあ」
「いつもこんな稽古を」
「勘を養うためです。こればかりは実戦でしか体得できませんから。けれど実戦を待っていては体得したとたん、あの世逝きだ」
鞘(さや)をはらい刀身を確かめる。長さは二尺五寸ほどだろうか。打ち合いに向いた重ねの厚い刀だった。
「いわずもがなだと思いますが、首から上は駄目ですよ」
沖田が悪戯(いたずら)を企てる子供のような表情で首に手をあててみせた。
ほどなくして防具をつけ刀を手挟んだ隊士たちが整列をはじめた。暗くて定かではないが中には背を丸めうつむいている者や、何度もうなずき自身の勇気を奮い起こしている者もいるようだ。防具をつけているとはいえ力任せに打たれたら軽い打身ぐらいではすまないだろう。誤って首を刺されでもしたら死に至ることもありうる。
芹沢が神前にむかい仰々(ぎょうぎょう)しく一礼し全員に向き直った。
隊士たちは半数を残し一箇所に集まっていた。稽古は二班にわけておこなうらしい。
「まずご覧になってください」
永倉だった。
篠塚はいわれるまま永倉とともに道場の後方へと下がった。
「目に気をつけてください」
永倉が穏やかな面差しで、ぽつりとつぶやいた。
「目?」
「刃をつけた刀ほどではありませんが刃引きでも刃こぼれはおこります。刃をあわせるときは、半眼、もしくは目をつぶるくらいで丁度いい。稽古で失明などしたら悔やんでも悔やみきれませんからね。……いやこれは、釈迦(しゃか)に説法(せっぽう)でしたか」
「ご助言、ありがたく」
「芹沢先生とはずいぶん親しい間柄のようですね」
「十五年ほどまえ二度ほどお会いした程度です」
「それから何かやりとりでも」
「いえ」
「たった二度……。よほど目の覚めるような仕合(しあい)だったんでしょうね」
「ガキの喧嘩(けんか)殺法が、いたくお気に召されたようです」
永倉が声をあげ笑った。
四隅にあった蝋燭(ろうそく)の火が吹き消される。
同時に、沖田の声が道場中に響きわたった。
「はじめ」
雄たけびのような怒声(どせい)が一斉に沸き起こった。立てつづけに金属のぶつかりあう音がして、あちこちで赤い火花が散りだした。隊士たちの決死の形相が、瞬刻、浮かんでは消えていく。
「ひるむな」
沖田の怒号があがる。
その時、耳をつんざくような悲鳴があがった。怪我人がでたらしい。永倉が弾(はじ)かれるように抜刀し、うごめく闇の中へと飛び込んでいった。悲鳴が泣き叫ぶ声へと変わる。立ちのぼる血煙(ちけむり)を見たような錯覚をおぼえ全身に鳥肌がたった。
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