活字遊戯 ~BL/黄昏シリーズ~ -1021ページ目

scene7

 佐々木の言ったことは現実のこととなった。
 翌日、瞬が疲れた足取りで帰宅すると、キッチンで夕飯の支度をしていた佳奈子が、「あら、早いのね」と、声をかけてきた。この母親は、いつも楽しげである。とくに趣味を持っているわけでもなく、週に三日、パートに通っているが、別段、家計が厳しいわけでもない。一人息子である瞬の就職も決まり、心配事がなくなった事もあるのだろう。それはそれでいいのだが、今日のように落ち込んでいるとき佳奈子の明るい表情を見ると、余計に自分の置かれた立場が恨めしくなってくる。
 瞬は足元に鞄を投げると、リビングの椅子に音を立てて座った。



 事の成り行きを話すと、佳奈子は心配する風でもなく瞬の話に耳を傾けていた。
「ワークシェアリング?」
「うん」
「業績が悪くなったから労働時間を減らして全体の雇用を守りましょうって、あれ?」
「そう」
「でも、瞬は本社からの出向社員なんだから、すぐに呼び戻されるんでしょう?」
 なるほど、佳奈子の余裕は、ここからきているのか。確かに佳奈子の言うとおりだが、そう単純な話でもない。
 瞬はこの四月に入社し、一ヶ月の研修期間のあと現在の会社に出向を命じられた。たんなるプロセスだと考えたのが、そもそもの間違いだったのかも知れない。入社させたはいいが、この不況だ。企業サイドは社員をリストラしきれず出向の形をとったのではないか……。出向社員といえば聞こえはいいが「追い払われた」という見方もできる。ようするに「片道切符」なのだ。実際のところ、そこで退職者が出ても基本は雇用維持なのでマスコミ報道などで表面化されにくい。
 瞬は長息すると、呟くように言った。
「とにかく、来週から週休三日になるんだ。残業もないから帰りが早くなると思うよ」



 部屋で着替えていると携帯電話が鳴った。交際している晴香からだった。晴香とは大学の同コンで知り合った。現在、中小企業の社長秘書をしておりルックスもよく英語も話せる。つきあって半年ほどになるが、瞬は晴香との結婚も少なからず考えていた。
「ワークシェア? でも、本社に戻れるんでしょう? 瞬は派遣じゃないんだから」
「……どうかな」
「そうなの……?」
「今日、言われたばかりだから僕もよく分からないんだ。ね、今夜、会える?」
「……ごめん、今夜は用事があって」
「そう」
「ごめんね」
 電話を切ると同時にノックが聞こえた。ドアがひらいて佳奈子が道着を手に入ってきた。
「瞬、ご飯よ。それと、これ瞬の道着じゃないでしょう」
「借りたんだ。……忘れちゃって」
「忘れた? 道場に行くのに?」
 説明するのも面倒くさくなってきた。瞬は、「道場に行ってくる」と言って、仕度をはじめた。
「ご飯は?」
「帰ってきてから食べるよ」



 道場に行くと、篠塚が外人連中にまじり何やら談笑していた。流暢な英語だった。瞬は高校の三年間、英会話教室に通ったことがあるが今ではすっかり忘れてしまっていた。
 瞬に気づくと、篠塚が「来たか」と、大股に近よってきた。
「やめにきたのか?」
「……稽古しに」
「ほう……」
「いけませんか?」
 聞くと、篠塚は嬉しげに微笑んだ。一見、強面(こわもて)に見えるが、笑顔になると親しみやすさを覚える。篠塚が女子大生トリオに慕われている理由が分かる気がした。
「おまえ、次の段審査で初段とれよ」
「来月ですよ、段審査」
「十分だ。そのかわり平日は毎日来いよ」
 無理だと言いかけて、来週から週休三日のうえ残業も無いのだと言うことを思い出した。
「女にでもふられたのか?」
「え?」
「しけた面(つら)だ」
 大きなお世話だ……。
 だが、家にいるより、ここに来て体を動かしている方が楽かもしれない。平日は常に出入り自由だ。少なくとも今は、この道場の存在が瞬にはありがたく思えた。



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