世界一養成学校 -133ページ目

人間は不完全

宇宙には対存在という原理がある。

プラスとマイナス、善悪、男女、明暗など、宇宙は一対で全体なのである。

つまり、違う考え方というものは、ある欠落した部分を補うために存在する。

だから、学び合い、お互いに成長していくことで、全体となっていく。

そうでないと、幸せにもなれないし、成功もしない。

敵から学び合うのである。

その、学ぼうとする努力が愛であり、相互補完によって力が生まれる。

社会性をもって初めて大人であり、そうでなければ人間性のない、人でなしである。

我々はこれらのことを教えていかなければならない。

大震災は、そういう状況を作った。

これからの未来へ、各人が心に止めていかなければならない。

そうすることによって、欠点をあげつらうことの醜さをなくしていくのだ。



人間は不完全である。

短所があるということを押さえなければならない。

短所をなくすという努力をしてはならない。

それは、人間である以上なくなるものではなく、無駄な努力である。

それよりも、長所を伸ばすことに全力を尽くさなければならない。

長所が存在感のある能力になると、短所が人間味や親しみとなるのである。

短所の自覚がなければ、動物であるが、短所を知っただけでは、傲慢になる。

それを知り、長所を伸ばしてこその人間なのである。

人間の本質は心であり、謙虚な心である。

本質は短所があること。しかし、それを知らねば人間とはならない。

すごい力を伸ばすことに集中すべきなのである。

円熟になってはいけない。

これからの「個性の時代」の成長とは、ゴツゴツしたまま熟すという、角熟の精神である。

長所練磨の角熟の人生を目指さないといけない。

短所を責めてはいけない。

短所が出ないための注意が教育であり、短所が出てくれば謝らせなければならない。

短所を発見したら補おう、助けようというのが血の通った人間の温かさであり、そうやって人間になっていくのである。

だからこそ、相手が誰であっても短所を隠さないで、全てさらけだして助けを求める。

これが、活人力というものである。

同時に助けてもらう力、美しい力を作っていく。

相手の長所を輝かせるのだ。ただ助けるだけではない。

助けるということは、次に相手が助けることを意味する。

だから、助けられるということは、助けると同等の価値があるのだ。



1分でも1秒でも早く、他人から一目置かれる、尊敬される力を身につけなければならない。

これが素晴らしい人生の土台となる。

そして、自信と謙虚さが一対となって社会を生きる力となる。



社会で生きていく基本的な力を身につけるのだ。

それは、あいさつ・返事・感謝・謝罪である。

躾とは、親がまず見せて実践して子どもが真似をする。

だから、子どもが品格ある生き方をするためには、やたらと批判をしないことである。



愛というのは、考え方の違う人と生きていく力である。

短所を自覚し、長所を伸ばす。

短所を許し、認め、長所を見つめて生きる。

その和の精神が世界に広がると、平和が実現する。



人間として、外してはならない道がある。

「個性の時代だからいいじゃん」とはならない。

それは、犬猫などの動物とは違う、人間という独特の命の形にふさわしい生き方をしなくてはならないということである。

形が違うということは、内容が違うということである。

個性というのは、いろんな能力や内容の多い少ないといった割合で決まっている。

原理を意識して、自分を作っていく。

割合で個性が作られる。

これが人間だという必要条件があったとしてもそれは画一的であってはならない。



人間には、格があり、それは3つの条件で作られる。


①不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さ
不完全さの自覚とは、人間にしかできないことである。

完全なものである神の自覚は、完全性の自覚であるし、動物に至ってはそんなことを知りようもない。
どうして人間として本物と言うことができるのだろうか。


②完全なるものを意識し、目指す。より以上を目指して生きる。
成長意欲のない人間は動物と同じである。

動物とは、与えられた環境に適応するだけである。
人間は、そうでないからこれだけの歴史、文化、文明をつくったのである。


③社会性の本質である「他人の喜ぶことを喜びとする感性」=愛
すべての人間に共通する核とは、謙虚さ、成長意欲、愛である。


その3つで格のある生き方ができる。



格を磨くには、人格の高さ、深さ、大きさを求めることだ。

高さとは、高貴なる精神

深さとは、どこまで深くなれるか

大きさとは、心・度量・器と呼ばれるものの大きさである



どうすることが人格を磨くことなのか。

「格とは何か」ということに関しての教科書は世界のどこを探してもない。

つまり、「人間になる」にはどうたらいいのか分からず教育しているということである。

そういったものを作っていく、考えていくことが求められている。

今までの教育は、理性教育であり、人間教育でなかったのである。



肉体で大切なのは、体験である。

体験こそが、真実を語る力なのである。

真実とは、真なるものに実を与えるものである。

理性だけでは真実は語れない。真理しか語れないのである。

感性こそ、その核心である。

人間、命、宇宙も感性だ。



古代と中世の過渡期は、ギリシア文明が花開いた時期である。

中世と近代の過渡期は、ルネッサンスである。

そして、近代からの第三の過渡期が現在である。

過渡期というと、マイナスなイメージに思われがちだが、前例からも分かるように、過渡期こそが最も素晴らしい時代である。

これから想像を絶する素晴らしい時代がくるのである。



理性的なものに「説得の論理」というものがある。

言い方が説得的で、相手に対して嫌な感じをもってしまいやすい。

自分の考えの押し付けようとしてしまう。

それは、根底に人間の本質は理性であるという前提で考えているからである。

説得をされると他人は警戒する。

これは相手の個性を奪ってしまう。

ヨーロッパ的自己主張をベースとしたものである。

人間が人間に話すのだから、「心を使って、心に話す」のである。

「あなたを変える気はありません。ただ私の考え方を知ってください」

これが「納得の論理」という愛の論理である。

そして、この論理は、個性の時代に鍛えていかなければならない能力なのである。



できないをできるに変える。分からないを分かるに変える。これが教育である。

理性がいけなかったのではなく、今成長するためには理性を通る必要があった。

学問とは、物事の根拠を明らかにすることである。

学問によって、自信を持って発言し、行動することができるようになった。

理性は、成長に貢献した次の段階に行くのに必要な能力であったということである。


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