世界一養成学校 -134ページ目

平和の砦

価値観の同じ人しか一緒にやりたくないという人は、間違いなく自分しか愛せない。

これは、偽者の愛である。

自分の子ども、恋人など特定の個人を愛するということは、動物的本能に支配された未熟な愛の精神であり、真に身につけるべきは、社会性という大人の愛である。

多くの人は自己中心的・身勝手な愛の在り方である。

これから我々は理屈を越えた愛の生き方をしなければならない。

愛とは、自分・仲間への本能的なものから、文化たらしめる人類愛へと成長させていかなければならない。

それがどうであろうか、今の世界の平和とは特定のグループの力で保たれているような危うい平和である。



第二次世界大戦後、設立されたユネスコの憲章の冒頭にこうある。

「戦争は人間の心から始まるものであるから、人間の心の中に平和の砦を築かなければならない」

核をなくしても、武器をなくしても、平和ではない。

不完全な人間同士では、心の中に平和の砦を築くことが最終的な目標となる。



では、なぜ人間は対立を乗り越えなければならないのか。

人間の命から湧き上がる本当の欲求は、「できるだけ仲良くお互いを信じあって生きていきたい」というものである。

その根源はどこなのであろう。

それは、命を作ったのが宇宙の願いであり、祈りであるからである。

人間として正しいというのは、その願いと祈りの実現である。

だからこそ、理性の後付けでできた戦い、対立を越え、平和を求めなければならない。

大人になる社会性を持てば、たとえ考え方などが違っても対立せず、仲良く生きていけるのである。

そんな人間をしていないから、人が殺せたりする。

子どもには社会性をもった生き方を見せてやらなければならない。

しか‎し、今は非人間的な姿を見せてしまっている。

本来、子どもは大人の後ろ姿を見て育つのである。

理屈を越えた、愛に基づく生き方をしなければならない。



では、それはどのようにしたらできるのか。

そもそも考え方の違いとは、どのようにして出来るか。

それは、5つの理由がある。

・体験の違い
・経験の違い
・知識、情報の違い
・解釈の違い
・出会いの違い

これらはどれも、後天的要因である。

成長するということは、自分にないものを相手から学ぶということである。

極言すると、敵だと思うものが最大の成長の要因となる。



愛するということは、学ぶということである。

愛は、自己犠牲的努力によって測ることが出来る。

それができないということは、愛が失せたということである。

これが文化としての愛である。

愛とは、生きる力に変えられるものであり。

能力として成長するものである。

つまり、動物には不可能なのである。

愛を、情緒・本能・感性という人がいるが、それは違う。

学び、協力し、助け合える本当の愛を作っていかなければならない。

大人になる、人間になるということは、こういうことなんだと子どもに見せていかなければならないのである。



愛は理屈を越える力であり、それは価値観を越える力でもある。

理性で生きるということは、本質は1つしかないと断定し、矛盾を排除してしまうことになる。

もちろん理性は必要である。

しかし、支配されるのではなく、使いこなせないと幸せになれないということである。

理性は、自ら作っていく能力である。

人間は他人が作った言葉を学び、それが事実と合うように結びつけていく。

その働きが理性である。

人間が作った言葉をベースとなっている以上、実態を表現するには限界がある。

それは、理性は脳という器官、つまり肉体の一部だけに依存する不完全な能力だからである。

だからこそ、使いこなさないといけない。

人間とは理性そのものという人もいるが、人間の理性は数ある中の一つの能力でしかない。

人間とは、そんなものよりはるかに高度・高次元の存在なのである。

理性のような低次元の能力に振り回されてはいけない。

でないと、平和は実現できない。

理屈を越える力が愛なのである。

愛とは、考え方が違う人と一緒にいれる力なのだ。

成長するには、敵から学ぶ。

そうすると、出会えて良かった、ありがとうとお互いに感謝して生きていくことが出来る。


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