ハラスのいた日々 // 中野孝次 | みゅうず・すたいる/ とにかく本が好き!
ハラスのいた日々 (文春文庫)/中野 孝次
¥470
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 「ハラスのいた日々」


 中野孝次、著。 1990年。



 昨年末に、買い物のついでに、うちの奥さんと

古本屋に寄って、二人とも何冊か買い求めました。

炬燵に入って、奥さんは自分の買った本を読んで

いるようです。


 ちなみに、彼女は近年、犬関係の本ばかり

読んでいます。


 何となく見ていると、読み始めたばかりなのに

もう最後の方を読んでいる様子。

やけに、早くないか・・・?


 もう読んだのかと問うと、最後の方をとりあえず

読んでいるのだと言う。


 何故、そんな事をしているのかと問うと、

「可哀そうかどうかチェックしている」と言う


 可哀そうなら読まないのかと問うと、

「可哀そうなら気合いを入れて読まなくてはならない」

と言う。


 そうでもなければ、それなりに読むそうです・・・。

面白い奴!

うちの奥さんは、たまにこのような考えられぬ事を

平然と言います。


 それで、私も自分の買い求めたものをそっちのけ

にして、犬本をチェック。

その内の一冊がこの「ハラスのいた日々」です。


 これは、確か以前に読んだ記憶があるのですが、

彼女は買って無いと言います。

読んでみると、・・・やはり一度読んでるよ・・・これ・・・。


 でも、そんな事は口にしません。

つまらない所に家庭の危機は潜んでいたりする

ものです。 このように、それを事前に回避するのも

大人の知恵と言うものです。(笑)



 中野孝次さんは、現代ドイツ文学の翻訳や、

日本文学の批評、小説と多彩な執筆活動を

しておられるだけあって、この作品もそこらの犬本とは

違って、内容文章共に素晴らしいエッセーに仕上がって

います。


 愛犬ハラスが家族に加わってから、その生涯を

終えるまでのあれこれの思い出を綴ったエッセー

なのですが、・・・やはり、こう言う話には・・・弱い・・・。


 文章も素晴らしいですが、機に触れて引用される

詩や小説の一節がまたどれも素晴らしいです。


 「その矢張犬に違いないポチが、私に対ふと・・・

犬でなくなる。 それとも私が人間でなくなるのか?

・・・何方だかは分からんが、兎に角互の熱情

熱愛に、人畜の差別を撥無して、渾然として

一如となる」

 (二葉亭四迷)


 これは、犬を飼う人には良く解る心理です。


「マリ投げて遊べとさそふ若犬の

  目の輝きはさやけかりけり」

「あたたかき舌を触れつつわが掌より

  もの食む日々もはやつきんとす」

(平岩米吉)


 そして、ハラス失踪事件の折の中野氏の

文章。


 「この世には何十何百万の犬がいるわけですが、

私たちの生とじかにつながっているのは、ハラスと

名付けたあの犬しかいない」

 「帰ってくればただの犬なのに、

それがいないということがどんなことであるか、

この失踪のあいだに私たちは骨身にしみて

教えられたのでした」


 その後ハラスは見つかり、また日々を共に

過ごすのですが、やがてこの世を去り、

ハラスのいない日々が始まる。


 「似た犬をみて戻る夜そ風寒き」

 「犬うせて世は木がらしの風吹くのみそ」

  (二葉亭四迷)



 犬を飼ったことの無い人にもぜひ読んで貰いたい

作品です。

・・・・・・泣きます。